第19話 佐山響子との距離感


『戦え』


『戦え』


『戦え』——




 ——『そこなお前。お前じゃよ』



「——あぐっ!!」


 翔吾はベッドから跳ね起きて辺りを見回した。


 個室。白い壁紙。樹脂製の大きな引き戸。液晶テレビの横には使用方法の張り紙……。


「……そうだ、助かったんだ」


 体のいたるところに巻かれた包帯と、上腕から伸びるチューブの先には点滴袋。


 不意に走った鈍い痛みが生の実感を翔吾へ告げる。


 壁掛け時計の時刻は午後17時。


15時頃に訪れた眠気に負けたせいで、嫌な夢を見てしまった。


 体をほぐすべく、ベッドから足をおろす。


 立ち上がるタイミングで、引き戸から軽いノックの音が響いた。


「中村くん——だめよ、横になってなくちゃ」


 佐山響子が焦ったような表情で入室し、翔吾へと近づく。


 押し込むようにベッドへ戻されながら、こんな人だっただろうかと翔吾は思った。


 こんな自分にも親切だったのは確かだ。けれど今みたいな表情は会社では見たことがない。


 それに仕事があるなか毎日見舞いにきてくれて、今日は時間的には早退までしてここに。


「課長……本当に申し訳ありません。ありがとうございます」


「もう何回も聞いたから、それ以上はいわないで」


「いえ、動けない間のことまで全てやってもらって、本当に」


「いいの。わたしが勝手にやってることだから。それより早く治してお母様に顔を見せないとね」


 地下533階より生還して10日。


 翔吾は療養中のあれやこれやを佐山響子に細やかにケアしてもらっていた。


 意識を失った翔吾の入院手続きから、諸々の準備。果ては別の病院にて療養する母親の世話も含めてだ。


「……それと、部屋の掃除なんだけど」


「あっ……いえ、それは」


「……着替えを取るついでに、もう、しちゃったの。でも床掃除ぐらいよ、部屋の中をひっくり返したりはしてないから」


 父の残した一軒家、いまは翔吾だけが暮らす場所。


 響子は翔吾の着替えを取るついでに、そこの掃除もしたという。


 翔吾だって男だ。自分の部屋はそれなりに男らしい煩悩にあふれている。


 ……それは結構ですと何度もお願いしたのだが。


「何も触ってないからねっ?」


 やや赤みのさした頬をみて、翔吾の胃がキュウと締まった。


 母親以外の女性との距離感など翔吾に測れるはずもない。


 恥ずかしい、けれども世話を焼いてもらっているお礼を、何か言わないと……。


 だが、口はあうあうと動くばかりで、何も言えずにいる。


「とにかくそれより……本当にハンターになるの?」


 翔吾の様子を見かねたように、響子が話題を変えた。


「あっ、それは、そう……です」


「スキルは発現したからなれるけれど、危ないのよ……?」


「今のままじゃ、母をの費用が稼げませんから」


 翔吾は以前に受けた、医師からの説明を思い浮かべながら響子に答えた。


 翔吾の母親は、魔素中毒による意識障害をはじめ、各種の合併症を発症している。


 それらの症状の進行を食い止める、いま使っている薬は保険適用されるが、させるための手術や、それを行うために必要な薬は保険適用外だ。


 海外で開発された薬で、魔素中毒患者の体内に蓄積した魔素を、一箇所に集中させ結晶化させる効能を持つ。


 その結晶を手術で取り除けば魔素中毒は完治する。


 この薬は日本ではまだ認可されていない。個人の輸入扱いとなり、その価格は希少性も相まって簡単に購入できるものではない。


 承認は急速に進んでいるといわれているが、翔吾の母親の病状は日を追うごとに進み、確実に衰弱している。


 承認を待つ時間はない。

 

 それに、手術時に行う投薬の副作用によって、内臓機能全般が低下するため、母親の消耗を考慮した場合、一年以内に手術をしなければ、何らかの後遺症が残るとも言われたのだ。


「すぐにフリーは考えてないわね?」


そうです。スキルが発現したからといって、さすがにそこまで思い上がっていません」

 

 企業に所属するのか、それともフリーのハンターとして活動するのか。


 響子は硬い声で問い、翔吾は含みは持たせたが、はっきりと応えた。


 実力さえあれば後者の方が実入りはいい。ダンジョンで得た素材の売却益を全て手にすることができる。


 だが装備は持ち出し、怪我をしても補償はない。採取依頼に失敗した場合、契約内容によっては莫大な損失が出る場合もある。


 その点企業所属であればそういった問題はない。


 むしろ基本給が役員クラスで、歩合ボーナスまでつくという好待遇だ。


 それでもフリーとなるものは後を絶たない。


 上手くいけば収入の桁が一つ、二つと違うからという理由からだが。


ね……とにかく、ダンジョン資源開発なら即契約できると思うから、退院したらハンター登録の為の講習手続きをしましょう」


「ありがとうございます。それと少し考えていることがあって上手くいくか確認したいことがあるんです」


「スキルを使って?」


 響子は翔吾へ、配信されていた内容を全て承知していることを話している。それを知らせた早川のことについてもだ。


 深層探索経験のある響子から見ても、翔吾のスキルは異様だった。


 スキルの性質、形状の自由度。そこからくる応用性。


 火の玉を放ったり、身体を強くしたり。様々な種類はあれどそれ以外はできず、どこか画一的なスキルが多い中、その異様さは際立っている。


 即刻フリーになろうとしてもおかしくはないほどに強力なスキルだ。


「はい。少し特殊な資源を獲得できるかも知れないので。もし、それができたらフリーも考えたくて」


 現時点ではまだ、一年以内に母親の薬代と手術費用を稼ぐ、確かな手段はない。


 ただ、考えていることが上手くいけば。


「いつでも相談に乗るわ。でも、まずは早く怪我を治して、4月の講習を受けなきゃ」


「講習……。俺、大丈夫ですかね? 自信がなくて……良ければ佐山課長に内容とかを先に教えて貰えるとありがたいのですが」


「ええ、そんなことならいくらでも」


 翔吾は自信なさげに視線を下に落とすが、響子は講習については特に心配はしていなかった。


 講習内容自体は、真面目に受ければ特に難しいこともない。


 魔物を一撃で倒す力を得て、あの信じがたい厳しい環境から帰ってきても慢心は見られず、以前と変わらない真面目さなので、それについては安心していいだろう。


 怪我の状態も、回復ぶりを見るに講習日程には間に合う。


 それよりどちらかというと、スキルが目立ち過ぎて、余計なトラブルが起きないかの方が心配だ。というより起きてしまうのは明らか。


 翔吾が叶えたい目的の障害になる。


 なら、そうならないように助けてあげたい……。


 響子はそんなことを思いながら、俯く翔吾を見つめていた。

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