第15話 翁の面〜帰還
「ああ、くだらん。実にくだらん。こんな不味そうな、しかも男。持っとる力もどうせ、大したことはないのだろうのぉ。ああ騙された」
現れたのは狩衣をまとい、能楽でいう翁の面をつけた……中は人だろうか、いや、翔吾の首筋に走る悪寒が、これは魔物だと訴えている。
真っ白の頭髪と顎髭が揺れ、翁の魔物が放つ、枯れた声が響いた。
「騙されたなぁ」
これまで洞窟に現れた魔物たちとは毛色があまりに違う。なにより喋っている。
そんなことは聞いたことがない。
翔吾は何が起こっているかを理解できずに戸惑った。身体が震えるほどの悪寒によって、事態の不味さだけはわかるのだが。
「せめてもは
翁は顎髭を撫でながら翔吾を見つめ、言葉を続けた。
「そこなお前よ。お前じゃ」
そして、翔吾の視界から消え失せた。
「どれ。味をみてやろう」
見失ったことを焦る間もなく唐突に、翁は翔吾の隣に現れた。
いつの間にか翔吾の左肩に翁の手が添えられている。
「あっ、ぎぃっっ!!」
手が置かれた翔吾の左肩に、焼けるような熱さと痛みが走った。
翔吾はその痛みから逃れようと、翁の手を振り払いその場から飛び退いた。
「おんやぁ? 随分と濃い味だのぉ。腐って崩れんし、見た目よりも力を溜めておるのか? こういう時、別身も良し悪しじゃのう。細かいことがなんもわからん。だが、それもまた良しっ! くかかかかっ!」
「ぐおおあっ!」
ひどい皮膚の痛みに襲わた翔吾は、飛び退いた先で叫びながら膝をついた。触れられた肩口の作業着には穴があいて、そこから黒い煙が微かに立ち昇っている。
「しかしまあ味が悪い、とにかく不味い。それは
翁は髭を撫でながらそういうと、その場から姿を消し、再び翔吾の横へと現れた。
まるで瞬間移動したかのような動きだ。
痛みによって明滅する翔吾の視界の中、翁がゆっくりと肩口へと手を伸ばしてくる。
間違いなくこのままでは死ぬ。
「ほれ。せめて鳴いて楽しませろ」
躊躇している暇はない。動かなければ。
スキルを手のひらから地面へ放つ。形状のイメージは伸びる棒だ。
手放すのではなく、掴んだままで急速に伸ばす。
体が少し浮き上がり、加速。肩に触れようとしてくる翁の手が離れていく——僅かに
翔吾は勢いそのままに背後の岩肌へと背中を打ちつけた。
「……ぐっぁ」
衝撃により息が吐き出されるばかりで、吸うことができない。
が、さっき触れられた肩の痛みよりかは随分とマシだ。
体の代わりに触れられた
「おお。
翁は顎の白髭を撫で、心底愉快そうな調子の声を出した。呼応するように面も歪み、嗤う表情を作っている。
あと十秒もしないうちに訪れるかもしれない、自らの死を意識させられて、翔吾の思考は散り散りに乱れた。
——自分が死んだら入院している母親はどうなる。優しく接してくれた人にも何も返せていない。
なぜこんな目にあわなければならないんだ。俺が死ななきゃいけない理由はなんだ。
真面目に生きてきた。同僚に無能と罵られようが、根暗野郎と陰口を叩かれようが、耐えた。
それで、この終わりなのか? こんな風に命を弄ばれて終わる理由が一体どこにあるんだ。
——死ぬのか? いやだ。
——いやだ。
——許せない。俺は死にたくない。殺されてたまるか。
(殺される前に殺してやるっ……)
乱れた思考の中、
腹から湧きでる、生まれてこのかた抱いた事のない、冷たい怒りの感情が翔吾を立ち上がらせる。
左肩の痛みは、怒りによって打ち消され気にもならない。
乱れた思考はまとまって、考えることはただ一つ。
敵を殺す。
イメージしたのは槍の穂先。翁へ右手を向けてスキルを放つ。
「八……九……——! おお! なんじゃ、足掻きよるか。愉快、愉快」
が、隙だらけで愉快そうに嗤う顔へと直撃するかと思われたスキルは、翁の一メートル手前で光りを放ち消え失せてしまう。
しかし翔吾は諦めない。目の前で起きた光景を冷静に受け止め、もう一度。
今度は拳大の円錐をイメージし、翁へと右手を向ける。
余力は多くない。力はそこまで込めずに放出した。
翁の顔面へとスキルは突き進む。
防御する素振りを見せない翁の顔前で、スキルは光を放ち、再び消え失せた。
「ほお? 思ったよりも良い力じゃ。当たるまで見えんぞ? これは食べがいが出たのお」
「……!」
翔吾は、翁の余裕ぶった態度に顔をしかめながらも、一つの可能性を感じとり、拳を握りしめた。
攻撃を防いでいるのに、当たるまで見えていない?
つまり自動的な防御、力の障壁のようなもの……そして、こちらに触れる時には発動していない。
違う性質の力を使い分けているということを示している、いやそれよりも、攻撃と防御は同時に出来ないのでは……。
もしそうなら勝機だ。罠を張れば殺せる。
だがそのためには、また近づいて触られる必要がある。
翔吾は一瞬脳裏を過った策に首を振った。
確証がない。次あの痛みに耐えられたとしても、奴の力が想定した通りでなければ死ぬ。
もし予想が外れ、攻撃と防御が一体だった場合は……。
だが、他の案などすぐに思いつけそうになかった。
……やるしかない。翁が自分をみくびって、嗤っている今なら通じるはずだ。
翔吾は腹を決めた。
「ええ顔をしよる。生という熱病に侵された肉人形ども! 人間はそうでなくてはなあ。ひゃっ! ひゃっ! ひゃっ!」
翁の目が怪しく光り、その姿が翔吾の視界から消え失せた。
来る。
チャンスは一度。スキルをイメージし、力をこめる。
鋭く、絶対に気づきようもないほど透明で薄く、それでいて折れない刃を研がねばならない。
(そうでなければコイツを殺せない)
「まずはうるさい手から千切ろうか」
来た。
真横、至近距離で耳にまとわりつく声。
そして——右肩に強烈な痛みが走った。
「ぐうっぁぁ!」
至近距離に突然現れた翁は、翔吾の右肩を掴み、愉快そうに笑みを浮かべて話しかけてくる。
「ほれほれ、さっきみたいに逃げんと……おや?」
だが、翁は違和感に気づき、言葉を止めた。
「嫌な目つきをしておるな? もう死ぬのだぞ? ほれ。もっと鳴いて楽しませろ」
「……死ぬのはお前だ。化け物がっ」
翔吾がそう言うと、翁の胴体に横線が走る。
そして、その上半身がゆっくりと滑り落ちていき、二つに別れて地面に転がった。
「おお? なにが……なぜわしは見下ろされておる?」
翔吾が捨て身で張った罠が功を奏した。
あの瞬間移動のような動きの直前、左右どちらを狙われても良いよう、腰から円周状に薄い刃を生やすように設置したのだ。
触れようとする時、つまりゼロ距離で密着するような場合は障壁は張れないはずと予想しての策である。
予想が外れていれば死ぬしかなかったが、結果は成功。翁は翔吾が作り出した死地に、無警戒で飛びみ、自ら切断された。
「あやや、これはいかん。肉を保たんと」
しかし翁は痛みなどないかのように、腕を突っ張り上半身を浮かせ、翔吾に話しかけながら、腕を足代わりにして近よろうとする。
断面から赤黒い血と臓物らしきものを垂れ流して引きずっているのに、何ともないようにだ。
「よし、お前。近うよれ。神の贄に選ばれる誉れをやろ——」
翁の話を遮るように翔吾は右手を振り抜いた。
「——死ね」
吐き捨てるようにいって、その場で膝をつく。
上半身だけでは障壁が張れないようで、翁の頭はころりと地面に落ちた。
「ぬああっ! お前っ! お前ぇっ! 肉の癖にィイいいっ!」
もう力が出ない。本当に最後に出せる一撃だった。意識を保つのに精一杯の状況だ。
翁が首だけの状態で、まだ死んでいないのが信じられないが、止めをさす力はもうなかった。
『まてぇ! お前ぇ!』
翔吾は喚き散らしながら転がる頭を一瞥すると、息を吐いてゆっくりとたちあがり、
ひどい頭痛と吐き気に襲われているが、生き残れた喜びでごまかしつつ進む。
翁の喚き声も聞こえなくなった。
普段なら一息に登れるような段差に手こずりながら、翔吾は
これに触れればこのダンジョンの入口へと戻れるはず。
しかし、まだ安心はできない。果たして見知った渋谷ダンジョンに戻れるのだろうか。
息をのみつつ、光球に触れると極光が溢れ出した。
あまりの眩しさに翔吾は目を閉じた。
数秒後、瞼に感じる光が少しずつ弱まっていく。
そして、目を開けると、そこは見慣れた景色。
渋谷ダンジョン地下3階——
「——中村くんっ!」
聞き慣れた声に振り向くと、力が抜けて翔吾はその場でうずくまった。
「課長、どうして……」
「喋らなくていいからっ! 動いちゃだめよっ! ああっ、ひどい怪我……」
頭を支えられ、慈しむように胸へと抱かれたのは、いつ以来だっただろうか。少なくとも子供の時ぐらいしか……。
「ええ、そうですっ! 重症よっ! 待機所前まで早く——」
外部と連絡をつける佐山響子の声が遠ざかっていく。翔吾は柔らかな感触に包まれて、意識を失った。
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ここまでお読み頂きありがとうございます。
そういえば、お星様評価やブクマをしていなかったという読者様。
一区切りですので、この機会に是非!
もう評価もブクマもしたよという読者様。
ここから先もっと面白くなりますので、引き続き応援(ハートぽちぽち)の程、よろしくお願いいたします。
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