第14話 黒鬼〜誘い


 慎重に。気付かれぬままに仕留める。


 黒鬼ブラックオーガが夢中で啜っているのは、通路から消えていた、小鬼ゴブリンといったところか。


 あまり気にするべきではない。目にすればきっと後悔する代物だ。


 翔吾は頭に浮かんだ考えを振り払うように、スキル形状、円錐の杭とそれを回転して射出する速度を強くイメージした。


 右手に力が集まっていく。豚鬼オークを仕留めた時よりも倍近くの力だ。


 興奮して制御を失ったわけではない。


 首筋に感じた悪寒。豚鬼オークの倍ほどに感じたそれに従って力を強く込めたのだ。


 それでも、あと三回は同じような力を出せる余力があると翔吾は感じている。


 もういつでも射出できる状態だが、翔吾はすぐにスキルを放たず、左手も前にかざした。


 一撃で仕留められず、こちらに向かってきた時に備え、進路上にも円錐の杭を設置する。


 準備は万端といったところで、黒鬼ブラックオーガの動きが止まった。


 それを合図に、翔吾はかざした右手を前へと強く押し込む。


 スキルが射出され、回転しながら猛スピードで黒鬼ブラックオーガへと到達する。


「ゴギャォォオオォッッ!!」


 黒鬼ブラックオーガが絶叫をあげて、立ち上がり——前のめりに倒れこんだ。


 翔吾は大きく息を吸いこんで、静かに吐きだし、このエリアに他には何もいないことを確認すると、ゆっくりと足を踏み出した。


 杭をイメージし円錐に尖らせたスキルは黒鬼ブラックオーガの体中央に刺さっている。


 スキルを消し去ると、そこから緑色の体液が勢いよく噴出した。


 黒鬼ブラックオーガが小刻みに痙攣する。


 やがて、ぴくりとも動かなくなった。

 

 どうやら魔核を一撃で砕けたようだ。


「勝てた……」


 安堵感を抑えつけ、周辺を注意深く観察していると、奥まった場所に、池と呼んでいい大きさの水源があることに翔吾は気付いた。


 慎重にそこへ近づき、水面を注視する。


 魚が跳ねた。


 セーフエリアで捕まえたものと同じ鮭だ。


 もしかするとこの池とあの湖は繋がっているのかも——(……それは、今考えることじゃない)


 翔吾はそれた思考を、頭を振って追いやると、次の場所へ続く横穴があるのかどうかを確認するため、反対方向へと向いた。


 他に潜むものがいないか。


 警戒しつつ、ゆっくりと進む。


「あっ」


 そして、池とは反対方向にある、同じくやや奥まった先に横穴を見つけて思わず声が出た。


 期待感と恐怖が合わさった独特の緊張感に翔吾の身が強張る。


 辺りに魔物はおらず、横穴を確認しない理由はない。


 翔吾は呼吸を整え、半歩踏み出した。


 まさにその時。


出口ポータル反応を捕捉。方向を表示します』


 WDウォッチデバイスから唐突なアナウンスが流れた。


「あっ?! えっ……?!」


 翔吾は口を抑えてしゃがみ込んだ。


 間違いない。デバイスの表示にも出口ポータル捕捉と表示されている。


 画面には、横穴が延びる方向に出口ポータルがあるとはっきり示されていた。


 何かに誘われるように立ち上がり、翔吾はふらりと歩き出す。


 地面で明滅する、テキストチャットには『注意! 周辺警戒!』と何回も表示されるが、翔吾の目には入らない。


 薄暗闇の横穴に入り、どんどんと進む。 


 ようやく帰れる。そのことの前には他のことなど——「痛っ」

 

 翔吾は首筋に突如走った、痛みをともなう悪寒に我にかえった。


 地面で明滅する、テキストチャットが目に入る。


ケモメチョ:『焦らないで! 翔吾!』


通りすがりの田中:『冷静に! 魔物がいるかもしれないんですよ!』


「あっ……す、すみません、あれ? 気分がすごく悪い……」


 まるで風邪をひいてこじらせたような悪寒と吐き気に襲われる。さっきまでそんな症状はなかったのにだ。


 翔吾は右手で両こめかみを抑えながら揉み、目を閉じる。


 症状が少しずつだが柔らいできたことに安堵の息がでた。


 だが。


 少しは治りはしたが、今までで最も強い悪寒だ。


 翔吾の表情は硬い。


「たぶん黒鬼ブラックオーガ以上の魔物がこの先にいます」


ケモメチョ:『一旦引き上げましょう!』


通りすがりの田中:『焦りは禁物、引くのも勇気です』


 翔吾は示された二人の意見に頷きかけて——動きを止めた。


『戦え』


『戦え』


『戦え』


 あの声だ。


ケモメチョ:『どうしたの?』


「…………」


 翔吾は問いに対してしばらく沈黙してから答えた。


「ダメなんです。根拠はないけれど、逃げるのはまずい」


 翔吾は続ける。


「声が聞こえるんです……それはどんどんと大きくなって。今もです。その声を聞くと、逃げ出すこともせずに戦える。従えば、生き残れる……」


 あの声がなければ、ここまで生き残ることはできなかっただろう。

 

ケモメチョ:『声? 声が聞こえているの?』


 首筋に走る悪寒が強くとも、先に進まなければならない。


『戦え』


「俺はここを出るんだ」


 テキストチャットを見ようともせず、うわごとを呟きながら翔吾は歩き出した。


 デバイスには出口ポータルまであと50メートルと画面に表示されている。


 薄暗い横穴、天井の光苔が翔吾の顔をうっすらと照らす。前だけを鋭く見据えて、足下に映るメッセージは目に入っていない。


 少し進むと横穴が広がりをみせ、さっきよりも広いエリアが現れた。


 地面と壁が岩肌に覆われた、半径30メートル以上のエリアが広がっている。


 前方に魔物の姿は見当たらない。


 高い天井にはびっしりと光苔が群生しているので、視界は横穴よりも遥かに良好だ。


 そして、翔吾からまっすぐの方向、一番奥。


 高台となった場所に、光り輝く光球が浮いている。


 翔吾は立ち尽くしてそれを見た。


出口ポータル……」 


 まるで夢を見ているようだ。資料で見た通りの特徴。あそこに辿り着けば帰れる……。


 しかし。


『こんなのが餌か。口車に乗って引き受けるのではなかったのお』 


 突然耳に入ってきた、しわがれた声が翔吾を現実に引き戻した。


『しかも不味そうじゃぁ。ああ嫌じゃ、嫌じゃ』


 老人のような口調。軽くなったはずの悪寒が、ぶり返して強まっていく。


 翔吾は出口ポータルから視線を切り、声がした方向、前方右斜め方向へと顔を向ける。


 すると翔吾の10メートル先に陽炎が生じ、ゆらりと人の姿が浮かび上がった。


 

 

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