第10話 犬鬼
「っ!」
翔吾は首筋に走った蜂に刺されたような痛みで飛び起きた。
すぐに痛みは引いたが、痛みのわりには大げさに噴き出た汗に戸惑う。
ケモメチョ:『どうしたの!?』
「わかりません……何か嫌な痛みというか、嫌悪感というか……多分ですが、なにか来ます」
壁面に描画された心配の声に翔吾は小さく答えた。
そして、外を確認するため、安全地帯に作った簡素なバリケードを少し崩して、そっと顔を出し、周囲を伺う。
湖を見渡す。眠る前との変化は——
「まただ……」
——わかりやすいぐらいにあった。
翔吾は青い顔のまま安全地帯へ顔を戻し、大きく息をはいた。
ケモメチョ:『翔吾。あなたもしかして、索敵スキルも持っているかもよ?』
「そういえば……妙に気配に敏感というか悪寒を感じるように、いえ、今はそれより……また天井に穴が空いています」
自分が見たものが信じられないが、ありのままを話すしかない。見つめる先には確かに穴があいていたのだから。
通りすがりの田中:『つまり、また誰か、あるいは何かがここにやってくる……嫌なタイミングですね』
夜の主砲:『救助隊がここに来る方法を突き止めて駆けつけたとは考えにくいです……』
通りすがりの田中:『まあ、魔物と考えて動くべきでしょうな』
翔吾は書き込みに同意を示し、一つ頷いた。
首に走る悪寒は、
あの時は、背筋まで走り抜けるような悪寒だったが、今回は首筋でチクリとした弱いものだった。
いずれにせよこの痛みは、落下してくるものが魔物だということを知らせていると考えるべきだろう。
ならばここから取るべき手は二つ。安全地帯に籠もってやり過ごすか、あるいは戦うか。
籠るとして……湖を抜けた先の通路、その先に広がるエリアにすぐに移動してくれればいいが、湖に居座られる可能性もある。
……あとは戦うという選択肢。
そう簡単には選べない。スキルの扱いに慣れてきたといえど、命のやり取りをするとなると……。
スキルが覚醒し、ある程度扱えるようになったといえど、正面切って魔物と戦う自信を翔吾はまだ持てずにいる。
戦わなければならないとしても、あの灰色の
そんな翔吾の耳に派手な着水音が届く。
……きた。
目の前には積み上げたバリケード。
安全地帯は外から中が見えない、いや、ただの窪みだけがあるとしか見えないことを確認している。
魚の骨や焚き火の煙すら外からは見えなかったし、匂いも消えていた。
だが、不可視ではあっても、不可侵ではない。
外から入ることは誰でもできる。
石を入り口に積み上げた簡易バリケードは、一瞬ぐらいは敵の侵入を防ぐ気休め程度。
祈るように手を組む翔吾は、ズルリ、びちゃびちゃと何者かが水音を立てて近づく気配を捉えた。
そしてそれは安全地帯の前で動きを止め、ハッ、ハッ、ハッと小刻みな呼気を響かせ、舌を舐めずるような音を立てる。
バリケードの隙間からかすかに見えるのは、ぼやけた人型のシルエット。
震える体を押さえつけ、息すら止めて、翔吾はそれが立ち去るのを待った。
酸欠手前、もう意識が持たない、というタイミングで気配が遠ざかっていく。
十分に気配が離れたのを確認し、翔吾は細く静かにひゅうひゅうと息を吐き、地面に手をついた。
ケモメチョ:『……いった?』
翔吾は壁面へ向けて頷いた。
通りすがりの田中:『どんな魔物でした?』
「……僕よりも少し大きい、人型です。」
夜の主砲:『戻ってきたら、次は安全地帯の中から先制攻撃できませんか?』
「そっ、そんな……」
翔吾は予想もしない提案に、思わず小さな声が出てしまう。
ケモメチョ:『それは……良いかも。そのサイズなら』
「できないですよ、そんなの……。俺……怖くて」
ケモメチョ:『翔吾。さっきの音からすると、サイズは大きいけれど多分
通りすがりの田中:『そのスキルであれば一撃かと。あの
夜の主砲:『君なら出来る』
根拠なく戦いを勧められている訳ではなかった。だが自分にそれが出来ると思えない。自分は役立たず。無成長……いや、けれどスキルは確かに……。
ケモメチョ:『不意打ちで仕留められるなら、絶対にその方が良い。覚悟を決めるべきよ。一匹ならやれる』
翔吾を叱咤するような書き込みが壁面を流れていくなか、また『戦え』と誰かが囁くような声が聞こえてくる。
だが攻撃できたとして、仕留め損なって突進でもしてこられたら、足がすくんで動けなくなりそうだ。
本当に自分にできるのか。
『戦え』
……そうだバリケード越しなら。
でも当たるのか? 動いたらどうする。
『戦え』
翔吾は口をつぐみ、ぐるぐると思考を回して躊躇していたが、それを塗りつぶすかのように、緊張感を伴う気配が首筋に走った。
「うそだろ……もう、戻ってきた」
ケモメチョ:『翔吾。躊躇せず、近づいてきたならすぐに撃って』
通りすがりの田中:『中村さんのスキルならバリケードを貫通して敵を突き刺すことは十分に可能です』
テキストを目で追う間にも、気配はより大きくなり、その存在を翔吾へと主張してくる。
切り出した石を積み上げただけの、簡素なバリケードの前に——来た……さっきよりも近い。
獣のように唸る吐息と、ポタポタと水が垂れ落ちる音が、二メートルはなれた翔吾の耳に届く。
翔吾の頭の高さまで積み上げたバリケードから飛び出る、ぼやけたシルエットでもわかる、縦に伸びて尖った耳。
『戦え』
……やるしかない。
翔吾は右手をかざしバリケードへと向けた。
集中。距離は二メートル。
一撃で決める。反撃を捌くような技や体力は自分にはない。
狙いは胴体と胸、体の中心部。致命傷となる部位への攻撃。
『戦え』
この距離なら威力もさほど落ちずに拳大のサイズで伸ばせるはず。
『戦え』
(そうだ、俺は出来る。その力がある)
翔吾はゆっくりと息をはきだしスキルを発動させた。意識は失わないよう、けれど、できるだけ力を込めながら、今できる最大限の速さで——放つ。
そして瞬時に、バリケードに拳大の穴があき、標的へとスキルが——
「グギャッ!!……」
——命中。
「ギャッギャギャッ!」
標的が翔吾の方向へと倒れ込み、バリケードを崩しながらその姿をあらわにする。
翔吾の記憶通りなら
ケモメチョ:『早くトドメをっ!』
翔吾は、テキストチャットからの催促を視界の端で一瞥すると、胸に大きな風穴をあけてのたうち回る
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