第7話 安全地帯〜接敵
翔吾は横穴を湖の方向へと歩きはじめた。
魔物がいた奥に進む選択肢はない。
足取りは進むたびに軽くなった。微かではあるが、生存への道筋が見えてきたからだ。
それに湖の方向には何もいないことがわかっているし、一人きりではなく誰かが見てくれているというのも心強い。
それでも足音には細心の注意を払いつつ、翔吾は横穴を進む。しばらく歩くと元の場所へと舞い戻った。
「これで見えるかな」
翔吾は湖全体が視聴するものたちに映るよう、右手を軽く挙げる。
するとすぐさま湖面へとチャット枠が投影された。
ケモメチョ:『典型的な
「どんな場所でしょうか」
ケモメチョ:『窪み、もしくは不自然な人工物のパターンが多いんだけど……』
夜の主砲:『エリアの20%以上を水が占める場合、岩や石などが円柱、球形状などで安全地帯周辺に配置される傾向がみられる。アイザック・ベル著【統計でみるダンジョン研究】より抜粋』
通りすがりの田中:『またマニアックな文献を。趣味が合いそうです』
夜の主砲:『では、【境界杭概論】あたりも?』
通りすがりの田中:『愛読書です』
夜の主砲:『おおっ!』
ケモメチョ:『脱線しそうだからそこまでよ。翔吾、とにかくそれらしいものを探してみて』
「はい」
短い返事と頷きで翔吾は湖岸を進み出した。
目に入るのは困難な現況とは裏腹の、美しく澄んだ湖面だ。
光苔の淡い光に照らされる幻想的風景に、少しだけ余裕が産まれたいま、思わず見とれてしまいそうになる。
が、翔吾は視線をそこから引き剥がし、湖岸周辺を注意深く観察する。
ここにきた時は
ただの洞窟の壁面としてではなく、それがあると考えながら、三人並んで歩ける幅の湖岸を進む。
「……これか?」
横穴から百メートル程度の位置、ちょうど自分が落ちてきた位置の反対、延長上にある湖岸に辿り着き、翔吾はそれらしき場所を見つけた。
壁面が窪んでいる場所だ。
その前方、湖岸中央部に、大玉スイカぐらいの大きさを持つ二つの石が並んでいる。
翔吾は確認のため窪みへと入り込んだ。
「ここで合ってるかな?」
通りすがりの田中:『中から外を見て、ややぼんやりとした視界が見えればそうです』
問いに対してすぐさまテキストが応える。
翔吾が湖岸の方角を見ると、窪みから先がほんの少しだけぼやけて見えた。
「ふぅ」
ため息をはき、力なく座り込む。
講習でも習った安全地帯の効果は身隠し。これで魔物が外から翔吾を探知することはほぼない。
「喉が渇いた……湖の水、飲めるかな」
安心した途端、耐えがたい渇きが込み上げてくる。
ケモメチョ:『安全地帯発見おめでとう。でもダンジョン内のものをそのまま摂取するのは、絶対にだめよ』
翔吾の呟きに対してすぐさま注意が飛ぶ。
「はい……でも喉が渇いて、此処に落ちた時もちょっと飲んだから、大丈夫だと思うんですが」
通りすがりの田中:『それでも今後のことを考えるとおすすめできません。ハンター用のデバイスなら水の成分調査が可能なんですがねえ。作業員用のデバイスにもその機能は……確かあったような』
「……そうだ!さっき水に入った時の記録がもしかしたら」
翔吾はデバイスをタップした。
『行動記録:19時39分/スキル波長検知』
「もう少し前」
更に二度タップ。
『行動記録:18時52分/衝撃検知』
「これだ。ここの周辺環境詳細は……」
『周辺状況:水中
水質汚染:なし
飲料用途:可』
「——よしっ!」
翔吾はセーフエリアを飛び出した。
ケモメチョ:『少しずつ飲むのよ』
湖岸に映されたチャット枠はブレにブレ、水を飲み干す音が生々しく響く。
「
翔吾は水面から顔を上げ、深く息をついた。
ケモメチョ:『それと、安全地帯から出るならもう少し慎重にね』
水面にチャット枠が映される。もっともな注意に翔吾は平謝りした。
「すみません、あまりに嬉しくてつい……あれ? なんだこれ、背筋が冷える」
水面のチャット枠に向けて頭を下げていた最中、翔吾は突然背筋へとおとずれた嫌な感覚に顔を振った。
「え……」
ケモメチョ:『どうしたの?』
背筋が感じ取った方角、天井を見つめながら、翔吾は安全地帯へと体を潜り込ませた。
「今はチャットを控えて下さい」
デバイスへ向けて小さく呟く。
了解の返答はない、だがいまは反応がないことこそが、伝わっている証となる。
翔吾は安全地帯から首を出して天井を見つめた。なぜこんな感覚を得ているのか全くわからない。ただ自分にとって良くないものが近づいているような——天井に穴が空いた。
「……っ!?」
口を両手でふさぎ、声を必死に抑える。
翔吾が天井に空いた穴を睨みつけるように注視していると、穴から人型の何かがズルリと吐き出され、水面へと着水した。
噴き上がる水柱から巨体と推察できる。
翔吾は安全地帯へと首を引っ込めた。
安全地帯から見える、少しだねぼやけた視界の先、水面へと浮き上がり、湖岸へとたどり着いたその姿、身長三メートルはあるだろうか。
全身の黒い肌と、禿げ頭から生える二本の短角。粗末な布きれを腰に巻き、筋骨隆々の人型。
翔吾の記憶通りならあれは
経験豊富なハンターですら、何も出来ずに殺されてしまうことも少なくない魔物である。
安全地帯は魔物に見つからないと言われていても、
いつ視線がこちらを捉えるか。叫びたくなるような恐怖に耐え、息を潜める。
そのまま無限にも思える時間が過ぎ、
響く足音は、翔吾が入った横穴の方角へと
遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。
「ふぅぅ……」
細く息を吐く。
帰る道筋が、また一つ困難なものになってしまった……けれど。
「諦めるかよ」
自分に言い聞かせるように翔吾は呟く。
薄い光が翔吾の横顔を照らした。
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