第6話 目覚め


 翔吾は頭痛と共に覚醒した。


「痛い……」


 体を起こし立ち上がって、こめかみを強く揉む。痛みが少しずつ引きはじめ——


「——小鬼ゴブリンはっ?!」


 意識を失っていた理由を思い出し、翔吾は慌てて周りを見渡した。


 薄暗い洞窟、分かれ道、ああ、この道は覚えている、が……ぬるりとした足下の感触に嫌な予感が過ぎる。


 誘われるように足元へと視線をはせれば、地面に転がる小鬼ゴブリンの死骸。


「ひいっ!」


 翔吾は腰が抜けて尻もちをつき、座り込んでしまった。


 意識を失う直前までの記憶が蘇る。


 魔物とはいえ自らが殺したという事実、僅かな罪悪感と興奮。無意識に歯がガチガチと鳴り、体が震えだす。


ケモメチョ:『おーい、ちょっとー。見えてますかー。落ち着いてよー。怪我は大丈夫なのー?』


通りすがりの田中:『この反応。やはり本物かと』

 

 洞窟の壁面に浮かび上がった文字。見慣れた日本語と記憶にある映像フォーマットが、翔吾の視界、その右端で主張していた。


「えっ? なんだこれ? 怪我? そうだ刺されたところが……塞がっている?! ……なんで?」


ケモメチョ:『塞がっているなら、たぶん魔素適応レベルアップね。魔物が死ぬ時にだけに出す、特殊な魔素を吸収すると時々起こる現象。怪我は塞がるし、身体も強くなるのよ』


「こ、これ、配信のチャットテキストの枠だ……ど、どうして? えっ? 魔素適応レベルアップ?」


 数字の羅列で象られた特徴的なデザインがされた枠は翔吾の記憶にすぐ結びついた。


 そして、誰かが自分を見てくれているという、ほんの少しの安心感からか、体の震えがおさまる。


ケモメチョ:『ねえ、貴方は何者? そこはどこ?』


「何者……? (株)ダンジョン資源開発の作業員ですけど…… ここは渋谷ダンジョンにあいた穴に落ちてきた場所で。……あれ見えなくなった……。じゃなくてWDウォッチデバイスから照射されてるからか」


 翔吾はWDからの光に気付き、照射面が壁に向くよう右手を胸の前に添えた。


ケモメチョ:『穴に落ちて? えーと、まず今の状況をいうわね。この配信を同接で視聴しているのは三人。やらせかどうか疑っていたけど貴方の様子から、どうやらこれは本物みたいだと判断している』


「本物……?」


ケモメチョ:『先に謝っとくけど、救難要請は無理だった。貴方がいる場所が渋谷ダンジョンの533階とかいうふざけた場所で、報告を受け付けてくれないからだけど。それに、穴に落ちた……ね。余計に管理局には直接連絡できなそう』


「あ……救難が、無理って、そんなことって…………そうか」


 翔吾はテキストチャットに書かれた事に、思わず苛立ちを見せて反応したが、すぐに気持ちを抑えた。


 少し考えればわかる。救助はみこめない。そもそも連絡がついたとして、こんな所にどうやってくるというのだろうか。穴に落ちて? 


 翔吾は力なく首を振った。


ケモメチョ:『だから先に謝ったの。でも私たちもできる限りのことはするつもりだから』


夜の主砲:『赤色投げ銭スパチャ/頑張れ作業員くん!』


通りすがりの田中:→夜の主砲『TPOという言葉をご存知だろうか』


赤色投げ銭スパチャ……いやっ!? だめですよっ!?」


 ハンターへの援助として視聴者から送られることがある投げ銭スパチャ。赤色で5万円と表記されている。


 翔吾は見ず知らずのものに、ましてやはじめましての相手にそこまでしてもらうことに困惑した。


「なんだこれ、何が起こってる? 本当に配信なのか?」


ケモメチョ:『それを聞きたいのはこちらなのだけど。まあいまはそれより、貴方……名前は?』


「ああ、そうだ、名前も言ってなかった。中村翔吾です。さっきも言いましたけど(株)ダンジョン資源開発で作業員をやっています」


 顔も見えず、声も聞こえない相手なら翔吾も緊張することはなく、言い淀むこともなかった。


ケモメチョ:『えーと、私たちは、なんだろう? なんて言えばいいの?』


通りすがりの田中:『新人ハンター発掘が趣味の暇人でいいのでは? 実態通りです』


ケモメチョ:『そうね。じゃあ、中村さん……うーん、翔吾でいい? ハンターって二つ名とか愛称、下の名前で呼ぶのがほとんどだから、苗字で呼ぶのってしっくりこなくて』


「翔吾で構いません」


ケモメチョ:『じゃあ翔吾で。さっそくだけど、翔吾はハンターじゃないのよね? ここにきたのは穴に落ちたから。それは渋谷ダンジョンで仕事中に起きた。で、魔物モンスターと戦ったのもさっきが初めて』


「……はい」


 死に直面した記憶がぶり返し翔吾の声は強張った。


『思い出させてごめん。でも大事なことだから続けるわよ。体は大丈夫よね?』


「体……大丈夫ですね。不思議ですけど……」


ケモメチョ:『傷が塞がったのは魔素適応で説明がつく、でも魔素中毒が起きない理由は良くわからないわね』


「そうだ……だからこれが壊れたんじゃないかって……」


 翔吾はWDウォッチデバイスを見つめた。


ケモメチョ:『まあ、私が言っておいてなんだけど、今それは考えてもわからないから後にしましょう。それより、一匹で終わるはずがないから、生き残りたいなら安全地帯を一刻も早く見つけないとだめよ』


「これだけで終わらない……」


 翔吾は胸に風穴の空いた小鬼ゴブリンを見下ろした。


 落ち着いて考えると確かにそうだ。一体で終わるわけがない。


 そして、これがまだ何体もと考えると……翔吾の背筋が冷えていく。


『そう、ここがダンジョンならこれだけでは終わらないはず。他にも魔物はいる。翔吾がどうやってそれを倒したかは今の所よくわからないけど、戦闘系スキルのはず。でも目覚めたばかりのスキルは、何度も使えない場合が多い。だからまずは安全地帯に隠れないと』


「……」


 翔吾は手のひらを握り込んだり開いたりして、気絶する直前の感覚が再び得られないか確かめる。だが、何かを感じはするものの……沈黙。


 直ぐに再現が出来ないなら、今またさっきと同じ状況になれば、今度こそ翔吾は死んでしまう。


 ならば取る手は一つ。


 ダンジョンの各階にある、魔物が近寄らない安全地帯なる場所、そこへの一時退避。講習でも習った内容だ。


 だが安全地帯は作業員に支給されるWDウォッチデバイスでは検知できない。渋谷ダンジョンは魔物モンスターがおらず、フロア全体が安全地帯で不要な機能だと判断され、搭載されていないのだ。


 翔吾は自力で安全地帯を探さねばならない。会社で受けた研修の記憶を引きずり出し、その特徴を思い出す。


「確か……規則的に石が並ぶ場所とか、不自然な窪みや場違いな構造物、がそうでしたよね。わかるかな……」


 ダンジョンによって安全地帯は様々な形をとるため、知識や経験が無いと確実な判断は難しい。


『怪しい場所があったら見せて、翔吾のデバイスはハンター用じゃないから、検知できないでしょ。こっちでも過去の記録を調べるから』


「ありがとうございます」


『それと、私たちはこの配信をあえて拡散しないつもり、たまたま翔吾に協力的な面子だけで視聴しているけれど、この界隈色んな人がいるから……それこそチャットを意味のないコメントで流されて、有益な情報を翔吾が見れなくなることがあるかもだし、反ダンジョン派だと疑われて違反通報される可能性もある。そっちの方が可能性としては高いかな。そうなればこの配信も止まる。そういったことを理解した上で拡散を希望するならそうするし、いつでも言ってくれていいから。あと管理局への直接の救難要請も、同じ理由でしない方がいいとは思う。希望するならするけど』


 壁面に映ったテキストチャットをしばらく見つめた翔吾は、生き残れる手段はこれしかないと、これまで生きてきて感じたことがない、強い直感に突き動かされて答えた。


「……いえ、拡散も救難要請もいりません。貴方達を信じます」


 軽く息を吐いて立ち上がる翔吾の目には、弱々しいながらも、確かに光が宿っていた。




 


 


 


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