第3話 落ちる
ダンジョン出現以降、徐々に高まっていった魔素濃度の影響で、一般人がほとんどいない渋谷の街中をバスは静かに進み、渋谷ダンジョン受付前へと到着する。
受付といっても、だだっ広い駐車場に仮設テントがいくつか並んでいるだけで、国が主導管理する資源採集事業とは思えないほどの貧相さだが、これは魔素が理由だ。
ダンジョン近辺の物質は魔素に侵食されすぐに朽ちてしまう。
それを防ぐ為には、耐魔素加工を施した素材を建材にする必要があるが、それはとても高価だ。
地下3階までしかなく魔物も湧かず、希少素材もない安全な渋谷ダンジョンでは、仮設テント(それでも高価だが)以上である必要がない。
「早くおりろよっ。邪魔だろうが」
「いたっ……」
神崎に軽く尻を蹴られながら翔吾はバスから降りた。
受付前周辺の魔素濃度は一般人が問題なく暮らせる通常数値の倍。バスの車体は耐魔素加工が施されているといえど、耐久値は時間と共に目減りしていくので、暴露時間は少ない方が好ましい。
そういった背景から、そのやり方は大いに問題ではあるものの、モタモタと降りる翔吾を急かすこと自体に非はない。
「グズ野郎」
神崎は言葉に合わせてもう一度翔吾の尻を先ほどより強く蹴った。
「……」
翔吾は蹴られても黙って俯いたままだった。
足取りが重くなったのは誰のせいだと、ふてくされた顔を見せようものなら、もっとひどい扱いが待っていることが分かっているからだ。
そう思いつつも、納得はしきれない翔吾のことを気にする素振りも見せず、神崎や同僚達は受付へと進んでいる。
バスが排気音を響かせたと同時に、大きく深呼吸をして、翔吾は受付にいる同僚達の後ろに並んだ。
「今日も中村は雑草むしりだぞ。邪魔するなよ」
俯いた頭上から聞こえてくる、同僚の馬鹿にしたような声色。黙って耐える。
『(株)ダンジョン資源開発、調達三課です。来場登録をお願いします。ええ、九名です、それから——』
そつなく代表での受付を済ませる神崎の声に、チラリと翔吾は前を
「行くぞ」
受付を済ませた神崎が号令を掛けた。
目指すは受付から進んだ先にある、渋谷スクランブル交差点の中央。
そこにぽっかりと空いた、センター街に向かって斜め下へ地下をえぐるように開いた直径二十メートルの大穴である。
この先に広がるのが渋谷ダンジョン、通称【大空洞】は、ここ十年で死亡者数ゼロの優良ダンジョンだ。
優良とされるのは、危険な存在である魔物が一切湧かないからである。
大空洞の中は、光苔と呼ばれる光を放つ植物が各階の天井部に密生し、視界もそれなりに確保されていて、単純な地形で迷うこともない。
関東圏の作業員はここで安全に体内へ魔素を蓄積させてスキルを獲得し、ハンターへの一歩を踏み出すのが通例だ。
およそ千人に一人という発現割合の魔素適正を持ち、更にはハンターへと至ろうとする調達三課の者たちの表情は一様に明るく、野心、欲望といったギラつきを隠そうともしていない。
彼らの顔つきは、背中を丸めて黙って歩く翔吾とは、あまりにも違っていた。
◆
採取場に到着した翔吾は作業に勤しんでいた。
稲科の外見をしたダンジョン草に向けて、手首につけたWD《ウォッチデバイス》へ近づけている。
『判定:Cです』
品質を知らせる音声を確認し、ダンジョン草を翔吾は引き抜いた。
「これでちょうどだ」
自分以外は誰も見ていないであろう、WDに登録された調達リスト。品質Cのダンジョン草は工業用途、品質Bは魔素耐性加工に必要な触媒素材に使える。
どれも世の役に立つが、課内のメンバーは絶対数の少ない、品質A(主には医療用途)ばかり狙って採取してしまう。
データで否定されているのに、根強く信じられている例の事情でだ。
データを重要視した翔吾は、勇気を出して採取についての意見を打ち出した過去がある。
ダンジョン草の生育や品質について傾向を掴みだしたあたり、入社後、半年が立った頃だ。
【品質BやCのものを、ある程度間引くように採取すれば品質Aがもっと取れるはずだ。実際、自分が担当したエリアは品質Aが取れる割合が10%は増加している。遠回りのようで近道だ。デバイスに従おう】
と、最大限の勇気を振り絞って翔吾は訴えた。
だが結果は強い反発、からの疎外というもの。
意見した翌日の定期診断で、翔吾の無成長が判明したことも事態を悪化させた。
——能無し、役立たず。無成長の癖に自分たちの成長が羨ましいから邪魔をする。本当はもっと前から無成長だと知っていたんだろう? 利益だけを享受する怠けもの——
高校の時もそうだった。魔素耐性があるとわかってからの疎外感。どうしてお前なんかが。努力もせず運がいいだけのくせに——
「……次はこっち」
フラッシュバックする、混在した記憶を振り払うように顔をふり、翔吾はダンジョン草の採取を再開した。
◆
「これで今日の分は最後、あとは残業かな」
人よりも少し大きな岩が点在するエリアで、翔吾は額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
独り言が癖になっていることに翔吾は自分で気付いていない。
規定の滞在時間はもう僅か、ここからは残業時間となる。
同僚たちは次々と引き上げていくし、他社の作業員も見当たらない。
広々とした洞窟で一人。
寂しいが落ち着く。なんとも言えない気持ちののまま、翔吾はダンジョン草の採取を続け、残業申請の二時間は流れるように過ぎていった。
今日もいつもと変わらない仕事の筈だった。
◆
翔吾がそれに気づいたのは、帰り支度を終えダンジョン草を入れたバックパックを背負って歩き出した時だ。
うつむき気味の視線の先に見慣れぬものが映った。
「えっ?」
何度も訪れた地下3階B区のエリア。そこで拳大の黒い穴が地面にあいて、その存在を主張している。
翔吾は目を細め、黒い穴を凝視した。
このエリアにこんなものはなかった筈。報告が必要だ。
どんな些細なことでも、異常があればすぐにWD《ウォッチデバイス》で知らせる。課内では翔吾だけが律儀に守っている業務規定だ。
WDを軽くタップし、報告を行うため翔吾は視線を穴から外した。
外してしまった。
穴はそれを待っていたかのように径を広げ、翔吾を一瞬のうちにその内へと落とし、呑み込む。
「いっ……!?」
浮遊感と恐怖。
「—————!」
息が出来ず、目も開けられない。
肌に叩きつけられる空気の圧力が増し、落下速度が加速していくことだけがわかる。
死。死。死。何をどう足掻こうと、このままでは死。
幼い頃の記憶、母親の笑顔。父の葬式。魔素耐性が分かってから疎遠になってしまった友人達。慰めるように癒してくれた好きな歌。最近興味を持ったソロキャンプ、胸が躍るような気持ちになった映画の最新作——走馬灯。
これで終わり。
翔吾の心は絶望に染まっていく。
しかし一秒のち、それは僅かばかりの希望へと転じる。
空気の圧力が弱まったのだ。目がわずかに開く。
そして、どんどんと圧力は弱くなっていくではないか。
まるで水の中を沈むような感触と落下速度の減少。そして暗闇から差し込むわずかな光。
うすく開けた目から見た、落下先は黒と青。
水。
そして、飛び込み競技のごとく、翔吾は運良く足から着水を果たした。
「……! ——! ……! がっ——! ぶっはぁ!!」
かなり深い場所まで沈み込んだが必死に水を掻き、水面へと顔を出す。
そのままがむしゃらに泳ぎ、どうにか足がつく場所にたどり着く。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
翔吾は膝まである水面から視線をあげた。
少し暗いが、視界は悪くない。随分と高いところにある岩の天井には自身が落ちてきた穴が——
「閉じた!?」
大口を開けていた黒い穴がシュルシュルとその径を縮め、やがて消え失せた。
帰れない。いや、そもそもあの高さまで足場もないし、行けはしないが。
「えっ……あっ……」
せっかく助かったのに帰り道を失ってしまった。
翔吾はそのことに少なくないショックを受け、口を開けて呆然としてしまっている。
翔吾の微かな吐息と、服から滴る水が落ちる音ばかりが響いていた。
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