第2話 渋谷ダンジョンへ
「さっさとしろ!」
「すみませんっ」
翔吾は課内の同僚である
都内のダンジョン関連産業各社で共同運行する定期バス便は30分に1本、他社の人員や国の役人も乗ることがあるバスは定刻通りを厳守し、おいそれと待ってはくれない。
乗り遅れれば30分後の次便。ダンジョンで活動できる時間は限られているので、怒声を浴びせられるのも当然といえば当然か。
魔素耐性と呼ばれる能力を先天的、もしくは後天的に獲得しており、その能力を買われて(株)ダンジョン資源開発のような会社に雇われている者たちでも、無制限にダンジョンに潜れる訳ではない。
規定時間を超えた残業は会社への申請が必須となる。一度の滞在時間を増やしすぎると魔素過多症という中毒症状が発生してしまう危険性があるからだ。
ちなみに、魔素耐性がない一般人が魔素耐性防護服も付けず生身でダンジョンに潜れば、一日後には魔素過多症の症状——体の震えからの発熱、やがて昏睡、放置すればそのまま死亡、良くて寝たきりとなる場合が多い——を発症する。
「グズグズしやがって。今日も端でやってろ」
課の現場部隊リーダーである神崎が翔吾へ舌打ちまじりにそう吐き捨てた。
翔吾は何も言い返さず頭を下げ、運転席近くの一人用座席で小さく縮こまる。
現場である渋谷ダンジョンまではここから15分。バスが小さく震えてゆっくりと出発すると、翔吾を除いた課内メンバーたちの会話が始まった。
「そういや神崎さん、スキルが発現したんですよね? ハンターに転向できるんでしょ? 羨ましいなぁ」
「おうよ。順調に行けば来月から免許講習予定だ」
魔素耐性を持つものはダンジョンに滞在することで少しずつ魔素が体内に蓄積し、その結果スキルと呼ばれる特殊能力を発現させることがある。
平均すると三千時間程度の滞在でスキルが発現するのが一般的だ。
スキル発現後は、体内の魔素をスキル使用によって消費できるので、魔素過多症の心配はほぼ解消され残業申請などは不要となる。
「いいなぁ、一気に二、三千万ぐらい稼げるんでしょ?」
「配信もするから、億も余裕で狙えるぜ」
「すげぇ! 神崎さん、戦闘向けが生えてきたんですか!? 早く言って下さいよ!」
「皆んなを驚かそうと思ってな」
「驚きましたって! それで実際のとこ、使う時ってどんな感じなんすか?!」
「おお、スキルを使う時ってな、体の中から力が飛び出す感覚になるんだよ。会社研修で教えられた通りだな。ハンター免許の講習終わったら、ダンジョンで使うところ見せてやるからな」
戦闘向けのスキルを得たものは、ダンジョンに自生する植物や産出される鉱石を採取する業務は卒業となり、免許登録制の
そこで一定の経験を積んだ後、フリーとして独立することが一般的だ。
「絶対っすよ! ああやっぱり良いなぁ。魔物狩り」
「お前も直ぐにスキルが生えるさ。そん時は一緒に魔物狩りしようぜ」
そして
ダンジョンのどこで、どういった理由で発生しているのかはいまだに解明されておらず、放っておけばダンジョンから溢れるほどに増殖し、外界へと災厄を振り撒く存在である。
魔素が満ちない場所では生きれず死ぬというのに
、それでも地表に出てこようとするのは、屍から魔素を噴出させて地表にダンジョン領域を広げようとしているという説もあるが、これも解明はされていない。
魔物の地上進出阻止、つまりは魔物狩りを担うのは本来、官憲や自衛隊の領分だったのだが、今はハンターがその役目を担っている。
それには理由があった。
ダンジョン内とその周辺では魔素の侵食によって耐性のない物はすぐ朽ちていくか、使い物にならなくなってしまうからだ。
それを防ぐためには、翔吾たちが着ている作業着やウォッチデバイスに施されている魔素耐性コーティングという高価な加工が必要となる。
魔物を駆逐するための銃火器の弾薬も例外ではなかった。
一発ごとに加工し、しかも撃てば無くなるとくれば、スキルで魔物を殺した方が経済的なのは言うまでもないだろう。
ダンジョン出現当初は自衛隊主導であった魔物狩りも、戦闘向きハンターが年月と共に充実し始めたことにより、費用対効果からその役目を退いた。
いまやダンジョンはハンターの領域で、魔物をハンターたちが屠る様子は、生中継で配信される人気コンテンツに登り詰めている。
そのハンターだが、魔物から取れる貴重な素材の売却益と視聴者からの投げ銭もあって、人気配信者ともなれば一回の
——揺れるバスの中、神崎と取り巻きの会話は続いている。
「絶対誘って下さいよっ!」
「おう。ところで……中村ぁ、お前、俺がいなくなったら嬉しいだろ?」
楽しげに話す最中、神崎はバスの指定席である最後方の座椅子から立ち上がると、唐突に翔吾へと声をかけた。
突然呼ばれた翔吾は、ビクリと肩を揺らし背中を丸めた。
「そ、あっ、い、いえっ……」
「別にお前がどう思ってようがいいんだけどよ、俺がいなくなったからって、また面倒くせぇこと言い出したら……わかってんだろうな?」
いつのまにか首を掴まれ襟元が締まり、翔吾は息を詰まらせた。
「お、おふっ……も、もう、そんなことは、か、考えて、いませんから……」
「いいか? お前がグズいから、みんなに迷惑かかってんのは自覚しろよ?」
ダンジョンに滞在する時間だけが能力の成長を促す要素ではないとされている。
行動もまた重要な要素とされていて、採取したアイテムの量や質も能力向上に寄与すると考えられているようだ
確たる証拠はない。20年前、地道な素材採取作業員から、日本トップのハンターにまで登り詰めた人物がそう言ったのが始まりだ。
実際、全ハンターの半数以上が、その説を自らの体感をもって支持している。
だが様々な研究がなされているが、因果関係はいまだ認められていない。
あくまでもスキル発現の要因はダンジョン滞在による魔素蓄積で、発現までの時間差は個人差という研究結果ばかりが出ているのも、その説を正と出来ない理由があった。
それにわざわざ品質を偏らせるような乱獲は会社としても推奨せず、むしろ万遍なく採取することを押している。翔吾たちが採取するダンジョン草や鉱石から抽出される物質の用途は多岐に渡り、品質が悪いものにもそれぞれの用途があるからだ。
僅かではあるが、手当増額も制定されている。
にも関わらず、課内の人員は翔吾以外誰もそうせず、品質の良いものばかりを採取しようとする。
罰則規定がないのもそれを助長させる要因だ。
証拠がないとはいえ、確かに登り詰めた人間がいる実績と、ハンターたちから語られる経験談は、現場作業員にとっては小難しい研究結果より余程信用できる。
その状況の中、罰則という制限をかけることのメリットは多くない。
現場作業員はいつか能力を向上させ、スキルを発現し、会社にとって大事な取引先となる。
モンスターを倒すことで得た素材を換金するのは繋がりのある出身の会社となるのが慣例だ。
だが罰則規定を設け、金の卵の機嫌を損ね、ハンターとなって彼らの取引先から外されたら?
会社が行う判断が、黙認一択となるのは想像に難くない。
「ダンジョンに入れるだけで、お前は恵まれているんだから、
神崎が翔吾の耳元に顔を近づける。
威圧感を放つ目つき、色黒でツーブロック。噂では大企業の御曹司だとかで態度も横柄……目を合わせるのも翔吾には苦痛な相手だ。
「作業中に恨みがましい目でこっちを見るのもやめろよ? みんなそれが気持ち悪いって言ってんだからな」
今日は乗り合いの他社人員や役人がいない。こんな日は決まって神崎からの恫喝めいた注意が入る。
「……はい」
「わかってんなら何回も言わせるんじゃねえぞ」
神崎は翔吾の脛をつま先で軽く蹴り、指定席である後部座席に戻っていく。
早く現場に着いて作業がしたい。この一年、翔吾は毎日そう考えていた。
現場なら一人になれる。
こんな風に馬鹿にされることもない。
無成長の自分を庇うようにフォローする佐山課長に迷惑もかけなくて済む。
魔素を取り込めば上昇するはずの体内魔素濃度が、およそ半年から一年を境に止まり、それ以上は上がらず、ハンターになる見込みが
十八歳になると受ける、魔素耐性検査の時点では判明せず、ハンターを夢見て、浮かれ出した作業員を打ち砕く無能の烙印。
だが、辞めるわけにはいかない。
二年前に起こったダンジョンからの魔素噴出事故によって魔素中毒症状となり、寝たきりで目覚めない母親の入院費と、その病状の進行を遅らせるための薬代を稼がねばならないからだ。
父は早くに他界し親戚もおらず、これといった特技もなく、人より劣りがちなものばかりを備える翔吾に、それらを稼ぐための道はこれ以外にない。
それに翔吾は諦めていない。前例はある。無成長でもスキルを得たハンターは少ないながらも実在するのだ。
自分もいつかはスキルを得てハンターに……。
そして、緩やかに死に向かう今の薬ではなく、母の病状を治すことが出来る、保険外の薬と高価な手術費用諸々を。
いまは表情を隠しながら、奥歯をかんでうつむいていても、翔吾はまだ諦めてはいなかった。
——渋谷ダンジョンへ向けて、バスは静かに進んでいる。
次の更新予定
ダンジョンの穴に落ちた冴えない男は、地味だけど当たりのスキルを獲得して生き残り、理不尽に耐えながらこつこつと努力を重ねて成り上がる。 山田 詩乃舞 @nobuaki_takeda
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