ダンジョンの穴に落ちた冴えない男は、地味だけど当たりのスキルを獲得して生き残り、理不尽に耐えながらこつこつと努力を重ねて成り上がる。

山田 詩乃舞

第1話 薄暗闇を走る男


「ひぃっ! あ、ひいっ! ぐひいっ!」


 薄暗く、冷たい洞穴の中を中村翔吾は走っていた。


 必死に吸い込む空気は湿っているが喉の渇きを癒してくれず、息は重く苦しい。


 吹き出た汗のせいで額に張り付く前髪が、ただでさえ冴えない22歳の顔立ちを、より情けないものへと変えている。


 筋肉のつきにくい痩せ気味の体は、運動をあまり得意としていない。それでも、これまでの人生で出したことのない速度と気合いで持って走っていた。


出口ポータルは、どこだっ……」


 いつも通り渋谷ダンジョンでダンジョン草の採取作業をしていただけのはずなのに。


 それがなぜこんなところで生命の危機に陥っているのか、いくら考えても答えはでない。


 それよりも、今は足を動かして背後から迫る魔物から逃げ切らないと、ここで死んでしまう。


 逃げる翔吾の背後、洞穴の天井に生える光苔が浮かび上がらせたのは小鬼ゴブリンの姿。


 渋谷ダンジョンでは現れるはずのない魔物だ。


 資料映像でみた翔吾の記憶よりも背が高く、知性を感じさせるような顔つきをしている。


 だがそれは愉悦を含み嗜虐性を感じさせるもので、翔吾に希望を抱かせるものではなかった。


 体色も資料映像では緑だったのに、この小鬼ゴブリンは灰色。


 貧相な体つきだと記載されていたはずだが、四肢の筋肉は力強く隆起している。


 本気になれば一息に翔吾に追いついて組み伏せ、その体へと手に持ったナイフを突き立てることなど容易いと想像できた。


 だがこの小鬼ゴブリン、翔吾が慌てふためく様子を楽しむように「ギャッ、ギャッ、ギャッ」と喜色の鳴き声をあげ、わざとゆっくり追いかけてくるのだ。


「た、たのむよっ! 出口ポータルがどこか教えてくれてよっ」


 翔吾は右手首につけたWDウォッチデバイスを懇願するようにタップする。


『渋谷ダンジョン地下533階のマップは作成されていません』


 翔吾はデバイスが出す音声に力が抜けそうになるのをどうにか堪えて走り続けた。


(渋谷ダンジョンは地下3階までしかないのに……デバイスは壊れた……。どうすれば助かる——)


 ダンジョンに潜るのであれば必須のWDウォッチデバイス


 翔吾が持つそれは会社からの支給品で、機器に登録されている渋谷ダンジョン、全地下3階の地図は、作業中に何故か発生した穴に翔吾が落ちるまでは確かに問題なく表示されていた。


「は?」


 思考を遮る間抜けな声が、自分の口から出たのが何故かを理解できたのは、強烈な右足の痛みによってだ。

 

「ぐああああっ!!」


 前のめりに倒れ込む体、頭をかばった両手の甲は岩肌の地面にすりおろされ、血がにじんでいる。


 作業服のズボンが濡れている感触が何故なのかを確認する勇気がない。


「グゲガガガッ」


 歓喜。


 背中から聞こえるおぞましい音色は、獲物を捕らえた喜びに満ちていて、翔吾は息を呑んだ。


「ひぃっ……」


 どうして、俺がこんな目に。


 こんな訳もわからず死ぬなら、いつも通りの作業をなんとかこなして、それしか出来ない能無し扱いで良かった。


 母さん……ごめん。治る見込みがなくても生きてて欲しくて……苦しかっただろ……ごめん。


 いやだ死にたくない。死にたくない。


 どうして——


 『特殊波長を検知。スキルを獲得しました』

 




 世界中にダンジョンが出現し35年。


 出現初期の混乱と混沌、いくもの国が滅び、新たな国が熾るような変動を乗り越え、人類はダンジョンから資源を獲得し、より便利な暮らしを実現するための財産として管理を行うことに表面上成功していた。




 中村翔吾が働く、【(株)ダンジョン資源開発】は国より委託されたダンジョン資源の採取業務を主な事業とし、渋谷区に本社を構える会社である。


「それでは朝礼をはじめます」


 その本社ビル3階フロアにある調達三課のエリアにて、佐山響子課長の涼やかな声が課内に通った。


「先月のダンジョン内での事故発生は軽微含めてゼロ。今月もゼロで行きましょう。スローガン確認! ダンジョン内ではー」


「「「焦らない。走らない。叫ばない」」」


「ウォッチデバイスはー」


「「「常時着用、稼働時間確認、作業時はもちろん緊急時もデバイスの指示に従う」」」


 調達三課、現場作業担当員十名が声を揃える。


「はい、それではみなさん今日も一日安全に作業をお願いします」

 

 朝礼訓示が終わり調達三課の現場作業員たちはダンジョンへ向かうための準備をはじめた。


 翔吾も皆と同じようにウォッチデバイスの動作確認や作業着に破損がないかなどの確認をはじめる。


 すると、佐山から翔吾へ声がかかった。


「中村くん」


「は、はいっ」


 女性。しかも佐山は誰もが振り返るような美人だ。元ハンターという輝かしい経歴を持ち、24歳で課長を任される才媛でもある。


 普通の男なら、嬉しさや下心といったものが滲み出る。だが翔吾は、に従い、つい反射的に顔を背けてしまった。


 佐山はとわかっているだけに罪悪感を感じながらだ。


「今月のダンジョン草採取、余剰ボーナス狙ってるのよね? このままいけそう?」


「あっ、えっ、た、たぶん、大丈夫です、はい」


「本当に? あと三日で一週間分の上乗せが必要なのよ? 残業申請がいるでしょ?」


「……す、すみません」


 翔吾はまたやってしまったと唇を噛んだ。


 残業申請をするつもりだと初めに言えば良いだけなのに。


 翔吾は実際そういうつもりだったが、誰かと話すといつもこうなってしまう。いや、女性の場合は特に顕著か。


 奥歯を噛み締めながら、翔吾の頭の中で、まとまってくれない思考が渦巻く。


 ——残業しなければ余剰ボーナスが出る採取量には届かない。それはわかっている。だから残業申請をしないと。


 けれどそうなったのは同僚たちが邪魔をするなと、渋谷ダンジョンのメイン資源である、ダンジョン草があまり生えていないエリアへ自分を追いやるからである。


 確かに自分の作業は遅い。同僚たちはさっさと仕事を終わらせて時間が余るほどなのに。


 でもそれは、ウォッチデバイスが示すダンジョン草の品質確認をきちんとしたり、取りすぎると次が生えなかったりするので、場所を散らして万遍なく採取しているからだ。


 会社からもそう指示されている。


 ただ、指示に従おうと言っただけなのに。どうしてあんな邪魔者扱いを……俺は確かに無成長の厄介者かもしれないけれど——


「——中村くん? 聞いているの?」


 佐山の少しだけ咎める口調に翔吾は顔を上げた。


「は、はいっ!」


「もう……はい、これ。申請時間は二時間以内でね。今月も余剰ボーナス頑張ってね」


「……わかりました」


 佐山から手渡された申請用紙に翔吾は必要事項とサインを書いた。


「あとはやっておくから。中村君……もう少し、思ったことを話してくれると助かるのだけれど」


「……」


 それができたら、とっくにしている。


 でさえなければ、スキルを得られれば……。いや、それでも変われるのかどうか、一体、自分はいつからこうなってしまったのか……。


 喉の奥にすら出てこない言葉は翔吾の中でドロドロと唸った。


 佐山はこんな自分にも優しく接してくれる数少ない人なのにと、まともに対応できない情けなさで、より心が削れていく。


「……出発の時間ね。中村くん、今日、勤務終わりで少し時間もらえる?」


「えっ……あっ」


 なんの用事があるのか、まさか部署変更、確かに自分は課内でも浮いた存在だけど、ここ以外でなんて——


「採取状態の評価変動、もっと聞きたいって言ってたでしょ?」


 翔吾は伏せた目をあげ佐山を見た。


 やっぱりこの人は違う。自分をちゃんと見てくれている……。


「あっ、あの、ありが——」


「中村ー! 置いていくぞっ! 早くしろっ!」


「あ、あとで、帰ってきたらっ、伺いますっ!」


 同僚の大きな声に体を強張らせ、ちゃんと佐山に返事ができないまま、頭だけを下げて、翔吾はその場を後にした。

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