第17話
まだ、明けのからすも鳴き始めて間もない、早朝のことです。教師コートニー氏の家から、10メートルほどはなれた砂利の道に、クロエ・ガーネットはいます。小さな探偵のすぐ前には、立ち上がったヒグマように背が高く、中世騎士の鎧のように角ばった肩をもつビル・ダグラス警部がいます。クロエは、警部の後ろ姿を見て、思います。
いつ見ても、頼もしい背中ね。
ダグラス警部は振り向き、クロエに言います。
「いいかい、クロエ、きみは、わたしの前に出てはいけないよ。つねに、わたしの後ろにいなさい。いいね?」
「でも、コートニー氏は、誰かに危害を加える人には見えませんよ?」
ダグラス警部は右目を細めて言います。
「昔ね、ある巡査が、年老いた老婆をりんごの窃盗の容疑で、道の行き止まりまで追いつめたんだ。逃げ場を失った老婆はどうしたと思う? 鉛筆1本をポケットから取り出し、それを持って、巡査にとびかかった。そして、相手は老人だと油断していた巡査は、無残にも目玉をえぐられた」
「うげぇ」
「まあ、とにかく、もしきみの身に何かあったら、わたしは天国できみの父さんアンドリューに顔向けができなくなってしまうんだよ。だから、わたしの言うことをきいてくれたまえ」
「わかりました」
「さあ、行こうか」
ダグラス警部は歩き出し、クロエもその後に続きます。警部は、行進する近衛兵のように律動の整った歩みで前進します。
警部とクロエは、コートニー氏の家のドアの前で静止します。
ダグラス警部が、二度、ドアを力強くノックしました。
「コートニーさん、警察の者だ。話がある。開けなさい」
ふたりは待ちます。
コートニー氏が出てくる気配はありません。
クロエは言います。
「家にいない?」
ダグラス警部が、すばやくクロエの前で人差し指を立てます。
「静かに」
警部はそういうと、黙ります。ダグラス警部は数十秒の間、獲物を凝視するヒョウよりも静かに、ただただ耳を澄ませて直立していました。やがて、警部は言います。
「いる」
警部は、ふたたびドアを強く叩きます。
「コートニーさん! いるのは分かっている! でてきなさい!」
ふたりは、またしばらく待ちます。
警部がドアのノブに手を伸ばし、それを回しました。
鍵は掛かっていませんでした。
警部は、慎重にドアを引きます。
ドアは徐々に開かれ、警部の巨体の陰から顔をだしていたクロエにも、中の様子が見えてきました。
女性教師コートニー氏はいました。
古びた椅子に座って。
警部とクロエは、ゆっくりとゆっくりと、家の中に入っていきます。
コートニー氏は、椅子に腰をあずけて、顔をうなだれているだけで、逃げようとするそぶりはまったく見せませんでした。
やがて、ふたりは、コートニー氏から2〜3メートル離れたところで、立ち止まりました。
コートニー氏は、姿勢をまったく変えることはありません。やはり、冷たい床を見つめているだけです。教師のからだは、ぶるぶると震えていました。両手で、なにかを包み隠しているようにも見えました。
コートニー氏は、紙を切るようなかすれた声で言いました。
「……そろそろ……来るころかなとは、思ってました……」
ダグラス警部が、太く冷静な声で言います。
「では、やはりあなたが彫像を盗んだんだね?」
コートニー氏は、蜘蛛の巣にひっかかったコオロギのように弱々しい声を出します。
「……いいえ……彫像は盗んでいません……本当です。神に誓います」
ダグラス警部は、少し強まった口調になります。
「では、あなたは7日の夜、子供たちを追い払ったあと、井戸の広場で何をしていたんだね?」
「わたしは……たしかに、盗みは働きました。でも……わたしが盗んだのは、彫像ではありません……」
警部は言います。
「それならいったい、何を盗んだのかね?」
教師コートニー氏は、消え入りそうな声で言います。
「わたしが盗んだのは……これです……」
そういうと、さきほどまでずっと閉じられていた両手を広げました。
手のひらに乗っていたのは、ふたつの丸い透明のガラスでした。
警部はコートニー氏に近づくと、ゆるりとそのガラス玉のひとつを取り上げました。
「これは、なんだね?」
コートニー氏は言います。
「それは……彫像の目です」
警部は、親指と人差し指に挟んだ彫像の目を見ながら言います。
「どうして、こんなものを盗んだのかね?」
コートニー氏は、一瞬なにかをためらうように口を閉ざします。
少し間があったあと、女性教師は言いました。
「その彫像の目は……サファイアで出来ています」
ずっと黙っていたクロエが言います。
「サファイア? 彫像の目はガラスよ」
警部は、窓から差し込む陽の光に透明の瞳を掲げ、まじまじと見つめてから言います。
「いや、これは間違いなくホワイトサファイアだ」
コートニー氏が小さい声を出します。
「あの……立って動いてもいいですか?」
警部はコートニー氏のほうに向き直ります。
「かまわん。だが、ゆっくりだぞ」
コートニー氏は、ゆっくりと立ちあがり、産まれたての子ヤギよりもぎこちなく、部屋の端の方へ移動します。女性教師は机のまえまで行くと、引き出しを開き、何かを取り出しました。
コートニー氏は、1枚の封筒を手に持ち、ダグラス警部とクロエのところへ戻ります。
コートニー氏はダグラス警部に封筒を手渡しながら言います。
「7日の早朝、家のドアの下に、この封筒が挟まれていました……。中をご覧ください……」
警部は、クロエにも封筒の中身が見えるように、腰をさげ、封筒を開いて中身を取り出します。
1枚の手紙用紙でした。
クロエは、その用紙に綴られている文字を凝視します。
用紙には、こう書いてありました。
〝井戸の広場の彫像の目は、サファイアで出来ている。今夜、深夜の3時、それを4番地空き家に持ってこい。おれが20ポンドで買い取ってやる〟
そのとき、コートニー氏は突然わあっと泣き出し、夕暮れ時のカラスのように大きな声をはりあげました。
「わたし、結核の母の入院費が、もう払えなくなってたんです! 贅沢をしたくて盗んだんじゃないんです! もう、こうするしかなかったんです! どうか、どうか、お目こぼしして頂けませんか!?」
警部は泣きわめく教師を手で制します。
「そういった話しは、署でゆっくり聞く。それよりもだ、いまここに2つのサファイアがあるということはだ、男に、これを渡さなかったということだな? なぜだね?」
コートニー氏は、なおも涙を流しながら言います。
「深夜の3時、男にこれを渡すために4番地空き家に行きました。でも、待てども待てども男は現れません……。村の人々が家を出始める時間まで待ちましたが……とうとう男は現れませんでした……」
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