第12話

 下宿のダイニングで、クロエ・ガーネットは丸椅子に座り、壁紙の花柄をぼーっとみつめています。

 テーブルでは、朝食のベーコンエッグが、ほわりと湯気をたてています。


 女性主人のアークエットさんが、キッチンから顔をだして言います。


「どう? ひさびさの仕事。順調なの?」


 クロエは、指先でつまんだフォークをくらくらと揺らしながら言います。


「そうね、出だしは、まずまず、ってところかしらね」

「危険なことだけは、しないでちょうだいよ。わたし寿命を縮めたくないから」


 濡れた調理器具を拭いていたアークエットさんは、突然手をとめて言います。


「そうそう! 忘れてたわ! ちょっと待っててちょうだい」


 アークエットさんはそう言うと、自室に行きました。


 しばらくすると、アークエットさんは何か小さな物を持って戻ってきました。


 アークエットさんは、椅子にすわるクロエのところにきて、手の平にのせた、その品を少女に見せます。


 ブローチでした。

 羽の形をした金色の美しいブローチで、中心に紫色の宝石が埋め込まれていました。


 アークエットさんが言います。


「これね、のみの市で見つけたの。あなたにプレゼントしたいと思ったのよ」


 クロエは青い瞳を、真夏の湖のように輝かせます。


「ええ! こんな素敵なブローチ、ほんとにもらっていいの!?」


 アークエットさんは、ブローチをクロエに手渡します。


 クロエは言います。


「うれしい! わたし、いますぐこれつけちゃう!」

「わたしが、やってあげるわ」


 アークエットさんはそういうと、クロエのシャツの襟に、羽のブローチを寄せます。


 少女はブローチをつけられながら聞きます。


「この宝石はなあに?」

「アメジストよ。綺麗でしょ?」

「うん! とってもきれい!」


 そこで、アークエットさんは先ほどまでの口調とはかわった、少し低い声で言います。


「ねえ、クロエ、聞いてちょうだい。わたしはね、そのブローチをつけて、蒸気自動車の発表会にいってほしいの。そして、将来有望ないろんな男性と知り合ってほしいの」


 クロエは、嬉しさと憂いが交じり合う、複雑な心境になりました。


 アークエットさんは続けます。


「わたし、あなたの親じゃないから、強くは言えないわ。でもね、あなたには幸せになってほしいの。なにも〝自動車の発表会で交際相手を見つけなさい〟って言ってるんじゃないの。少しづつ、社交の場に出ることに慣れてほしいの」


 ブローチを付けてもらい終わったクロエは、少し下を向いて言います。


「それは、わかるけど……。でも、やっぱり、いまはそういうことに興味が沸かないなぁ」


 アークエットさんは、笑顔にもどります。


「うんうん、どうするか決めるのは、クロエ自身よ。でも、わたしが言ったことも、少しは考えてもらえると嬉しいわ」


 アークエットさんは明るく言います。


「さあさあ、卵とベーコンが冷めて固くなっちゃうまえに、お食べなさい。お互い今日も1日、頑張らなくちゃね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る