第10話

 村の料理店『トスカーティ』は、居心地のいいお店でした。

 暖炉の火がよく効いた暖かい店内は、狭くもなく、広くもなく、といったところです。

 四面の壁につるされた灯油ランプのきつね色の光が、店のなかにやわらかく漂っています。

 ひし形の模様がならんだガラス窓からは、もう完全に陽が沈んでしまいそうな、ほのかに赤い村の様子がみえます。

 

 店のおかみさんがクロエの席まできて言います。


「決まったかい?」


 クロエはメニューを指さして言います。メニューを一目みたときから、何を注文するかは決まっていました。


「木苺のパイをください!」


 おかみさんは、眉をひそめました。


「ごめんさないね。今日は木苺が手に入らなかったのよ」


 これほど残念なことは、ほかにありません。


 クロエはメニューを再びみて、少し悲し気に、かわりの料理を探します。


 おかみさんが言います。


「ねぇ、あなた、アプリコット・パイはどうだい? うちの一番のおすすめだよ」


 クロエはアプリコット・パイ、というのは初めて聞きました。それを、試さない手はありません。


「じゃあ、それをください!」


「はいよ」






 アプリコット・パイは、木苺のパイにも負けない、人を幸せにする力がありました。生地の上に乗る、煮られたあんずは、爽やかな甘酸っぱさがあり、舌を飽きさせることがありません。


 クロエはパイの心地よい味を楽しみながら、窓の外をみます。


 窓から見える村は、もうすっかり闇に包まれていました。家々からこぼれ出る光で、かろじて道が見える、といった具合です。


 クロエは、今日これからのことを考えます。馬車が迎えにくるまで、あと2時間ほどがあります。

 今日はもう、この店でホットミルクかココアでも飲んで、ゆっくりしている?

 それとも、残りの時間、どこかを調査してみる?

 でも、暗い中で行動すると、かならず何かを見落とすし……。


 そのときでした。


 料理店『トスカーティ』のドアが、乱暴に開かれました。呼び鈴が、ぎりんぎりんと、けたたましく鳴ります。

 クロエは口の中のパイを飲み込み、ドアの方を見ます。

 オークの樹のような大男が、いかにも粗野な歩き方で、店の中に入ってきます。

 男は、サイのようにのしのしとクロエの方へ進んできました。

 クロエの目の前で、男は止まりました。

 クロエは山のように背が高い、その男の全身を、すばやく見回します。


 隆々とした筋肉ではじけてしまいそうな、汚れたシャツ。あちこちに穴が空いたオーバーオール。腰部分には、金槌、レンチ、折り畳みノコギリなどがぎっしりと詰められた腰袋が巻かれています。


 大男が大工であることは、考えるまでもありません。


 巨体の大工は、ワニのようにどう猛な歯をぎらりとみせて、クロエにいいます。


「よお、嬢ちゃんよ。おれの名前はドワイトだ」


 クロエはいたって冷静に、からだをぴくりとも動かさずに言います。


「どうも、ドワイトさん。楽しい食事をじゃましてくれて、どうもありがとう」

「はは! おもしれぇ、嬢ちゃんだな」


 やっかいなことに、ならなければいいけど、とクロエは思います。


「あんな、嬢ちゃんよ、おれは回りくどい言い方は嫌いだ。はっきり言うぞ。ひとの村によそ者がずかずか入り込んできて、そこらを詮索してまわるってのはよ、こりゃ、いったいどういう了見だ?」


 クロエは少しも臆することはありません。


「仕事。それだけ。あなたには関係ない」


 大男ドワイトは、なわばり争いをするジャガーよりも威圧的な目でクロエをにらみます。


「そうかよ、そうかよ。だが言っとくぞ、あんまり調子にのったことをしてたらよ、なんか痛い目にあうかもしれねぇぜ」


 クロエは、動揺することもなければ、怯むこともありません。


「あら、そう」


 少女は、ドワイトの目から視線をはなさず言います。


「ねぇ、食事をつづけさせてくれない?」


 ドワイトは、野太い声で言います。


「ああ、こりゃ、飯をじゃましちまってわるかったな! おれは警告したからな。それじゃ、あばよ」


 大男は、象が歩いているのかと思わせるほどに木の床をきしませて歩き、店を出ていきました。

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