第9話
ブラウンさんの家の前。
探偵少女クロエ・ガーネットは、オーク材でできた質素な造りのドアをノックします。
「こんにちは。こんにちは」
家の中から、こつこつと足音がきこえ、やがて止まりました。
ドアの向こうから、しわがれた声がします。
「だれじゃ」
クロエはドアに向かって言います。
「わたし、探偵のガーネットっていいます。少しお話させてください」
がちゃりと鍵を開ける音がなり、ドアが少しだけ開かれました。
ドアの隙間から、老人が顔を覗かせます。
「探偵が、わしに何の用じゃ」
「その、井戸の広場の彫像のことで、お話があるんです」
老人は、ドアを大きく開きました。
「入れ」
クロエはブラウン家の中に入ります。
つんと鼻をつく、薬品の匂いがしました。
あまり強くは差し込まない陽の光に照らされる室内は、いかにも〝芸術家の住まい〟といった様子でした。
人物や建物が描かれたキャンバスが、そこらに立てかけられています。壁には顔料か何かで白く汚れた上着が掛けられています。
へんてこなオブジェもありました。前衛芸術とよばれるものでしょうか。ユニコーンのオブジェに見えますが、鉄の棒でできた角は途中でぐにゃりと曲がっています。口は、丸い円盤から棒が突き出ていました。お腹は、大きな金属の円筒でできています。
芸術家の考えることは、よくわからないな、とクロエは思います。
ブラウンさんが、言います。
「紅茶か? コーヒーか? ブランデーもあるぞ」
「あ、お構いなく。そう、長居はしませんから」
「そうか」
クロエは本題に入ります。
「あの、井戸の広場から、あなたが造った彫像が持ち去られたのはご存じですか?」
ブラウンさんの目は細くなり、少し不機嫌そうな表情になります。
「わしが造った彫像だぞ。なくなったことを知らない、なんてことがあるか」
ブラウンさんは、テーブルに歩みより、飲みかけの紅茶をひと口飲みます。
ブラウンさんは続けます。
「警察にも行ったぞ」
そこで、その老人は右手をかたく握りしめました。
「そしたらな、警察のやつらはな、『いまは羊の大量脱走の始末で手がいっぱいで、彫像のことには構ってられない』などとぬかしおったんじゃ」
また、紅茶を軽くすすります。
「何が悲しいかってな、彫像がなくなったのは、もちろん悲しい。だが、それ以上に嘆かわしいのはな、わしの彫像が、羊以下の価値しかない、と思われてることじゃ!」
そこで、ブラウンさんは、大きくため息をつきます。
「ブラウンさん、ちょっとお聞きしてもいいですか?」
ブラウン老人は、下を向いて、静かに言います。
「なんでも聞け」
「なくなった彫像の名前は?」
「〝水を見守る者〟じゃ」
芸術家が考えた名前にしては、ありきたりであまりセンスが感じられないな、などとクロエは思いました。
クロエは聞きます。
「〝水を見守る者〟を盗み出すのは、どういった人間だと思います? 美術商?」
老人は片方の眉をあげて、考え込みます。
「わしはあの彫像には価値があると思っているから、美術商が盗んでもおかしくはない、と言いたい。だがな、この村には美術商もいなければ美術店もない。遠くの街から時間をかけてここまできて、わしの彫像を盗み出す、というのは、絶対にない話とは言わんが、あまり現実的でもないかもしれん。じゃあ、どういった種類の人間があれを盗むかときかれると、そうじゃな、わしにはさっぱりわからん」
クロエは話題を変えます。
「〝水を見守る者〟は、人ひとりで運べるものですか?」
ブラウンさんは、髭をなでます。
「んー、彫像を倒すだけなら、ひとりでもできるじゃろ。だが、運ぶとなると、ひとりでは無理じゃな」
「何人くらいいれば、運びさることができるんです?」
「えーとじゃな、あれがわしのアトリエで完成して、そこから運びだしたときは……えーと、そうじゃな、まず台車に彫像を乗せた。そして、後ろから、ひとりが台車を押した。そして、台車の前方に結わえたロープをひとりが引いた。そうして、彫像を運んだ憶えがある。わしの記憶がまちがってなければ、あの彫像をどこかに持っていくには、男の大人、ふたりが必要じゃ」
クロエはそのあと、彫像の特徴など、2、3の質問をしましたが、ほとんどはウィル少年からすでに聞いていたことでした。
少女はブラウンさんの家を出ると、聞いた話をざっと手帳に書き留めました。
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