第8話
アギュレーディアお婆さんの家の外部……木製の壁は暗く、古めかしく、湿った苔の匂いを発しています。全体的に、幽霊がでると噂の空き家のようにどんよりと薄暗い感じがします。
さきほどウィル少年といたときと同じように、家の中からは、何かしらの楽器の音がたえまなく聞こえてきました。聴いたこともない、何の感情を表現しているのかもわからない、へんてこな音楽です。
探偵少女クロエ・ガーネットはドアをノックします。
「こんにちは」
クロエにはわかっていたことですが、誰もでてきません。それはそうです、家の中では、そうとうにうるさい音がこもっているのでしょうから。
クロエは、家主に怒られてしまいそうなくらい、強く、乱暴に、何度もドアを叩きます。
「こんにちは! こんにちは! ごめんください! ごめんください!」
音楽が止みました。
ドアの向こうから、いろんな音が聞こえてきました。すたすたと、ひとが歩いているような音、次は、がらんごろん、と何かが転がっているような音、お次は、ばちん! がたん! という衝突音。
やがて、ぎりぎりと鈍い音をたててドアが開かれました。
童話にでてくる、魔女そのものの、お婆さんがでてきました。
クロエは、すこし怯えるような口調でいいます。
「アギュレーディアさんですね?」
お婆さんは、シミだらけの大きな鼻を、ふん、と鳴らします。
「そうだよ」
気の難しい人にも見えなければ、社交的な人にも見えません。
「あの、少しお話しできますか?」
アギュレーディアお婆さんは、開いているのか瞑っているのかわからないほど、細い目で、クロエを見つめます。
「入るかい?」
クロエはその言葉を意外に思いました。
「ありがとうございます。お邪魔させていただきます」
「さぁ、入んな」
クロエは、アギュレーディアお婆さんの曲がった背につづいて、家の中に入ります。
とても薄暗い家の中でした。
今にも壊れそうな棚が窓をふさいでいて、家のなかに陽の光は入りません。
室内を照らすのは、どろどろに溶ける太いロウソクの火と、すすだらけで真っ黒になっているランタンの明かりです。
家の中の匂いは、かなりどくとくでした。木の樹液を煮詰めたような匂い、とも言えますし、家具用のニスと油を混ぜたような匂い、とも言えます。こんな匂いのする家には、入ったことがありません。
棚には、有名古物店にも顔負けなほど、様々な物が置かれています。
レンズにヒビのはいったオペラグラス。卵の殻だけが山のように入れられているカゴ。中身になにも入っていないガラス製の香水入れ。タイヤがはずれたローラースケート。
クロエは床に視線を移します。
うわ!
クロエを脅かせたのは、床に転がった無数の散弾銃の薬莢です。
いったい、何を撃ったんだろう……。
散弾銃の薬莢意外にも、いろんな物が床に散乱しています。
黒い取っ手がおどろおどろしいノコギリ。油が抜けてかさかさになっているクリケット用のミット。コレクターに売ればいい値段になりそうな、かぎ煙草の缶。そして、とくに目についたのは、このアギュレーディアお婆さんが扱えるとは思えない、複雑な仕組みをしていそうな写真撮影機です。
やはりと言うべきか、楽器のたぐいは、たくさんありました。
吹き出し口がなにかでべとべとと汚れている、艶のないトランペット。蛇腹のあちこちが破れたアコーディオン。この家のものとしては珍しく、そこそこに程度のよい綺麗なバイオリン。
そして、この家の大部分を占めるのがこれ、パイプオルガンです。
パイプオルガンは、使い古され、くたびれた感じは強いですが、どこかが壊れている様子もありません。パイプオルガンのパイプ部分は、教会や聖堂のオルガンのように、視界に収まらないほどの大きさではありません。なんとか個人宅でも扱える大きさです。とは言ってもアギュレーディア家は、このパイプオルガンに占拠されている、と言っても過言ではないでしょう。
クロエはすぐに分かります。先ほどからずっと家のそとに流されていた曲は、このパイプオルガンによって奏でられていたものだと。
パイプオルガンの横には、どこかで見たことのあるような、新し目の機材がありました。
木製の台座の上に、粒がついた円筒状の金属があり、その円筒状の金属にはハンドルか何かがついていて、そして、てっぺんにはラッパのようなものがあります。
あれは、なんだったかしら……最近、新聞かなにかで見た気が……。あ! あれは蓄音機!
などとクロエが考えていると、アギュレーディアお婆さんが口を開きました。
「あんた、なんか話しがあるんだろ?」
穏やかでもなければ、威圧的でもない、ちょっと表現しがたい話し方でした。
「ええ。そうなんです。井戸の広場の彫像が無くなったのはご存じですか?」
「井戸の広場の彫像が無くなった? なんでだい?」
「いや、わたしもそれが知りたくて、いまいろいろと調査しているところなんです」
「はぁ、そうかい」
「彫像が持ち去られたのは、おそらく7日聖金曜日の夕方から、深夜だと思うんですが、そとで何か変わったことはありませんでしたか?」
自分でも、的外れな質問をしているな、とクロエは思いました。
「見てわかるだろう。うちの中から外はみえんわ」
「そうですよね。なにか、いつもとは違う音が聞こえたり、っていうことはなかったですか?」
「あたしはね、毎日、1日中ここでオルガンを弾いててね。聖金曜日だろうと、いつだろうと、一時も休まずオルガンが鳴ってるから、そとの音なんてずーっと聞こえないよ。悪くおもわないでちょうだい」
予想通りの返答でした。
「わかりました」
クロエはバックから、名刺を取り出し、アギュレーディアお婆さんに差し出します。
「もし、もしなにか思い出したら、こちらへ電報を送ってください」
クロエは、アギュレーディアお婆さんが、名刺を新たなコレクションかなにかのように、光に掲げて眺めている姿を見ながら、こう思います。
さて、次はどうする? そうそう、彫像の作者で芸術家のブラウンさん。会いに行ってみよう。
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