第7話
ウィルから聞いていたとおり〝井戸の広場〟は、とても広場とは言えない、狭い空間でした。膝の高さほどのレンガが円を描いて広場を囲んでいます。レンガに囲まれた地面は、街の石敷きとは少しちがい、表面に丸みがある、カキの殻くらいの大きさの石が敷き詰められていました。
もちろん、石敷きの地面の中央には、井戸があります。クロエは井戸から少し離れたところにいましたが、井戸がもう使われていないことは、すぐにわかりました。なにしろ、井戸は苔だらけで、桶を引き上げるロープも朽ちて、ちぎれています。
ウィル少年が井戸の裏側へ向かい、クロエもその後につづきます。
「ここだよ」
ウィル少年は、石敷きがなく、土がむき出しになっている正方形の場所を指さして、言いました。
土がむき出しになっている場所には、重い何かが長年も鎮座していたことは間違いありません。そうです、そこに彫像があったのです。
探偵クロエは言います。
「なるほどね。綺麗になくなった、って感じね」
クロエは、少年に聞きます。
「あらためてきくけど、彫刻になにか、特徴はあったの?」
少年はあごを指先でさわりながら言います。
「んんー、そうだね、目がガラスでできているのが特徴的かな」
「ガラスでできているのは、目だけ?」
「そう。目以外は、全部、石さ」
「わかったわ。まえに、きいたかもしれないけど、彫像の大きさは?」
「等身大、ふつうの男の大人と同じ高さだよ」
とつぜん、少年はなにか思いついたように、手をたたきました。
「そうだ、クロエさん」
「なあに?」
「彫像の詳しいことなら、僕なんかに聞かないで、造った本人に聞くのが1番だよ」
「彫像の作者ってこと?」
「そうだよ。芸術家のブラウンさん」
「その、彫像を造った芸術家のブラウンさんは、この村に住んでいるの?」
「そうだよ」
クロエは、ブラウンさんの家の場所を、ウィル少年からききました。
「ウィル、こんどは、この井戸の広場について、教えてちょうだい」
「なんでも、聞いておくれよ」
クロエは井戸を指さして言います。
「まあ、見ればわかることだけど、もうこの井戸は使われていないのよね?」
「そうさ。僕が産まれてすぐに、この井戸は枯渇してしまったらしいよ」
「じゃあ、ここに来る人は、もういない?」
「いやいや、まったく誰もこないってわけじゃないね。僕と母さん以外にも、気分転換にここに来る人はいるし、かくれんぼで、この井戸の陰に隠れようとする子供もいるし。うん、うん、子供たちはよくここにくると思う」
「あなたが彫像がなくなったのを知ったとき、つまり4月8日の朝、あなたとお母さん以外に、誰かここにいた?」
「いや、僕と母さんのふたりだけだったよ」
「あなたとお母さんは、毎日ここに来ていたのよね? 7日の朝は、だれかここにいた?」
ウィル少年は考え込みます
「んんー、7日の朝も、ぼくたち以外、だれもいなかったと思うな」
クロエは、ほんのすこし強い口調になります。
「〝思うな〟じゃこまるの。間違いなく、だれもいなかった?」
ウィル少年はくびを縦に振ります。
「うんうん、7日の朝も絶対、ぼくたち以外、人はいなかったよ」
「そう、わかったわ」
クロエは、そのことをメモします。
小さな探偵は、しばらくのあいだ、彫像の台座跡のまわりを見回します。そして、そのあとウィル少年に言います。
「ウィル、いろいろとありがとう。あなたは先に帰ってちょうだい。ここからは、ひとりで集中して調査するわ」
本格的に調査をはじめようとするクロエの姿に、頼もしさを感じたのでしょうか。ウィル少年は笑みを浮かべています。
「じゃ、ぼくは行くよ。クロエさん、よろしくたのむよ! がんばってね!」
ウィル少年は、クロエに背を向けて去っていきます。
ウィル少年の小さな背中が、小道のカーブの裏へ消えていくと、クロエは大きく何度か、深呼吸をして、新鮮な酸素を頭のなかに送り込みます。
そして、顔をさげ、広場の地面を凝視します。
少女の熱い視線で、地面が溶けてしまいそうなくらいです。
少女は地をじっくりと見つめながら、少しずつ足を動かして移動します。
地面のうえで、何か小さなものが、鈍い輝きを放っていました。
クロエは、その小さなものに近づきます。
それは、豆粒ほどの大きさもない、金属でした。
クロエは金属をつまみあげます。
痛たたた!
金属はあちこちが鋭利でした。クロエは指を切っていないか見てみましたが、幸い怪我はありませんでした。
クロエは、怪我しないようにやさしく金属を親指と人差し指で挟み、空にかかげます。
何かの、破片?
クロエには、そう思えました。
なんの破片だろう。
クロエは金属の破片を、いろんな角度から眺めます。でも、いったいなんの破片なのか、皆目検討がつきません。
少女はジャケットのポケットから、とても小さな麻袋をとりだします。そして、金属の破片をその中にいれ、ポケットにしまいます。
クロエは手帳に、次のように記します。
〝井戸の広場の地面に、金属の破片A〟
クロエは、また地面をぐっとみつめ、ゆっくりと移動します。
地面には、金属の破片以外、これといって気になるものはありませんでした。
クロエは顔をあげ、ずっと下を向いていて痛くなった首をもみほぐします。
こんどは、広場の周りをゆっくりと、みまわします。
広場を囲むものは、樹々が高く伸びた森だけに、思われました。
そのときです。
ひゃぁ!
クロエはとっさに屈みました。
なぜかと言うと、クロエのすぐ近くの木の枝に、それはそれは巨大なハチの巣がぶら下がっていたからです。
スズメバチの巣だわ!
クロエは頭を抑え、動いちゃいけないと、自分にいい聞かせます。
クロエはしばらく石のように固まっていましたが、やがて、おそるおそる顔をあげ、ハチの巣の方を見ます。
奇妙でした。
木の枝にぶら下がっているのは、間違いなくスズメバチの巨大な巣ですが、ハチはどこにも見当たりません。
クロエはゆっくりと立ち上がります。
どうして? どうしてハチはいないの?
木の周りを飛び交うハチもいなければ、巣を出入りするハチも、1匹もいません。
少女は落ち着くように深呼吸しながら、他の木々も見ます。
スズメバチの巨大な巣は、他に、いくつもありました。
クロエは十分に警戒しながら、他の巣を凝視します。
やはりハチはいません。餌を探し求めてせわしく飛び回る働きバチもいない……。幼虫たちに餌を与えるために巣に潜り込もうとするハチもいない……。
どうしてなのか、さっぱりわかりませんでした。
クロエはハチのことから、調査のことに気持ちを切り替えます。
獲物を探す鷹のように井戸の広場を観察します。観察には時間をかけましたが、他には気になるものはありませんでした。
クロエは心の中でつぶやきます。
さて、つぎはアギュレーディアお婆さんね。
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