第12話 父の教え
暴走を始めた馬車を引く馬が向かう先に、老婆と孫と思しきちいさな子がいる。ボクは暴れている馬にあやまった。そして両手に握っているあまりにも分厚い両手剣の腹で馬を殴りつけ気絶させた。
馬は倒れたが、馬車は勢いがついたまま、車輪が近くの車止めにぶつかり、ひっくり返ってやがて停止した。
「大丈夫ですか?」
「は、はい、ありがとうございます」
「おにいちゃんありがとー」
老婆とちいさな女の子を安全な場所まで誘導した。その間にひっくり返った馬車の客車から男が這い出してくると、「おまえだな?」と声を荒げながらボクに近づいてくる。少し予想はしていたが拳をもらった。黒づくめの高級感の漂う多色の絹糸をふんだんに用いられた精緻な刺繍入りのコートに身を包んでいる。ひと目で貴族かすごいお金持ちの家のものだとわかる。
──さほど痛くない。以前なら違っていただろうが、ボクは身体能力がかなり成長している。だけど執拗に殴られると、顔が腫れてくる。村で殴られていたときの記憶がよみがえる。
:
:いや、公衆の面前はまずいだろ。やるならこっそりやらないと
:
(あ~大丈夫。あと10秒待ってやめなかったら処刑するから)
:カウントダウンw
:すぐやれば?
:いや、これは邪魔がはいりそうだ
「レオナルドやめて!」
もうひとり、御者の男と護衛の男に引っ張られて客車から出てきた女性が呼びかける。
(ちっ)
:ちっ
:ちっ
「しかし、この男が馬を剣で襲ったのです」
「私も見ました。その方は馬が暴れたのを止めてくれました」
女性が、足首を捻ってしまったのか、片足をかばいながらこちらまできた。
「覚えてろ? いずれ後悔させてやるッ」
男が、耳元でそうつぶやき、ボクから離れて女性と並ぶ。
「あなたが馬を止めてくれなかったら、町の皆さんにご迷惑をおかけするところでした」
「……いえ、お構いなく」
隣にいる男性との関係がどうあれ、いきなり殴ってくるような輩の関係者とは正直あまり関わり合いたくなかった。
御者をしていた男と護衛の男ふたりが、彼らのすぐ後ろに立っていたが、レオナルドと呼ばれた男が振り返り、「キサマらも悪い」と彼らにも暴力をふるい出した。
「レオナルド。婚約者であるあなたのことを見損ないました」
「なっアンナ殿。私との婚約を拒めば、あなたの父上が悲しみますよ?」
「けっこうです。父に今日のことを話せば喜んでくれると思います」
「……後悔しますよ」
レオナルドは、捨て台詞を残して、御者に後始末を命じ、護衛ふたりとともに肩を
「怪我をされてるんですよね? ボクが家まで送ります」
「ではお言葉に甘えます」
取り残された女性。アンナさんはなぜか少し頬を赤らめながら、ボクの肩につかまる。彼女もまた一般市民とは到底おもえない白を基調とした金糸や銀糸で編みこまれたドレスを着ており、ネックレスやブレスレットなどが、彼女をより一層周囲から浮き上がらせていた。
彼女をここでひとりにしたら、きっと危ない目に遭ってしまう。なるべく大きくて人通りの多い道を選びながら彼女の家まで辿り着いた。
──予想はしていたが、それ以上だった。
アンナさんの家に向かっている途中。建物の隙間から遠くに大きな屋敷が見え隠れした。そこからずいぶんと歩いた覚えがあるが、まさかその大きな屋敷が彼女の家とは驚いてしまった。
門が開くと、大勢の使用人が押し寄せ、あっという間にアンナさんを連れていった。ポカンとしているボクに使用人のひとりが近づき、アンナさんのお客人として迎え入れられた。
建物の一室に通されたボクは、そこでしばらく待機することになった。待つこと30分、アンナさんが服を着替えて、父親とみられる人物といっしょに部屋へ入ってきた。
「アンナの父、ウイリアム・Ⅲ・マークスです」
「セル・E・モティックです。はじめまして」
アンナさんの父、ウィリアムさんは、階級が〝Ⅲ〟──つまり貴族階級であることを示している。ボクも名を名乗ったので、工民階級であることがウィリアムさんに伝わった。
「話はアンナから聞きました。なんとお礼を申しあげたらよいか」
「いえ、私は馬車に轢かれそうになった年配の女性とちいさな女の子を無我夢中で助けたまでです」
「そのあと、ここまで送り届けてくれた。なにか礼をさせてください」
「これしきのことでお礼を受け取っては、亡き父に叱られそうですので……」
やんわりと断ったつもりだが、マークス卿は首をひねる。
「失礼ですが、工民階級であるセル殿の父君が騎士道に似た教えを?」
「実は……」
ボクは父、マルコ・モティックについて説明した。それはボクにとって大変な告白であり、すごく勇気がいるものだった。もし、父の話をして、目の前の紳士に非難の目を向けられたらと思うと、今にも膝が震えそうになる。
「なんと、あの〝紅い夜〟の首謀者とされるマルコ殿のご子息とは」
「父を知っているのですか?」
「いえ、直接の面識はありませんが、マルコ殿は勇猛果敢、公明正大の士であると巷で評判でしたから、あのような事件を起こすとは私には今でも疑念が拭えないのです」
「あ……」
「セルさん大丈夫ですか?」
なんでボクは涙をこぼしているのだろう? アンナさんがボクのことを気にかけてくれている。
「すみません。自分でもよくわからなくて」
顔を背け、すばやく涙を手で拭き取る。
たぶん、嬉しかったんだと思う。母以外のひとから父のことが聞けて、そして父のことを認めてくれていた人物と出会えて……。
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