日本を守る最後の楯

海上保安庁事件対策本部 東京都 23:00


池田海上保安庁長官が重い口を開いた。

「この一件、海上保安庁では対処しきれないと思います。」

「何をいうか!海上保安庁の特別警備隊をもってすればできないということはないだろう!」

そう豪語するのは内閣総理大臣、石田であった。

「危険過ぎます。私たち海上保安庁は戦闘専門ではありません。」

「そんなのやってみなきゃわからないだろう!」

総理ができる限り海上保安庁のみで事態を収拾させたいのには理由がある。単純に今までの政権が行わなかったを使う決断をしたくないのだ。いつの世も政治家は国民の生命財産より我が身が可愛いらしい。通常、警察も海上保安庁も自国の治安維持に最後の楯には関わってほしくない。自分たちで治安を守るのは不可能ということを証明してしまうからだ。しかしその恥を忍んで純粋に職員の命を思い、その最高責任者たる長官が総理に最後の楯を使うように具申するのはどれほど勇気のいることか計り知れない。大学の階段教室を連想させるその部屋に二人の男の言い争いのような言葉が響き渡る。その横で警察官や海上保安官が恨めしそうに総理をみながら、爪が食い込むほど拳を握りこんでいる。現場の生命より自分の政治生命が大事だと口では言ってなくても、その態度がそう言っているのだ。

「総理、もうわめくのはやめにしましょう。敵は躊躇せずに保安官を撃ちました。これは最後の実力組織に頼るのがいいでしょう。」

その雰囲気に耐えかねてか、金田国土交通大臣が発言した。彼女は元警察官僚で女性初の大阪府警本部長を務めた本物の役人であった。そして彼女は会議室の端にいた美濃部海上幕僚長に視線を向けてこう聞いた。

「巡視船おきつと該船の間には約800mの距離があったと聞きます。この距離で機関銃を正確に艦橋に向けてきたということですが、これは素人による犯行だと思いますか?」

「非常によく訓練された特殊部隊の可能性を考慮する必要があるかと、少なくとも軍事訓練を受けたことのない人間には不可能な技です。」

「総理、仮に外国による破壊工作だった場合、我らが相手にしているのはただの賊ではありません。海上保安官をいたずらに殺しかねません。ここは然るべく、該船の制圧を含めて自衛隊に引き継ぐべきかと。」

「し、しかし。」

「そんなに自分の政治人生が惜しいですか。私は我が身可愛さに海保に頼り失敗を招いた総理より、しっかり自分の責任で自衛隊を動かした総理のほうが世論からの評判もいいと思いますけどね。」

ただいたずらに年齢を重ねただけの中年に、この手で府民、日本国民を30年以上守り続けた老婦人が折檻しているようだった。最後にはなんとか総理から自衛隊の出動の承認を受けた。


海上自衛隊横須賀基地 24:00

横須賀警備隊隊舎のある一室に神妙な面持ちをした15人の隊員が集められた。前で話す制服を着た幹部自衛官の胸に輝くバッジは金色のコウモリとサソリの徽章。海上自衛隊特別警備隊。能登半島沖不審船事件をきっかけに2001年、アメリカ海軍のNavy SEALsをモデルにした特殊部隊として創設された部隊で、ヘリコプターや高速ボートによる不審船への移乗強襲を専門にする日本初の特殊部隊である。今回の事案においては特効薬とも呼べる。まず海上保安庁からの情報や該船の設計図をもとに攻撃を受けにくい接近経路、人質がいるとおぼしき区域のおおよその検討をつけることから始まった。人質の数は22人。スエズマックス級の巨大タンカーだ。それくらいの数の乗員はいる。人質が多く隠せる場所も広い。しかしその巨体ゆえどんなに頑張っても船に死角はできる。これは突入する上では有利に働く。一通りブリーフィングが済んだ彼らは青い戦闘服に身を包み、夜の横須賀基地をヘリで飛び立ち、相模水道に待機している護衛艦いずもに向かった。


護衛艦 いずも


護衛艦いずもの艦内はさながら地獄であった。負傷した海保職員達に対して懸命な治療が継続されていた。しかし、銃で撃たれた負傷者を一気に11人も受け入れた経験はなく、衛生隊員はまだしも入隊したばかりの経験の浅い海士は慣れない血の匂いでパニックを起こすものもいた。男性は月のものがないので血の匂いを嗅ぐ機会はない。故に反射的に嘔吐してしまう隊員も多数いた。手術室や医務室の病床では足りず、緒方艦長は艦長室のベッドを臨時の病床とした。また輸血用血液が足りなかったので地上の基地から取り寄せた。ヘリでは間に合わないと判断した艦長は輸血物資は航空自衛隊入間基地から救難機(固定翼機でヘリコプターよりはるかに高速)から艦艇の近くに投下してもらい。それをボートで引き揚げ、艦内に持ち込むという荒業を考案、実行した。輸血作業も順調に行われて23時を回るころになるとすべての海保職員が命の危機を脱したとの放送がなり艦内は歓喜に沸き立った。


巡視船さがみ


「該船を目視で捕らえました!」

航海士の叫びが艦橋に響き渡る。我らが深淵を覗くとき、深淵もまた我らを覗いている。敵もさがみの白い船体を確認したことだろう。船内に一気に緊張が走る。足が震えているものもいる。目視できるギリギリのラインを周り船体の外観からわかる情報を収集する。ロケットランチャーの装備が確認された以上、いたずらに接近することは許されない。さがみの西約10kmの海域に海上自衛隊の第四護衛隊群、いずも、むらさめが。東20kmの海域には被弾したおきつがいる。応援の他の巡視船が到着するまでもう少し時間がかかる。一隻のさがみでこの脅威に立ち向かわなければならない。さがみは高度な操船技術を駆使して移動しているネレウスの周りを回りだした。ネレウスの左舷側に回ったところで後部デッキに縄梯子が垂れ下がっているのが見えた。これは恐らくテロリストが船内に侵入に使ったものとみて間違いない。つまりこの襲撃を支援した船舶がいる。さらに縄梯子を残していることから何かのタイミングで離脱するつもりだろう。その離脱のタイミングが部隊突入のチャンスになるかはまだわからないが重要な情報として共有した。そしてこのタイミングで積荷の情報が入った。警視庁組織対策本部の巣鴨警視からの報告だ。警視庁の組対と聞くだけで嫌な予感しかしない。内容は最悪も最悪だった。「劣化ウラン」。さがみはただのテロ事件ではなく文字通り国家存亡の危機と対峙しているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る