日本を守る最初の楯
武装集団に石油を満載にしたタンカーが襲撃を受けたとの通報は海上保安庁を震撼させた。通報を受けた東京湾海上交通センターは速やかに第三管区海上保安本部に連絡し通報の内容を伝えた。保安本部では本部長を指揮官とした事件対策本部を設置。横浜海上保安部からは巡視船さがみが緊急出港、羽田航空基地からはうみわしがスクランブル発進し情報収集を開始した。通報から30分後、うみわしから第一報が入る。「デッキ上に武装した集団あり、シージャックとして間違いない」。最も恐れていた事態が発生をした。2時間後通報を受けた海域に最も近い位置にいた巡視船おきつがタンカーと同航する形で接近した。
巡視船おきつ艦橋 20:00
「巡視船おきつ、武装集団に占拠された該船の右舷800mの位置を同速度で航行中、該船に対して通信を試みる。」
「了解、該船にはロケットランチャー等の対艦装備を備えている恐れがある。十分に留意しつつ通信を試みよ。」
船長の稲葉一等海上保安正はまず無線で英語と日本語でシージャックの目的を聞いた。しかし反応がない。次に国際信号旗を掲揚して通信を試みる。「貴船の目的はなんなるや」。やはり応答がない。
「不気味ですね」
長友通信士がそう言いながら双眼鏡を覗いた。
「屈め!」
稲葉船長の怒号が静寂の船内を貫ぬいたその瞬間。
ドガガガッ!
チェンソーを連想させるような鈍くて不快な音が船内に響き渡る。
「野郎撃ちやがった。」
「応戦許可を!」
「駄目だ!人質がいる!いったん引くぞ!」
暗くてよく見えない。弾丸がヘルメットをかすめた。航海士は恐怖で動けない。船長は身を屈め這いつくばりながら舵を面舵に切り海域を離脱しようとした。ヒューンッ。ロケットランチャーと思われる閃光が船のすぐ横を抜ける。
「該船、我に攻撃せり、該船、我に攻撃せり」
通信士の叫びが船内、通信指令室にこだまする。
「すぐに離脱せよ。」
離脱の間にも攻撃は続く、攻撃を少しでも和らげるため上空に対する威嚇射撃を実施した。最低限の安全確認をしてあとはめちゃくちゃにぶっ放した。離脱まで10分とかからなかった。しかしその10分はおきつの乗員にとって永遠に感じられるような時間であった。おきつは180度回頭してタンカーの右舷後方まで退避した。
「被害報告ッ、グッ、ガアァァァ」
アドレナリンで堰き止められていた痛覚が決壊したダムのように稲葉の海馬に流れ込む。まるで溶かした銅を流しかけられたような激しい痛みが彼の右大腿部を襲った。なぜ今まで立ていたのか。傷口が熱い。過呼吸になる。「スッーハ、スッーハ」、過呼吸独特の呼吸音がする。まずい、やばい、落ち着かないと。頭ではわかっていても身体が言うことを聴いてくれない。傷口が熱くなり、胸のあたりが冷たくなっている。自分はどれくらい血を流したんだろう。止まらない。死ぬのか。死ぬのかここで。死ぬんだ。俺は死ぬんだ。嫌だ。まだ妻と一緒に行きたい場所がある。子供に見せてやりたい景色がある。まだ、まだ生きたい。助けてくれよ神様、、、彼の意識はついに落ちた。
巡視船おきつが攻撃を受けた一報は事件対策本部を通じて総理大臣、国土交通大臣、防衛大臣へと伝達された。そして一報から20分後、内閣総理大臣の名のもとに「海上警備行動」が正式に下令された。
横須賀沖 第四護衛隊群 護衛艦いずも 20:30
「艦長、市ヶ谷からです。」
当直士官が顔を青ざめながら艦長室に入ってきた。
「ありがとう。見せてくれ。」
艦長の緒方一等海佐は手紙を一瞥するとすぐに
「対水上戦闘用意!これは訓練ではない!動員態勢は甲号とする!(全員配置の意)」と叫んだ。
「最大戦速で相模水道に向かえ。5分隊長と医官を呼び出せ、海保に負傷者が出た上に横浜に引き返す暇はないほど重傷とのことだ。いずもの手術室を開けるぞ。後続のむらさめにつなげ!衛生隊勤務経験者がいたら引っこ抜け!副長は治療の指揮にあたれ!」艦長室から艦橋に戦闘服に着替えながら指示を飛ばす。従卒の一等海士が艦長の制服を畳もうとすると、「ベッドの上に放っておいて構わない!君も戦闘配置につき給え!」と、いかに艦長がことを重大に捉えているかがわかる。その後に3分もせず医官を乗せたヘリが爆音と共に飛び立った。被弾した海保職員の容体を聞いていた通信士や航海士は祈るような気持ちでそれを見送った。
海上保安庁 巡視船さがみ 21:00
同輩艦が攻撃されたとあって船内には異様な雰囲気が漂っていた。おきつ船長稲葉の海上保安大学校時代の同期であり親友の三宅もさがみにいた。「おきつ船長が出血多量で意識不明の重体」この報告が三宅の胸を締め付けていた。海上保安大学校、将来の日本の海と未来を守り抜くという共通の目的をもつ200人の若者が日夜厳しい訓練に明け暮れるわが国唯一の教育機関である。そんな海保大で2人は出会った。2人とも同じ兵庫県淡路島出身、阪神淡路大震災で被災経験があり海上保安庁の巡視船に救われたことから海上保安官を志した経験まで同じ。2人はすぐに親友になった。教室には47都道府県津々浦々から集められた血気盛んな若者たちがいた。そんな中いつもいの一番に助けを求めたり求められたりする仲だった。そんな同期が今テロリストに撃たれ死の淵を彷徨っている。
「ちくしょう」
三宅は絞り出すように呻いた。
すると2人にとって3期先輩になる加藤船長が
「おい、稲葉の分まで俺たちがやるべきことがあるだろう。今一番悔しいのは稲葉なんだ。できることなら彼が解決したかったには違いない。俺たちがやることはただ一つ、稲葉から病院から退院するときに勝利を報告できるようにすることだ。泣いている場合じゃないぞ。」
頼りになる先輩だ。
「はい!」
「船長!おきつの負傷者がいずもに収容されました!」
「よし、わかった!船内放送につなげ!」
船内放送___
諸君、船長の加藤だ。もう状況を理解してる者もいるかも知れないが本日20時頃、相模水道において発生したG事案(テロ事件のこと)について先ほど対処にあたっていた「おきつ」が攻撃を受けた。同期や友人が乗り込んでいるものもいるだろう。本船の任務は「おきつ」に代わり監視業務を継続することだ。諸君には今一度海上保安庁に入庁したときの誓いを思い出してほしい。我らはあの青い庁旗に何を誓ったかを。ただ一つ与えられたる人生と言う名のいのち、これを海に仇なす者を絶やすべく使い果たさんと誓ったのではないか!その誓いを果たすときが今まさにきた。我らの後ろには首都圏1200万の命があることを忘れるな!!我ら海上保安庁こそが日本を守る最初の楯だ!私は諸君がその義務を果たすこと信じる!!
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