第2話 最低なこと
――少なくとも、私は自分を善人だとは思っていない。
それは前世のことも含めてだけれど、実際に今やってしまったことは最低なことなのかもしれない。
「では、こちらにサインをお願い致します」
目の前にいるのは奴隷商の男――私が少女を買うと言って、そのまま契約の流れに入ってしまったのだ。
室内には私と奴隷商、そして私が買う予定の少女の姿があった。
今もなお逃げられないように首輪や枷で繋がれており、目を伏せたままに暗い表情を見せている。
そんな彼女を間近で見て、改めて思う。
似ている――本当にそっくりだった。
私が好きだった人に、よく似ているのだ。
こういうのを他人の空似、というのだろうか。
「お客様?」
「あ、すみません……」
思わず、書類にサインする手が止まってしまうほどだ。
さらさらと、私はいくつかある書類にサインをしていく。
ほとんどは内容を見てから名前を書くものであるが、私は正直彼女の姿が気になってあまり見ていなかったと思う。
ただ、こういう言い方はあまりよくないのかもしれないが――彼女は思ったより高い値段ではなかった。
奴隷というのも色々であるから、値段に差が出るのは当然なのだろう。
名前はリズ・パレット――年齢は十六歳で、私より年下だ。
もっとも、精神年齢という意味では私はもっと上なのかもしれない。
まあ、過去を思い出したのも幼少期であるし、正直前世の記憶があっても前世と同一人物であるかと言われたら説明の難しいところではあるけれど。
ただ、書類の中に一つ気になる項目があった。
「……種族、淫魔?」
「そうですよ、この子は魔族なんです」
魔族――今の時代では、人と魔族は共存しているが、私の生きていた頃は対立も多かった。
時代の移り変わりというのを感じた一つであるが、逆に言えば――人も魔族もどちらも奴隷が存在しているのは、昔と変わっていないのかもしれない。
ただ、多くは奴隷となる要因には本人の状況に関わることは多い。
たとえば何かしらの犯罪に手を染めたり、借金を苦に身売りをしたり――前者はともかくとしても、そういう止むを得ない事情から自分自身を売るほかなくなってしまう者もいるわけだ。
ただ、魔族の中でも淫魔というのは――正直あまり予想のしていないことであった。
「……淫魔というのは、つまり?」
「ご存知の通り、他人の精気を吸う力に長けた魔族のことです。体内に流れる魔力と合わせて生命力も吸い取るわけですが、通常個体であればまず死に至るほど魔力供給は必要になることはありませんよ。ただ、『これ』は少し特殊個体でして」
「……特殊個体?」
ピタリと、私のサインをする手が止まった。
「その書類にも書いてありますけどね。これは淫魔として能力をほとんど持ち合わせていないんです。要するに、劣等種ってわけですね」
奴隷商はさらりとそんなことを言うと、少女――リズは俯いたままに、拳を握りしめているのが分かった。
劣等種――これもまたいい呼び方ではないだろうが、特に魔族の中ではそういった顕著な違いが出やすいと聞く。
たとえば人を交わった混血であれば、魔族として生まれながらに持つ能力が劣化している、というのが分かりやすいか。
「そもそも淫魔が奴隷として売られるのも珍しいんですよ。だって、場所によっては高級な娼館で取り扱われるほどですからね。ただ、その淫魔として能力が不足しているとなれば、分かりますでしょう?」
つまりは――淫魔ではあるがその能力が低いために、安く売られている、ということか。
正直、聞いていてあまり気持ちのいい話ではない。
それに、淫魔であるかどうか、その能力が劣化しているかどうかによって――今更、私が彼女を買うことを取りやめることができるわけでもない。
むしろ、そんな話を聞いた上でやめるなどと言えば、私はどれだけ人としての道を踏み外してしまうことになるだろう。
……そもそも、好きだった人に顔が似ているから、という理由で買った時点で私は人としてどうなのか、ということになるけれど。
それも、前世の記憶に応じたものなのだから。
書類へのサインを終えると、奴隷商はそれを確認して――早々に支払いを済ませた。
手持ちにある分で足りたのも幸いだ。
リズの手枷や足枷は外され――同時に、首輪へと私の魔力を流し込むことになった。
これは、奴隷に対する契約のようなもので、首輪に流し込んだ魔力がある限り、奴隷はその魔力を流し込んだ相手に逆らうことができないという、魔術的な契約が結ばれる。
常にそういう状態にすることもできるが――私はそこまでの抑圧を望んでいるわけではない。
「お買い上げありがとうございます。お前も挨拶をなさい」
「……初めまして、リズ・パレットと申します」
促され、リズはそう言って頭を下げる。
私は彼女を買った――改めて向かい合って、私は思わず、彼女の頬に手を触れる。
びくりと、リズは身体を少し震わせた。
彼女の反応を見れば分かるが、少し怯えているようで――私はそのまま、触れた手を離して告げる。
「一先ず、落ち着けるところに行こうか」
奴隷の少女――リズを連れて、私はその場を後にした。
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