第34話 大谷さん、自宅へ女性を連れて行く


 なんかやる気が起きない。

 

 自宅へ戻って1週間が経った。口座には大谷さんと母親が働かなくとも一生食べていけるくらいのお金が入っている。だけどそういうことではない。


 大谷さん、元々、モノづくりが好きで建築の仕事を始めた。潰れて使えなくなったはずの利き腕もこうして再び使えるようになっている。なのに……。


 大好きな建築の仕事へ足を運ぼうと思ったが気が乗らず、家の近くにある公園のベンチに座り、ボーっと瓶タイプのコーヒー牛乳を飲んでいる。


 最近では子供たちだけで遊ぶことも減ったのか、親とセットで遊具で遊んでいる子どもがほとんどだ。


 滑り台もいいな。パラメアの街は最初から憩いの場として公園スペースを確保しているので、小さな子向けの遊具を設置するのもいい。それとコーヒー牛乳も牛に似た獣をパラメア王国の南東部にある平原地帯で発見したので、ミートスライムの牧場に連れてきて、乳業を試すのもいいかもしれない。でもまだコーヒーの豆に似た木が見つかっていない。国内は北部の方に火山地帯があるが、コーヒーの木が自生しているような標高が高く気温が低い高原が国内にはない。国外を当たるのもいいかもしれない。


 ──あれ? 大谷さん、なんで向こうの世界のことを考えているんだろう?


 元々向こうには家のローン返済のために出稼ぎに行ったはずなのに、気が付けばパラメア王国のことばかり考えている。


「大谷じゃん」

「ん?」


 大谷さんに声をかけてきたのは聖女ミイ……あれ、こっちの世界の名前ってなんだっけ? アチラでは聖女の恰好をしていたが、今はどこにでもいるカジュアルなスタイルの服を無難に着こなしている。


千田 魅衣せんだ みいだよ、忘れてたろ?」

「うん、すっかり」

「まったく……それより借金返済できたぜ、サンキューな」


 会話がつながった。大谷さん、なんでこんなに嬉しいんだろう? 


 あ、そうか。〝向こうの世界・・・・・・〟が幻なんかじゃないってことがミイの存在で証明されたからか……。

 

「忘れられないんだろ?」

「うん、まあ……」


 大谷さんの座っているベンチの隣に腰かけ、昼間っから缶チューハイを片手に持っている。


「私さ、教職員クビになってた。まあ長期間無断欠勤したらそりゃなるわな」

「ふーん」

「まあ、カネもいっぱいあるし、推し活動も再開できるってモンよ」

「ふーん」

「って、興味薄っ! 悪かったな面白い話ができなくて」

「ふーん」

「ダメだこりゃ、聞こえてねぇぇ」

「ふーん」

「なあ、大谷……」

「ふーん」


 聖女ミイがなにか話している。大谷さん彼女の声が聞こえているはずだが、頭に入ってこない。たぶん適当に相槌を打っている。すると頭にガンと入ってくるパワーワードが聖女ミイの口から吐き出された。


「異世界に戻れるって言ったらどうする?」












「ここが大谷の家……」

「そうだけど」

「これはスゲー……でもゴニョゴニョゴニョゴニョ母親とふたり暮らしってマザコンだしな

「なに?」

「いや別に」


 大谷さん、聖女ミイを家に連れてきた。それというのも次の転移は、永久転移……もうこの世界に戻って来れないという条件があるそうだ。聖女ミイは2.5次元アイドルの推しもいいけど、異世界の方が自分に素直になれるから向こうへ永住すると決めたそうだ。ただ大谷さんには気がかりがある。それは……。


 ドサッ……。


「よ、嫁っ」

「「違う違う」」


 思わず聖女ミイと声を揃えてしまった。母親が仕事から帰ってきて聖女ミイをみて思わず買い物袋を床に落とした。すごく勘違いしている。考えてみたら女性を家に連れてきたのが初めてだからかもしれない。


「なんだ違うの……はっ! もしやデキちゃった的な?」

「「違う違う」」


 なかなかに人の話を聞いてくれない。あれ? どっかで聞いたことのあるような……。


「それも違うのか……ウチの子ってなんて不甲斐ない……ではどちら様で?」


 大谷さん、母親に異世界の話をした。川から飛び降りようとしたら異世界斡旋人と名乗る怪しげなひとが現れて異世界に行って、とある程度要約しながら説明した。


「そう、そちらのお嬢さんは怪しい宗教団体でアナタを洗脳したと」

「「違う違う」」


 そうか、大谷さんがひとの話を素直に聞かないのは、母親譲りだったんだ。


「異世界というところに行きたいの?」

「うーんでも……」

「母さんのことなら心配しないで」


 知ってたんだ。大谷さんの唯一の気がかりは目の前の女性……自分の母親をこちらにひとり残していくのがどうしてもできなかった。


 思えば父親が小学校1年の頃に亡くなって母さんは、女手ひとつで大谷さんを高校まで卒業させてくれた。


 小学1年生の頃、大谷さんはまだその辺の大変さがわかってなかった。友だちが皆、すでに買ってもらっていた自転車を母さんに買って欲しいとお願いした。そしたら母さんの帰りが遅くなったのを覚えている。大人になって聞いたが、朝の新聞配達から、日中はパートをふたつ掛け持ちしていたが、夜に飲食店のパートを増やして大谷さんに自転車を買ってくれた。


 なにかをお願いしたら、母さんが苦労することを知った大谷さんはそれから母さんになにもお願いしなくなった。モノづくりに興味を持ったのは自分で作れば、ゴミとか不良品からでも色々と作れることを知ったから。


 代々、大工でもあった大谷家で父親もやっていた建築の仕事に興味を持って、建築学科のある工業高校に入った。そば店でアルバイトをして初給料で母親に洋服をプレゼントした。すごく喜んでくれたけど、次の日に大谷さんの勉強机に置いてあったレシートを使って、服を返品して代わりに大谷さんのすこし破れた靴下や黄ばんだTシャツを買い替えているのをたまたま通りがかって見てしまった。


 高校の先生から隣の県にある建築の設計が学べる大学へ推薦を出してもいいと言われたが、大谷さんは丁重に断った。母親には大学に行ってまで勉強したくないと嘘をついた。本当は早く仕事をして母さんを楽させてあげたかったから。


 社会人になって、仕事が順調になっても母さんは仕事をやめなかった。大谷さんの我がままで多額のローンを組んで理想の家を建てても文句を言わなかった。でも、同僚のミスで大谷さんの腕が使えなくなって、大谷さんが自サツして保険金で家のローンの返済にあてようかと、弱気を吐いた時はものすごく叱られた。「アナタが生きてくれなきゃ私の生きる意味がない」っと……。


「それでですね、オバサマ」

「お義母かあさんって呼んで」

「いや、結婚なんてしないしっ、まあ・・・・・・・ゴニョゴニョゴニョ……だけど」


 聖女ミイがまたゴニョゴニョ言っているが、聞き取れなかった。彼女は気を取り直して、新情報を母親と大谷さんに告げた。


「この家とオバサマも一緒に異世界へ行けるって言ったらどうします?」

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