ミニパンケーキのフルーツサンド
翌日は
小綺麗なシャツをスラックスに入れているのが常な想太さんなのに、シャツがはみ出してやや乱れた格好だった。急いでいるようだったが、どうしても気になり引き止める。
「想太さん、りっくんの様子は」
「あ、志乃さん!昨日の夜、お見舞いに行って頭を撫でていたら、だんだんと元気になってくれました」
りっくんは想太さんを慕っている。衝撃的な話があった後で、想太さんの顔を見てさぞ安心しただろう。
「今日は元気に学校へ行けました。美月さんも出勤して」
「良かった」
「本当に」
八割方白髪の想太さんは端正な顔を和らげた。りっくんは半鬼としての食事をしたのだろう。美月さんの説得が成功したということだが、りっくんは何を食べたのか。
想太さんはあっと声を上げて、焦って部屋の鍵をかけ始める。
「普段なら遅番の日なのですが、昨日同僚に早番を変わって欲しいと言われていたのをすっかり忘れていて。遅刻してしまって、情けないです」
想太さんは急ぐ理由を告げて、慌てて走って行ってしまった。私は想太さんの背中を見送って首を傾げた。
想太さんは美月さんから紹介してもらった嵯峨野トロッコ列車車掌の仕事に、誇りを持っている。
美月さんの顔に泥を塗ることはできないと完璧に全うする想太さんが、そんな凡ミスをするところなんて初めて見た気がした。想太さんも看病で疲れているのだろう。
想太さんと別れた私は休憩処を訪れた。
今日は常連さんたちが休憩処に集まる日だ。藍色の暖簾をくぐって、店に足を踏み入れるとバニラビーンスの香りに包まれる。
「志乃ちゃん、いらっしゃい」
「聞き込み、がんばるで!」
キリヤ君はキッチンから出てきてにっと笑い、気合が入った私の背中をさあさあと押して庭園へと案内した。
武家屋敷の庭園には池の中にお馴染の河合さんと、算盤小僧の酒井さん。そして大きくて白い狐の耳と尻尾を生やした火無しのお
「みんな、志乃ちゃん来たよ!」
池の中に着衣のまま浸かっている薄ら禿げの河合さんが、私を見て大きな声を出す。
「志乃ちゃん!いらっしゃい!」
「河合さん、久しぶりやな」
「キリヤ君がなかなか志乃ちゃんに会わせてくれへんからな!」
水に浸かって女の子の背中を眺めたい河童の河合さんは、月に一度のペースでキリヤ君を経由して私に御背中拝見を要求してくる。
「さっそく御背中拝見お願いしてもええか!」
「もちろん」
私が池石に立って白い道着を整えると、巨大算盤をチャッチャチャッチャ鳴らした酒井さんも高らかに手を上げていた。
「志乃さん、御背中、自分もよろしいでしょうか」
「算盤フィーバーどうぞ」
「うふっ、酒井さんの算盤フィーバー聞かせてもらうわ」
火無しのお龍さんが観客となり、寒凪の中、御背中拝見フィーバーが高らかに鳴り響いた。
しっかりフィーバーした後、河合さんは池に入ったままなので、池の周りの池石の上にみんなで集まった。
算盤を抱きしめる酒井さんの腕にぎゅっと抱きついて、火無しのお龍さんが淑やかに座る。二人は妙に距離が近い。だが、恋人ではなくスナックのお客とママの関係だという。
「今日は良い天気で寒さもマシだから、ここでピクニックね」
キリヤ君がみんなの前で大きなランチボックスの箱を開ける。中には手の平サイズのパンケーキフルーツサンドがみっちり詰まっていた。
苺にキウイに葡萄に生クリーム、たっぷりカスタード、生チョコがミニスフレパンケーキにサンドされている。カラフルで可愛い。
「キリヤ君のおかげで、すっかり甘いもん好きになってもうてな!」
河合さんがいの一番に手を伸ばし、他のみんなが好きなサンドを取ったあと、私が手を伸ばしたのはたっぷりカスタード。
キリヤ君が作る亀岡産の鶏卵使用カスタードは何度も食べたことがあって、好物なのだ。
休憩処でいつもバニラの香りがするのは、カスタードが常駐しているからだ。
蕩けるようにふわふわのスフレパンケーキに挟まれた、噛めば横からはみ出るほどの贅沢カスタード。卵のコクと牛乳のまろやかさが絶妙に調和し、自然なバニラの香りが鼻を抜ける瞬間に、思わず笑みがこぼれる。
「……んぅ、キリヤ君のカスタード何回食べても好きやわ」
クリームの程よい甘みと軽いスフレ生地は、食べ進めても重たさを感じない。脇目もふらずぱくぱく食べてしまう。甘くて優しい。
カスタードクリームはそのシンプルさゆえに、作り手の人柄さえ魅せてしまう。
「うふっ、もぐもぐする志乃ちゃんを見るキリヤちゃんの視線が一番甘いわ」
「自分もお龍さんの意見に同意です。今日のパンケーキは甘過ぎではないですか?」
「そういうことをわざわざ言わなくて良いでしょ……」
河合さんと私が一生懸命フルーツサンドにかじりついている間。キリヤ君は酒井さんとお龍さんに何か言われて、顔を覆ってしまっていた。
ひとしきり食べたあと、私は切り出した。
「今日はみんなに半鬼について聞きたくて呼んだんや。亀岡の半鬼に心当たりある?」
「お!半鬼のことやったら!」
河合さんが高らかと河童のひれのついた緑色の手を上げた。
「まずワシに話させてくれ!ワシはこの亀岡で五十年。一つだけ自慢できることがある」
「河合さんの人生において、唯一の功績だと自分も思いますアンッ」
酒井さんがぼそりと言うと、お龍さんは濃い口紅の妖艶な唇でふっと酒井さんの耳に息を吹きかけた。酒井さんはぶるっと身体を震わせる。
「あの桜沢臣くんの神隠し事件の……たぶん一週間くらい後やったわ。霧の中で一歳くらいの子どもを拾ったんや」
「拾った?」
「羊の角が生えた子でな。えらい汚れてたから怖くて隠れたりして、一人で彷徨ってたんやろうな。泣いていて可哀想やったよ。化け暮らしのワシが拾って良かったで」
河合さんが涙ぐむフリをする横で、市役所勤めの酒井さんがしっかり話を引き継ぐ。
「自分と河合さんは昔からのご近所関係でアンッ。役所の子育て課で働く自分に、河合さんがその子のことをこっそり相談してくれました」
酒井さんはたびたびお龍さんにふっと息を吹きかけられては、身体を震わせながら話す。
「保護した子は公共機関のトップ層の後押しを受けて、私があるお家に養子に出しましたアンッ。今も元気に暮らしています」
お龍さんは震える酒井さんをおもちゃにして、くすくす艶やかに微笑んでいる。
「今の話は、りっくんのことやんな?河合さんに拾われたりっくんが、トップ層、警察署長の有希さんの後押しを受けて、美月さんの家にやってきたって話や」
私は隣の池石の上で胡坐をかくキリヤ君と頷き合う。
「有希さんが泣き暮らす美月さんを見てられへんくて……化け暮らしの養子を勧めたんやろうな」
りっくんは亀岡で拾われた子だと美月さんから聞いている。キリヤ君が酒井さんに確認する。
「そういうことであってるよね、酒井さん?」
「こ、アンッ。個人情報です」
酒井さんの威厳の欠片もないお役所バリアだったが、情報だけ並べると確実だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます