聞き込み
「こ、アンッ。個人情報です」
酒井さんの威厳の欠片もないお役所バリアだったが、情報だけ並べると確実だ。私たちは臣くんを全食いした半鬼を探している。
だが、それはりっくんではない。
りっくんは半鬼としての食事経験がないから、戸惑って飢餓状態にまでなったのだ。他の半鬼の情報が欲しい。
「亀岡であたしは顔が広い方だと思うよ。でも、あたしの知ってる半鬼は有希ちゃんとりっくんだけ。あたしの情報網に引っかからないならここ十年、それ以外の半鬼はいないと思うよ」
酒井さんの顎を艶めかしい指先でなぞったお龍さんが、大きな狐の尻尾をぱたぱたさせた。
「まあ誰とも交流しないタイプなら、うまく化け続けるだろうけど……どこかに歪さは出るからね」
人気スナックのママである火無しのお龍さんにも心当たりがないのか。
「誰も見ていないようで、誰かが見てるものさ」
お龍さんの言葉は余韻がある。聞き込みはここまでかという空気が流れる。だが、私は諦めきれずもう一歩、足掻く。
「亀岡のあやかし代表みたいなお龍さんは、情報通やんな。もっと半鬼について、何でもええから教えてくれへん?」
「うふっ、情報通?相手のツボをくすぐるのが上手だね志乃ちゃん。あたしは美人って言われるより有名とか通って言われるのが好きなんだよ」
思いもよらずお龍さんのツボを点けたらしい。彼女はにこりと夜を舞う蝶のように美しく微笑んでから、また酒井さんの顎を可愛がる。
「そうだねぇ。半鬼ってのは化け暮らしでは珍しい生まれで、霧から生まれるんだよ。人間の負の感情と、土地の力から生まれる半鬼。だから半分人間」
そういえば半鬼の生まれは知らなかった。りっくんは霧から生まれたのか。
「だから河童ちゃんが言うように霧の中で生まれたての半鬼を拾ったってのは、何の不思議もないね」
「生まれたてって、歩いてたで?」
「半鬼は生まれたときから大人の形だっているよ」
あやかし界で長年生きてきた風格のお龍さんは、何度も酒井さんの細い顎をたしかめ指先で優しくなぞる。
三人の話を掛け合わせると、見事なまでにこの亀岡にいる半鬼の話題はりっくんに集約した。
りっくんは十年霧から生まれ、河合さんに拾われ、子育て課の酒井さんを経由して、美月さんに育てられた。何も歪な点がない。
「あと、聞いた話じゃ、半鬼は恋した相手を食べるのが特別美味らしいよ?」
「そら誰かて本能向けるなら好きな子がええやろ。ワシかて好きな子の背中の方が盛り上がるわ」
「自分もです」
河合さんと酒井さんの同調を聞いて、私の背中の価値が少し下がったような気がして解せなかった。
それでもまだ聞き込みを粘る私は前のめりになり、今度は酒井さんにぐいぐい顔を寄せて迫った。
「酒井さんは市役所の課長さんやろ?ものすごい賢いから、その地位なんやんな?気にかかることとか、小さいことでも、何でもええから何かない?」
キリヤ君が池に落ちるよと私の手首を掴んで引き戻す。
巨大算盤を抱きしめる酒井さんは嬉しそうにニヤリと口端を上げた。賢いと言われるのが好きだったのかもしれない。
「公共機関のトップ層に化け暮らしの方がいらっしゃいます。あの人は半鬼だと聞いています」
「有希さんのことやな。警察署長の」
私がぽんと言い当てると、酒井さんは巨大算盤を抱きしめて目を逸らす。
「個人情報ですアンッ」
実名は出してくれないが情報は出してくれる。酒井さんはお役所対応が素晴らしい。
「その方は自分が化け暮らしで、子育て方面で働いているを知っておられるので、情報共有をすることがあります。しかし不自然に思う点があって」
有希さんが全食いをしたなら、臣くんは死んでいる。だから臣くんを全食いした半鬼は有希さんではない。
だが、有希さんの不審な点とは何だろうか。
「あの方は、人と一緒に食事をしません。会合の場が多いので会食となることもあるのですが、全部断ります」
「食事をしながら話し合いはよくあるよね。たしかにちょっと気にかかるかも」
キリヤ君が頷く。有希さんは休憩処でもパンケーキを食べて、美月さんと一緒に食事をするのは見かけるので何も思わなかった。
プライベートと仕事で分けているのかもしれない。だが、なぜそんなことを。
みんなで首を傾げると、お龍さんがうふっと笑った。
「人間の食事をしたら、半鬼特有の食事の衝動が連鎖的に起こるからよ」
「普通のご飯を食べると、人間の『何か』も食べたくなるってこと?」
「欲は繋がってるからね。だから半鬼の中には間違いを犯さないように、決して人前で食事をしない人もいるそうだよ。そういう硬派な人、あたしは好みだけど」
人前で食事をしない、硬派な人。
「え」
がっちり条件に当てはまる人物がいる────
私は思わず漏れた声を隠すように口元に手を当てた。
『アンタ綺麗過ぎるねん。アンタのストーカーが息子を邪魔に思って殺したんやろうてみんな言うてる』
美月さんに暴言を吐いていた卑屈な男の声が蘇る。
あの男の言う犯人像にも、彼は当てはまってしまう。彼は傍目から見ても、美月さんを狂おしいほどに愛している。
もし、りっくんを我が子のように抱きしめる彼のあの姿が、獲物を食べようと育てている化けの皮だったとしたら。
もし犯人がずっと、美月さんの隣に住んで、最高に美味しい好きな人を食べる用意をし続けていたとしたら。
『隣にいる人間のことも全部わからないくせに!』
いつかのりっくんの言葉が耳の奥で木霊して、血の気が引く。
私が両手で口元を覆ったままでいると、キリヤ君が私を覗き込んでいることにやっと気がついた。
「志乃ちゃん、顔が真っ青だよ」
キリヤ君の声に顔を上げる。見回すともう武家屋敷の庭園には他の誰もいなかった。
「みんなは?」
「志乃ちゃんが固まっちゃったから、もう帰ってもらったよ。また会おうねって言ってた」
「……失礼なこと、したな」
「みんな心配してたよ。どうかした?」
キリヤ君は彼と顔見知りではあるが、親しくはない。彼が人前で食事を完全に拒否することは、長年一緒にいる私たちにしかわからないことだ。
誰も見ていないようで、誰かが見ている。
「どうしようキリヤ君……」
意図せず、縋るような声が出てしまった。
「想太さんは絶対、人前で食事せえへん」
「本当に?」
キリヤ君の喉仏が上下した。真実に近づく感覚は、足元が崩れ落ちるようだ。私は辻褄があう出来事が口から飛び出るのを止められなかった。
「想太さんは、臣くんがいなくなる半年前くらいに三軒長屋に引っ越してきて……着の身着のままやったから美月さんが世話焼いて、職場まで紹介したんや」
地域のマドンナ的存在だった美月さんの後押しで、想太さんは嵯峨野トロッコ列車の車掌の仕事を得た。優しくされて恋に落ちたのは容易に想像がつく。
「美月さんが好きで独り占めしたくて、臣くんが、じゃ、邪魔になって……」
今まで犯人は、うっかり全食いした半鬼の前提で考えていた。だが、十年霧の影響ではなく、悪意を持っていたとしたら。
「わ、わざと全食いして、消滅の呪いで消したんかもしれへん」
キリヤ君は頷いて私の推測を受け入れた。キリヤ君はおかしいと思ったら必ず指摘してくれる。キリヤ君も私の言うことに妥当性があると思っている証拠だ。
「想太さんが犯人やったら……美月さんに何て言うたらええんや」
臣くんを消したことは決して許せない。
でも、臣くんを失った美月さんが想太さんに裏切られていたと知ったら、絶望してしまう。もう誰も信じられなくなって精神を病んで二度と笑えないかもしれない。
「私、言われへん……」
化けの皮を被り続けることで守られる平和もある。
美月さんと想太さんとりっくん。あの三人がこれからも健やかであるとするならば、私は口を噤む選択肢だってあるのでは。
「志乃ちゃん、こっち向いて」
キリヤ君は私の冷えて震える頬を両手で包んで、私の顔を無理に上げさせた。
「黙ってることはできないよ。今度はりっくんに危害が及んだら困る」
「そ、そうやな。ごめん、取り乱したわ」
「志乃ちゃんがみんなの幸せを願ってるの、よくわかってるつもりだよ。だから美月さんに言う前に、俺と志乃ちゃんと想太さん、三人で話そう」
私はキリヤ君の落ち着いた声でようやく息を思い出し、頬を大きな両手に包まれたまま頷いた。
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