本当のキリヤ君


「はい、亀岡京野菜のスープパンケーキ」


 キリヤ君が私の前に蓋のついたクラフトカップを置いた。蓋を開けると湯気とともにふわっとコンソメの香りを顔に受けた。


「うどんみたいやな」

「薄く焼いたパンケーキが、縦長に細切りにして入ってるんだよ」


 クラフトカップに黄金色に澄んで湯気を立てるコンソメスープが満ちて、細長いパンケーキが繊細なリボンのように揺蕩っている。


 銀杏切りの聖護院かぶらと金時人参が黄金色のスープに浮かび、一番上に九条ネギ。彩りも上品で華やかだ。


「これね、ドイツのスープ料理でフレーデレって言うんだよ」

「さすが、よう知ってんな」

「でも原型がないくらいアレンジ効いてるから、亀岡スープパンケーキのネーミング正解だよね。お店の人に聞いたんだけど素材は全部亀岡産らしくてさ」


 キリヤ君のパンケーキうんちくが止まらなそうなので、冷めないうちに木製フォークで細長いパンケーキを口に運んだ。


 スープをたっぷり吸った細切りパンケーキは柔く、口の中でほろっと崩れてしまった。あったかい黄金色スープを一緒にすすると、口に野菜と肉の豊かな香りが広がる。パンケーキ特有の卵とバターの風味がスープと溶け合い、ほのかなコクを添えていた。


「んぅ……うまぁ」


 目を瞑って旨さを感じ入ってから目を開けると、キリヤ君も細長いパンケーキを口に運びながら私を見ていた。キリヤ君は私が食べるのをいつも見ている。


「俺だって志乃ちゃんが喜ぶもの作れるから。俺がフレーデレ作ったら食べてね」

「……他のお店と張り合いなや」

「張り合うよ」

「子どもやん。美味しないん?」

「美味しい!」


 キリヤ君が口を大きく広げてにっとご機嫌に笑ったので、私もふっと力が抜けた。彼にも子どもっぽいところがあって安心する。


「亀岡京野菜に亀岡牛の出汁だよこれ。出汁ベースが和なのにさ、パンケーキがちゃんと調和しててすごいよね。これは濃度がさ」

「感想がマニアックになってきたわ。ほら甘酒、飲み。生姜甘酒ホットココアやで」

「なにそれ美味しそう!」


 私は赤紅色のカップに入った甘酒ココアをそっと飲んだ。ココアのまろやかで濃厚な甘さが口に広がり、生姜の微かな辛みがじんと舌に響いた。


「はぁ……おいし」


 甘酒特有の発酵由来の奥深いコクが全体を丸くまとめ、飲み込むたびに余韻が広がる。


 ちょうど良い熱さで、舌を包むような滑らかな舌触りが心地よく、飲むごとに心も体もじんわりと温まる一杯だ。


「はぁ、ほっとするね」

「おいしいわ」


 二人そろってうっとり白い息が出て、見合って笑ってしまう。ちょっと失敗したと思ったが、美味しい物で丸く収まった気がする。


 キリヤ君は甘酒のカップを大きな両手で包み込む。


「志乃ちゃんこれ、甘酒。俺の好みに合わせてくれたんじゃない?気使ってくれてありがとう」


 キリヤ君は私の拙い気遣いを拾い上げて笑う。


「キリヤ君は子どもみたいやけど、気遣いの達人やわ」

「子どもみたいは余計なんだけど」


 生姜甘酒ホットココアをぐいと飲む。キリヤ君と一緒にいると微かに辛みがあって、甘くて、あったかい。



 空飛ぶランタンの時間が迫り、私たちもメイン会場へと移動した。


 冬風が吹く冷えた会場で、キリヤ君に顔が埋まるほどぐるぐる巻かれたマフラーからはバニラビーンスの香りがする。あたたかいものを食べたので顔がやや火照る。


 胸に抱くほど大きいランタンを抱えた私たちは、芝生の上に並んで座っていた。


 遠くにライトアップされた気球を眺めながら、ランタン飛ばしの時間を待つお客さんたちが同じように芝生に座り込んでその時を待っていた。


 紙製のランタンをじっと眺めてこういうものかと感心していると、キリヤ君もランタンを目の前に掲げていた。隣に座るキリヤ君がぼそりと呟く。


「志乃ちゃんは、ランタンに何をお願いする?」

「そうやなぁ」


 臣くんが帰って来ますように。


 私の願い事なんて十年前から変わらない。でも即答できなくて少し考え込んでしまった。


「臣くんが帰って来ますように?」


 キリヤ君が答えを先に示す。


「そうなんやけど……迷ってんねん。ランタン十個欲しかったわ」

「欲張るね」

「せやろ?私は禁欲生活続けてきて全部捨てて臣くんが帰って来ますようにって願ってきた。でもそれがアホな結果になって、今はもっと欲深い方がええんやと思ってん」


 私はキリヤ君の狐面ににっと笑いかけた。


「臣くんに帰って来て欲しい、美月さんといっぱいパンケーキ食べたい、りっくんとなっちゃんにずっと仲良しでいてほしい、想太さんにもっと素直になってほしい。そんな欲張りな私でいたいんや」


 冷たい風が私の火照り気味の頬を撫でると、心地よかった。


「でもな、やっぱり何でも願掛けはあかんと思う。努力もすんねん。だから二つで迷ってる」

「もう一つは、何?」


 一つはやっぱり譲れない。臣くんが帰ってきますように。キリヤ君はそれをわかっているから次を促す。


「もう一つはキリヤ君の呪いが解けますように、や」


 一つしかないランタン。

 願いは二つ。


 この一つのランタンで二つの願いが同時に叶う。なんて夢物語を、今一瞬だけ見てみたかった。


「……ありがとう、志乃ちゃん」


 キリヤ君の唇はそれ以上言ってはいけないことを押し込むようにぎゅっと歪んでしまった。また私は、何かやらかしてしまっただろうか。


 ランタンを空へ放つ時間が来て、カウントダウンが始まった。私たちも立ち上がって、ランタンに淡い橙色の光を灯す。


「キリヤ君、いくで」

「うん」


 二人で一緒に、空へランタンを放った。


 広場のあちこちから同時に飛び立ったランタンが夜空を橙に染め上げていく。


 叶わない夢と、ほんの少しの希望を込めて空へ放つ。


 空を埋め尽くす五百のランタンのうち、幾つの願いが叶うのだろうか。誰かの願いをのせたランタンが遠くへ上り小さく成っていく様は綺麗で、切なくも感じた。


 遠く離れていってしまう私の願いを見ながらキリヤ君に問いかけた。


「キリヤ君は、何を願ったん?」

「……言えないよ」


 人懐っこいように見えるキリヤ君だが、狐面に隠した素顔はなかなか見せてくれない。


「キリヤ君は私なんかよりずっと人の感情に敏感や。こう言ったら何が起こるか、誰がどう感じるかを、先の先まで考えるんやろな。キリヤ君のそういう先回りはすごいけど……幸せ逃がすで」

「しあわせ……」


 私と同じように空を見上げるキリヤ君が小さな声を出す。


「誰にも嫌な思いをさせたくなくて、黙って笑って誤魔化す。キリヤ君は心に化けの皮を被り過ぎちゃうか。障りが溜まるで」


 キリヤ君の願い。聞かせてくれたら、絶対笑わないのに。


「欲しいもんくらい、欲しいて言い。言われへんやったら、私が隠し味したるわ」


 私はキリヤ君の手首を引っ張って腰を屈ませた。


「何?」


 キリヤ君の動揺した声にくすっと笑って、私はキリヤ君の狐面に塩をひとつまみ振りかける真似をした。


「はい、隠し味。私がキリヤ君の化けの皮、剥いだで」


 私がにっと口を広げてキリヤ君の真似をして笑うと、キリヤ君はますますきゅっと唇を歪めてしまった。


「そういう優しいことするの、ずるくない?」

「何がずるいねん。はよ何を願ったか言いや。強烈な隠し味なんやから。自白効果、抜群や」


 いつもなら「リラックス効果って言って」が返ってくるのに。キリヤ君がついに黙ってしまった。


 隠し味の真似っこでは、やっぱりダメかと思っていたらキリヤ君が呟いた。


「俺の願いなんか言ったら……志乃ちゃんが困るよ」

「困れへんよ。一緒に考える。キリヤ君は心配し過ぎ」

「志乃ちゃんは……無防備過ぎ」


 さっきもしたやり取りをしたあと、長い沈黙だった。沈黙の遥か先で、空で淡く光る願いたちを見上げたキリヤ君は、細い声でやっと教えてくれた。


「何かの間違いでもいいから……彼女の特別になりたいって、願った」

「彼女?」


 キリヤ君の寒空に掻き消えそうな細い声が儚くて、私はキリヤ君の横顔に視線を取られた。


 キリヤ君も空を行く願いたちから目を逸らし、私を見つめる。寒風が吹きつける藍色のマフラーからは甘い香りがした。


「志乃ちゃんは臣くんが一番。知ってるのに……志乃ちゃんの特別になりたいなんて、やっぱり言えないよ」


 私とキリヤ君の間に冬風が流れて、かっと火照った私の耳先が熱いのか寒いのか痛いのか。わからなかった。 


 キリヤ君がぎゅっと拳を握り締める。


 素直で大らかな彼ではなく、欲しい物を上手に欲しがることができない、キリヤ君の本当の姿を見た気がした。


 橙色の儚い願いが無数に舞う夜空の下で。


 普段は誰より器用な彼の、拙い想いを知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る