合気道女子


「志乃ちゃん、大丈夫よ」


 私が怪し過ぎる狐面の男に一言申し出ようとした。だが、美月さんが心配しないでと微笑むので私は口を噤んだ。


「このチラシ、うちの店に貼っておきます!」


 ぐっと親指をあげるポーズを残して、狐面男は明るい声を出して去って行った。あの顔で、意外と気の良い男なのだろうか。


 私がその後も首を傾げつつ再びチラシ配りに熱中していると、背後から美月さんの詰まった声が聞こえた。


「あの、やめてください……!」


 今度は安全にアウトだ。私はチラシを置いて美月さんと二人組の男たちの間に割り込むように立った。若いように装って、それなりに歳を食って軽薄そうな男たち。


 白い袴を纏った私を上から下まで眺めてヒュウと軽い口笛をふく男たちの視線が不愉快だ。


「なんべんも止めてって言うてるやん。しつこうするんやったら、こっちもそれ相応に対応するで」

「はぁ?俺はそこの綺麗な人に声をかけてるんだ。前みたいな色気ナシ小娘には興味ないんだよね」

「それな~男かと思った」


 ケラケラ笑いあう男たちの言いぐさには慣れたものだ。私はこのベリーショートな髪型のおかげで、小学生の頃から、男より強い男と揶揄されてきた。


 臣くんだけは私を可愛いと言ってくれたが、こんなのはもう慣れっこだ。


「あ?ひょろっこい肩して、俺たちに立てつこうってのかよ?」


 一人の男がどんと力強く私の肩を突いた。私は微塵もよろけることなく、私の肩に触れた男の手首を握った。


「正当防衛や」

「え?!」


 私が男の手首を握って一歩大きく足を引く。彼の力を頂いたままぐっと引っ張り足を良い位置に移動させる。


 すると、彼は見る間にごろんと軽やかに地にひっくり返った。私が技を披露するのはほんの一瞬。彼は何が起こったかわからないだろう。


 私はアスファルトに寝転がって天を仰ぐ彼の手首を離さないように気をつける。地面で頭を打っては大変だからだ。


「は、お前何やったんだよ!」


 逆上したもう一人の男が私に掴みかかる。またさっと彼の手首を取ってその力を頂き、ぐるんと円に回す。


「は?」


 彼はバランスを失い、私はひょいと足をひっかけるだけ。二人目の彼もごろんと地に伏した。頭を打たないように袖は握ったまま。


 二人の男を連続で地に転がした私に向かって駅前観衆の拍手が湧いた。


「ええぞ!志乃ちゃん!もっとやれ!」

「合気道かっこいい!」

「さすが倉田家の一人娘!」

「あいかわらず強いわ~!」


 一緒にチラシを配る地元民の声援を受けて、私は袴の襟元を整えた。深々と頭を下げる。


 私は亀岡市で、合気道家としてちょっとした有名人だ。 地元民なら私に立てついたりはしない。まだ夏空を見上げている二人の男はきょとんとしていた。


「警察署長とは仲良しやで。突き出してもええけど、どうするんや?」

「ひ!」

「すみません!」


 男二人は互いに押しのけ合って逃げて行った。観光なら楽しくやってほしい。私はふぅとため息をついた。


 無礼な男たちは去った。だが、チラシを持ったまま美月さんは猛烈な日差しの下で座り込んでしまった。急いで駆け寄って背に手を当てる。


「大丈夫?美月さん」

「ちょっと、眩暈が」

「想太さん呼ぶわ」


 木陰のベンチに美月さんを座らせて、私はすぐにスマホで想太さんに連絡をした。すぐ行きますという端的な返事だけで、すぐに電話は切れた。


 本当に驚くほどすぐに想太さんは駅前にやってきた。想太さんはすぐに美月さんに駆け寄り、私に頭を下げる。


「連絡ありがとうございます。志乃さん」


 想太さんは美月さんと同じ四十代だが髪は八割が白髪。


 短く整えられたグレイヘアだ。顔立ちは端正であり、姿勢が自然に良くて品がある。彼は物静かでありながらも人を惹きつける美男だ。


 美月さんと想太さんが並べば、大人の美男美女と呼ぶにふさわしかった。


「……迷惑かけて、ごめんなさい想太さん」

「いえ、お役に立てなら嬉しいです」


 二人は互いに慎ましく支え合い、想い合っている。

 だがずっと、結ばれない。


 私はそんな二人をずっともどかしく見守っている。臣くんの事件が解決するまで、二人はずっとこのままなのだと思う。


 美月さんの細い腕を優しく引いて立ち上がらせた想太さんに声をかけた。


「お迎えありがとう、想太さん。美月さんだいぶ……まいってるみたいやから、よろしく。りっくんは?」

「テレビを見ていたのでお留守番をお願いしました」


 想太さんに肩を支えられた美月さんは、青白い顔で私に頭を下げようとする。


「志乃ちゃん、ごめんね。任せてばかりで」

「やりたいからやってるだけやで。美月さん身体を大事にしてや。りっくんが心配するから」


 弱々しく微笑んだ美月さんに想太さんが寄り添って、二人は帰って行った。


 美月さんが帰り、今日は暑いから解散にしようという有志の住民たちに合意した。


 皆が帰った後、私は炎暑が暮れるまで一人でチラシを配り続けた。


 駅前のアスファルトから、陽炎が立ち上る赤い夕暮れの中。私の声だけが虚しく響く。


「霧の都 神隠し事件の情報を、お願いします!」


 臣くんの事件を解決するために、警察になろうかと思った。けれど、警察に所属することで多くの事件に手を取られ、臣くんの事件から遠ざかるのは本意でない。


 だから私は懇意の警察署長から情報を得つつ、合気道家としての道を選び、独自の活動を行っている。


 警察の調査が行き詰って長く、事件捜査に進展はない。この先、何か見つかるのかなんて希望は陽炎のようだ。


 もう本当に、あやかしの世界があって、臣くんは神隠しにあったのだと言われた方が納得できる。


 でもそんなものはないから。


 私が臣くんのためにできることはもう、チラシ配りくらいなのだ。

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