霧の都 化け暮らしの休憩処ー幼馴染の神隠し味パンケーキー

ミラ

第一章 京夏ずきんのずんだパンケーキ

夏の嵯峨野トロッコ列車

 


 もう会えないなんて、思わなかった。



 蒸し暑さと太陽の光がのしかかる夏の盛り。


 京の奥座敷、亀岡へ向かってトロッコ列車が走る。生命力が漲る青い木々の間を導く古い線路。列車はその上を間違いなく、がたごと、がたごと急がず進む。


 流れる青紅葉が空に透けるように瑞々しく、嵯峨野さがのトロッコ列車は夏木立のトンネルを行く。


 私は古き良き風格を感じさせる列車の窓から、保津川のきらめく水面をぼんやり眺めていた。


「わー!すごい!きれいな川!」

「本当だ!さがのトロッコ列車かっこいいね!」

「うん!」


 飴色の長椅子が向い合うボックス席で、私の目の前に座る男女の小学生が目を輝かせていた。


 私は保津川のきらめきより眩しい彼らを、目を細めて見つめてしまう。


 在りし日の私と、臣くんも。

 こんな風に無邪気だった。


 『志乃ちゃんは窓側のD席!僕は隣のC席ね!』

 『私の隣やと窓から遠いから景色が見えへんで』

 『いいの!志乃ちゃんの隣がいいから!』


 そう言って臣くんはいつも、私の隣に座ってくれた。


 臣くんはどんな顔で笑っていただろうか。彼の笑顔が霧の奥に霞んでいるようで、もうよく思い出せない。


 私と臣くんが嵯峨野トロッコ列車に乗る時は、必ず四号車の前から三列目、D席とC席。臣くんがチケットを買って誘ってくれた。


 私たちは春夏秋冬、何度も、一緒にこの席に座った。


 ガタゴト進むトロッコ列車は紅い鉄橋をくぐり、青桜のトンネルを抜けた。


 臣くんと最後に一緒にこのトンネルを抜けた時。ここは桜が満開だった。たわわな桜が春を謳歌する花びらを降らせ、車内が歓喜にわく。


 そんな夢のような時間。


「五百メートルの朝日トンネルを参ります。大変暗くなりますので、夏の眩しさとの『落差に』ご注意ください」

「暗くなるって!」

「ちょっと怖いかも!」


 車掌の優しいアナウンスの声に、小学生たちは慌てて手を握り合っていた。


『志乃ちゃん、手を繋ごう!』


 暗がりを前に、臣くんが私の手を握ってくれる。同じくらいの大きさの手を握り合い、暗闇でも安心だった。


 列車が暗闇に突入し、私はピクリと身体を揺らす。


 今では、わかっていても身が怯える。

 眩しさから暗闇へ。

 その時は本当に一瞬だ。


 あの日、私と春爛漫のトロッコ列車に乗ったあと

 ───臣くんは消えた。


 列車は真っ暗のトンネルを抜け、また夏溢れる保津川を跨ぐ鉄橋を走っていく。


「あっという間だったね」

「うん、平気だった!」


 小学生たちの安心しきった顔をもう見ていられなくて、私は目を閉じた。私は今もずっと、真っ暗なトンネルの中を彷徨い続けている。


 あの日、私は十年の人生で初めて告白された。


 信じられないほど嬉しくてふわふわしたままの帰り道には、濃い霧が出ていた。けれどそれは、霧の都、亀岡では珍しいことではなかった。


 私の家と臣くんの家の間にある細い橋。私たちは隠れ橋と呼ぶ橋の真ん中で、私たちは向き合った。臣くんが首筋を指でかいた。


 隠れ橋の東側が臣くんの家。

 私の家は西側。


 私たちは二人で遊んだあと、この隠れ橋の真ん中でお互い反対に向かって走り出す。


「志乃ちゃん。返事は明日の約束、忘れないでね!」


 ほんのり頬を赤くした臣くんの笑顔を、あの日私は見ていたはずだ。なのにもう今は、霧の向こうで見えない。


「絶対忘れへん!また明日な!」


 私は臣くんに背を向けた。


 明日、私は臣くんに「私も好き」と言って彼女になるのだと浮かれていた。私たちは霧に包まれた橋の真ん中で互いに分かれた。


 ああ、なんて愚かな私。

 どうして、ほんの百メートル先の臣くんの家まで、彼を送っていかなかったのか。


 私が一緒にいれば絶対に、何か変わったはずなのに。


「亀岡駅に到着です」


 車掌の声に導かれ、私は楽しかったと騒ぐ小学生たちよりも早く、席を立った。






◇◇



 霧の都の神隠し事件。


 京都の奥座敷、亀岡市にて当時小学校四年生だった「桜沢臣くん」が霧のように消えてしまった事件のことだ。


 あの日、私に告白してくれた臣くんは私と別れて百メートル先の家にたどり着くことなく、今まで行方不明のままだ。もうすぐ十年も前のことになる。


 臣くんが失踪前、最後に会ったのは私だった。


 亀岡市警察が総力を挙げて調査したが、臣くんの手がかりは全くない。


 市内全ての監視カメラをくまなくチェックしても影一つ見つからなかった。その忽然と霧に消えた様が注目され「神隠し事件」と当時は注目を集めた。


 だが、十年の時がたち、人の記憶は薄れる。

 だけど私はそれを許さない。

 

 決してこの事件を風化させたりはしない。そして二度と、この亀岡市でこんな悲しい事件を起こさせたりはしない。

 

 容赦ない光を刺し続ける灼熱の葉月。

 白い袴をまとった私は、昼下がりにチラシ配りをしていた。有志の地域住民と共にである。


 霧の都、神隠し事件の情報を求めるチラシだ。


 技術の発達により十歳の臣くんの写真から作った、二十歳の臣くんの姿を想定した写真を載せている。


 二十歳の臣くんの写真を毎日眺めている私は、今目の前に大きくなった臣くんが現れたらすぐに彼だとわかる自信がある。


 私は額からだらだらと汗をかきながら、嵯峨野トロッコ列車の亀岡駅前でチラシを配る。


 巨大観光地の嵐山からトロッコ列車一本で繋がるトロッコ亀岡駅前。休日は常に観光客でごった返している。


「神隠し事件の情報はいつでも受けつけています!よろしくお願いします!」


 私はベリーショートヘアの頭を直角に下げて、夏に負けない大きな声を出す。


 十年前の事件当時、この場所にいなかった観光客へチラシを配っても意味がないと言われることもある。でも違うのだ。


 全国各地から訪れる観光客に臣くんの事件を知ってもらうことで「今、どこかで生きている臣くんの情報」が入ることを期待している。


 毎月末、私は十年間、チラシ配りを続けてきた。


 通り過ぎようとする人たちの行き道を塞ぐ勢いでチラシを差し出して頭を下げる。すると、たいていの人は憐れんでもらってくれる。


 これは勧誘のチラシではないからだ。


 悲壮な事件の情報を求める私たちを皆、痛々しいものを見る目で見て受け取ってくれる。そんなのは屈辱ではない。


 臣くんに繋がると思えば、何の苦もない。


「情報を、お願いいたします」


 私の隣で同じように汗をかきながらチラシを配っているのは臣くんのお母さん、桜沢美月さん。


 彼女は目元に静かな陰影が宿り、歳を重ねた者だけが持つ奥行きと優しさを漂わせている。彼女の儚い佇まいは、見る者に深い感銘を残す。


 美月さんは肩まで伸びた深い茶色の髪が乱れるのも厭わず、必死にお願いして回る。


「情報を、お願いいたします」


 シングルマザーの美月さんが臣くんを連れて亀岡にやってきたのは、私が小学校一年生の時だった。


 儚さを背負いながら清らかに働き、女手一つで子どもを育てる美月さんは、引っ越し当初から近所で評判の美人だった。


 臣くんが事件にあってから、美月さんはみるみるやつれて痩せてしまった。


 だが、今も臣くんを探し続ける彼女の美しさはあれから十年、ますます磨きがかかるようだ。


 美月さんがチラシを配ると飛ぶように数が出る。だが、その反面、トラブルも増える。 


 美月さんのような美人がチラシを配ると、すぐに勘違いした男から誘いの声がかかるからだ。観光客が多い土地柄なので、旅先で調子に乗ってしまう奴も多い。


 美月さんが次にチラシを配った相手は、あからさまに異様だった。



 背が高く、短い白髪の男は、狐の面をつけている。



 つい二度見してしまう怪しさだ。


「情報を、お願いします」

「受け取ります。がんばってくださいね!」


 妙に馴れ馴れしい明るい声に、私は美月さんの危機を感じる。キッと鋭い視線を狐面の男に向けた。


 男の鼻から額まで顔半面を覆い隠す狐面は、白地に赤い模様が入っている。


 そんなものを身に着けて顔の上半分を隠して歩き、目も見せないなんて、不審者極まりない。しかも白髪。和風のピエロだ。美月さんを守らなくては。


「ちょっと、あんた」


 私は狐面の男に刺々しい音を飛ばした。


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