第9話 頼ることへの罪悪感

「助けてって言えばいいのに」

友人がそう言ったとき、私は言葉に詰まった。助けを求めることの大切さは、頭では分かっている。けれど、実際にそれを行動に移すことが、私にとってどれほど難しいかは、きっと分かってもらえないだろうと思った。


両親の病気や家庭の経済状況、自分自身の障害――これらを抱えていると、周囲の誰かに頼ることが必要だというのは明らかだ。でも、私の心の奥底には「自分の問題は自分で何とかしなければならない」という意識が根強く残っている。誰かに頼るのは、どこか自分の弱さを認めるようで怖いのだ。


私は幼い頃から、「自分で頑張ること」が大切だと言われて育ってきた。両親もまた、自分たちの問題をできるだけ自力で解決しようとする人たちだ。その姿を見て育った私は、自然と「誰かに頼ることは迷惑をかけることだ」という考えを持つようになった。


だからこそ、友人に「助けて」と言うことも、福祉窓口で「支援が必要です」と言うことも、心のハードルが高い。たとえ小さな頼み事であっても、どこか申し訳なさが先に立ってしまう。それが、私が一人で抱え込む癖の理由のひとつだと思う。


でも、あるとき気づいた。私が「頼る」という行為を過剰に重たく受け止めているだけで、相手にとってはそうではないのかもしれない、と。


以前、福祉窓口の相談員に「自分の悩みを話すのが苦手なんです」と言ったことがある。すると、その人は「話せる範囲で大丈夫ですよ。ここはそれをする場所ですから」と穏やかに答えてくれた。その言葉を聞いたとき、私は初めて、「頼ることは迷惑ではない」という考えが少しだけ腑に落ちた気がした。


両親に対しても、私は無意識に頼ることを避けている。彼らもまた私に遠慮している部分があるのだろうと思う。お互いに遠慮し合うことで、逆に会話が減り、問題が大きくなることもある。だから最近は、意識して少しだけ自分の気持ちを言葉にするようにしている。


たとえば、「今月の生活費がちょっと不安なんだ」とか、「家事を手伝ってほしいことがある」といった具体的なこと。最初は言いづらかったけれど、伝えることで両親が「私たちも頼っていいんだ」と思えるようになった気がする。


頼ることへの罪悪感は、すぐには消えない。それでも、少しずつ「誰かを頼ることは、自分を大切にすることでもある」と思えるようになってきた。頼ることで心の余裕が生まれ、それが私自身や家族を守る力になるのだと信じている。


これからも、必要なときに少しずつ手を伸ばす練習をしていきたい。頼ることが自然にできるようになる日はまだ遠いかもしれないけれど、それでも私はその一歩を踏み出したいと思う。少しでも心が軽くなる未来を目指して。

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