第5話 友人と遊ぶときの罪悪感
友人と遊んでいるとき、ふと「私、こんなことをしていて良いのだろうか?」と思う瞬間がある。周囲の笑い声や楽しそうな表情を見て、つい自分だけが違う場所にいるような感覚になるのだ。
頭のどこかに、両親のことがちらついている。母は糖尿病で、父は透析に通っている。毎日しんどそうな顔で過ごしている二人を思うと、私が楽しんでいることに罪悪感を抱いてしまう。特に友人たちが「旅行に行きたい」「新しい服を買った」と話すたびに、自分にはそんな余裕がない現実を思い知らされる。
「遊んでいて良いのだろうか?」という問いは、自分に対する責めの言葉のように感じる。楽しむことがいけないわけではない。それはわかっている。でも、自分だけが笑顔でいることが、どこか間違っているように思えてしまうのだ。
罪悪感の根底には、きっと「自分の役割」を果たせていないという思いがあるのだと思う。両親のために何もできていないと感じることが、私を苦しめている。私がもっとしっかりしていれば、もっと頼りになる存在でいられれば、こんな気持ちにはならないのかもしれない。
でも、冷静に考えてみると、友人と遊ぶことが両親に迷惑をかけているわけではない。むしろ、私が少しでも元気でいられることは、両親にとっても安心につながるのではないか、と最近は思えるようになってきた。
以前、友人に「遊んでいても、どこかで不安があるんだ」と話してみたことがある。その友人は、「そんなふうに思う必要なんてないよ」と笑いながら、「むしろ遊んで元気になって、また家族を支えればいいじゃん」と軽く言った。
その言葉を聞いて、私は少し肩の力が抜けた気がした。誰かと過ごす時間は、確かに私をリフレッシュさせてくれる。それが罪悪感に押しつぶされてしまうのは、もったいないことだと思った。
もちろん、まだ完全に罪悪感を手放せたわけではない。それでも、「楽しむことも自分にとって必要な時間だ」と考えるようにしている。遊びの時間があるからこそ、不安や責任感と向き合う力が生まれるのだと信じたい。
友人と笑い合う時間は、私にとっての小さな救いだ。その時間を、もう少し素直に受け入れてみたいと思う。そして、いつか罪悪感を抱くことなく「この時間が私を支えてくれている」と言えるようになりたい。
遊びと悩み、その間を揺れ動く日々。それでも、少しずつ自分を許せるようになることを目指していこうと思う。
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