第4話 大天使

 ルシフェラの涙が枯れたのは、翌朝のこと。朝の訪れを知らせる鐘のが鳴り響き、暫くしてからのことだった。彼女は闇のない夜のあいだ、泣き続けていた。そうして涙を出し切ったあと、おもむろに家を出る。別れの挨拶をするつもりはない。そんなことは、するべきではないのだ。そのことをルシフェラは重々承知している。


 もし仮に、誰か一人にでも別れの挨拶をすれば、ルシフェラはたちまちのうちに捕らえられるだろう。別れの挨拶をするということは、天上から去るということを知らせる行為である。それは、間違いなく愚行である。大きな間違いといえる行為である。


 天上から去るということは、地上へと赴くことを意味している。そんな行為を、あるじであるヤヴァイネはおろか、どの天使も見逃す筈はない。必ずや見咎められるに違いない。そんなことになれば、ルシフェラが地上に降り立つことは永遠になくなる。人間たちを救う機会が永遠に失われてしまうのだ。


 ヤヴァイネの許可を得ることなく地上に降り立つことは、絶対的な禁忌である。それを犯そうとする者は、ヤヴァイネに対する反逆者である。そしてそんな行為を見逃すこともまた、ヤヴァイネに対する反逆に値する。よってルシフェラは、別れを誰にも告げずに天上から去らねばならない。そして誰にも見られることなく、見送られることなく、去らねばならない。そのことが、彼女を一晩にわたって苦しめ、涙に暮れさせていたのである。






 ルシフェラには、仲の良い天使がそれなりにいる。もちろん彼女と仲の悪い天使などは一人としていない。ちょくちょく言い合いをするラファエラやウリエラとでさえも、決して仲が悪いワケではない。少しばかり考え方に相違があるに過ぎない。なんなら、その二人とは仲が良い方である。その理由は、ルシフェラを始めとする彼女たちの格にある。


 多くの天使がいる中で、その最上位の格である大天使に任じられているルシフェラ。しかし最上位の格が一人だけということはない。大天使は他にもいるのだ。そんな中、取り分け優秀な大天使たちがいる。そんな彼女らは、『五大天使』と呼ばれている。その内訳は、ミカエラ、ルシフェラ、ガブリエラ、ラファエラ、ウリエラとなっている。彼女たち五名はそんな状態にあるため、取り分け仲が良いのである。


 しかしながら、その中でもルシフェラと特別に仲が良いのは、ミカエラである。ミカエラは天使たちのまとめ役であるから、全ての天使と交流を持っている。折を見ては、様々な天使と会話をするようにしているのだ。よって勿論、ルシフェラとも話をする。


 だが、まとめ役という役割を超越して、ミカエラはルシフェラと接している。ミカエラはルシフェラのことを常に気に掛けているのだ。それは、彼女たち二人が特に優れている天使だから───ということに端を発する。


 ミカエラは自身の能力に優れ、集団を統率することにも長けている。天使たちのまとめ役は彼女以外には考えられない、と誰もが認めるほどだ。一方のルシフェラは統率力こそ低いものの、自身の能力は多くの天使たちの中でも随一を誇る。この二人が対峙すれば、一対一の状況であれば、間違いなくルシフェラが勝ると断言しても良いだろう。とはいえ、それは僅差の勝利となることもまた、間違いない。


 よってミカエラはルシフェラに対し、特別な感情をいだいている。それは、憧憬しょうけいである。彼女が憧れているのは、あるじであるヤヴァイネを除けば、ルシフェラのみである。ミカエラは、ルシフェラの強さと度胸に憧れているのである。


 そしてまた、ルシフェラもミカエラに憧れている。彼女の信望と深謀に憧れている。その二つは、残念ながらルシフェラには些か欠けているモノだ。


 よって彼女たちは、互いに惹かれ合っているといえる。だからその仲が深まっていったことは、必然なのである。






 家を出たルシフェラは、なんとも力強く歩いていた。その顔は、とても晴れやかである。まるで、あらゆる悪いモノを振り払ったかのようにも見える。彼女は大量の涙によって、全ての憂いを洗い流したのだろう。そんなルシフェラのすぐ後ろには、当然ながら真っ黒な蛇がついてきていた。


 天上を歩き続けたルシフェラは、やがてその縁へと辿り着く。眼下には、遥か遠くに地上が見える。茶色、緑色、青色などが見える。


「行くのか?」


「うん!」


 真っ黒な蛇からの最終確認に対し、力強く答えたルシフェラ。それと同時に彼女は、背中の翼を大きく広げた。


 本来は純白の翼が、今は白銀に見える。燦々と降り注ぐ陽射ひざしに照らされ、ルシフェラの翼は輝いているのだ。その輝きはまるで、彼女の心のうちを表しているかのようだ。


 ふぅ、と一息ひといき吐き、上半身を天上の縁の外へと軽く傾けるルシフェラ。あとは、一思ひとおもいに飛び立つだけだ。






「ルシフェラ!? なにをしているんだ!?」


 ルシフェラが遂に天上から去ろうかという、まさにそのとき、彼女の背後から声がした。思わず振り返るルシフェラ。すると彼女の目に、一人の天使の姿が映った。


 それは・・・、ミカエラであった。



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