中学三年生の僕

 中学三年生になった。


 皆が将来の事に忙しくなり始め、僕のビッチ事件が忘れられ始めたころ、一人の転校生がやってきた。

 転校生の女の子はおしとやかで、所謂お嬢様の様な人だった。

 最初はそのおっとりとした性格から「天然キャラ」として皆に愛されていた。

 しかし、ガスバーナーを使う理科の実験中に事件は起こった。

 転校生の女の子が突然過呼吸を起こした。

 どうも火が苦手だった様で、その日以降火を使う実験の際は別室で自習をすることになった。

 クラスメイトは皆口々に「家が火事になったことがあるんじゃない?」とか「大やけど負ったことがあるとか?」と自分たちの中で膨らむ疑問を妄想で片づけていた。


 転校生の事件と同じ時期に別の女子生徒が事件を起こした。

 僕の後ろの席の女子生徒が授業中に僕に「ハサミ貸して」と言ってきた。

 僕は貰った資料をノートに貼るために切るものだと思い、何も疑わずにハサミを貸した。

 すると、女子生徒は僕のハサミを持ったまま先生に「トイレに行きたい」と伝えて教室を出て行った。

 流石に何かがおかしいと思った僕は隣の生徒にハサミを貸したこと、それを持ってトイレに行った事を伝えてどうしようと相談した。

 僕から相談を受けた生徒は「それやばくね?」と黒板に文字を書いていた先生にも聞こえる声量で言った。

 僕はそんなに大事にするつもりは無かったので、生徒の声量にクラス全員が反応したことに焦りを隠せなかった。

 先生は授業を中断して、声の主に事情を聞いた。

 先生も嫌なことしか想像出来なかった様で、急いでトイレに駆け込んだ。

 僕もハサミを貸してしまった罪悪感から先生の後を追ってトイレに入った。

 中では、唯一閉まっている個室に話しかけている先生が居た。

 大事になっていると気づいた女子生徒はすぐに個室の扉を開けた。

 握っていた僕のハサミは血だらけで、ハサミを握っていた手と逆の手は、手首からの血が垂れていた。

 これが僕とリストカットの本格的な出会いだった。

 小学四年生の時にリスカの存在は知っていたが、見様見真似でしかやったことが無く、この日初めて本物のリスカを見た。


 女子生徒は先生を押しのけて、僕の方に来た。

 血まみれのハサミを押し付けながら女子生徒は「サイテー」と僕に言い残して去っていった。

 僕は大事にしてしまった罪悪感から体が固まり、押し付けられたハサミを受け取れずに地面に落とした。

 教室に先生と戻ると、僕の制服のワイシャツに付いた血を見てクラスメイト達は事を察した様だった。

 その時間の授業は誰も集中出来ずに自殺未遂の話で盛り上がっていた。

授業終わりの昼休みに「そもそもハサミ貸した奴が悪くね?」と僕に矛先を向けられた。

僕はまた悪者にされるのかと、教室の端で体を縮込めていた。

すると、事情を説明していた隣の席の生徒が矛先を僕に向けてきた生徒に「資料切るかと思ったんだってさ!実質被害者でしょ?」と言ってくれた。

「そうだよね?」と僕に笑顔を向けてくれたその生徒のおかげで、僕はちゃんと説明すれば味方になってくれる人もいるんだ。今まで、僕の言葉足らずで皆が誤解していただけだったんだと気づいた。

僕は大きな声で「そうだね」と返事した。


自殺未遂をした女子生徒は卒業式まで学校に顔を出すことは無かった。

そして、その事件をきっかけに転校生のトラウマ事件も構ってほしいが故の嘘だということになってしまった。


 数日後に僕は転校生と帰りが被った。

嘘だと認定されて以来、転校生はクラスで浮いていた。

僕は後先考えずに振り返って転校生に「ちゃんと話せば分かってくれるよ!僕も言葉足らずで良く誤解されてたけど、理由をちゃんと話したら皆も誤解を解いて理解してくれたんだ」と、この間の出来事をその日休みだった転校生に伝えた。

転校生は「ありがとう」と僕に言った。久しぶりに明るい顔を見た気がした。


 次の日、担任兼理科担当の先生の口から転校生の事情が説明された。

 「彼女が今まで実験に参加できなかった理由は、火は熱そうで怖いからです」と。

 僕は(言えたんだ!偉い)と思ったが、クラスメイトに説明するには時間が経ちすぎていた。

 あまりにも勝手な妄想で膨らんでいたクラスメイトは口々に「え?そんな理由?」「火事とか関係ないじゃん」と言っていた。

 教室の空気が良くない方向に染まっていき、転校生は教室に居られなくなり飛び出した。

 僕は急いで転校生の後を追いかけた。


 廊下の突き当りで転校生に追い付いた僕は、転校生の腕を掴んだ。

 腕を掴まれた転校生は反射で足を止めて僕に振り返った。

 その顔は泣いていた。

 僕は弾かれる様に掴んでいた手を放してしまった。

 転校生は僕に一言「嘘つき」と言ってまた走り出してしまった。

 僕にはもう、彼女にかける言葉も資格も無かった。


 数か月後、転校生は再度転校して行った。

それと入れ替わる様に、今まで学校を休んでいた女子生徒が登校するようになった。

 何も知らない女子生徒は、その時隣の席だった僕に良く話しかけてくれた。

 この子も一人で他に話せる人が居ないんだと思っていた僕は頼られている事に自惚れて片っ端からお願い事を聞いていた。

 修学旅行の班決め、僕は当たり前のようにその子と同じ班になると思っていた。

 しかしその子は、別の男子生徒に声をかけていた。

 相手は、男子テニス部の所謂爽やかイケメンだ。

 僕はまた、人数合わせでその子のグループに誘われた。

 僕が一番じゃないことに絶望して修学旅行の行き先の話し合いには参加出来なかった。


 放課後、僕はその子に「他にも話せる人いたんだね」と聞いてしまった。

 その子は少し考えるようにしてから「まぁ、二年生の中頃までは普通に通ってたし、休んでる間も皆とは遊んでたしね」と笑顔で返してきた。

 あぁ、そうか。勝手にこの子も人間関係に悩んで不登校になっていたと勘違いしていたんだ。勝手な決めつけでこの子を判断していた。結局僕も、僕の味方をしてくれなかった人たちと同じで過程じゃなくて結果しか見ていなかったんだ。と気づいてしまった。

 黙り込んでしまった僕を心配そうな目で見るその子に僕は笑顔で「まぁ、そうだよね!」と返した。


 修学旅行は今まで通りただついて行くだけの旅行だった。

 ひとつ違うとしたら、不登校女子が僕のことも輪に入れてくれたことだ。

 やぱり、味方がいるだけで僕が独りになることはないんだな。と、他力本願な事を考えていた。

 不登校女子に誘われて修学旅行先でパンケーキが有名なお店に入った。

 そのお店は抹茶が有名だったが、僕は抹茶が苦手だったのでフルーツのやつを頼んだ。

 そんな僕を見て不登校女子は「それ食べるの?」と、聞いてきた。

 きっと他愛もない会話のつもりだったのだろう。

 しかし、何故か僕にはその言葉が僕を責めている様に聞こえ「なんで?」と返した。

 すると、不登校女子は「んー。特には無いけど、旅行出来て有名って言われてる抹茶食べないの変だし、君はどちらかと言うとこっちのイメージだったからさ、フルーツなんて食べるんだ。って思っただけー」と言った。

 タイミング悪く、店員が料理を運んで来たので会話はそこで終わってしまった。

 僕の中で(僕の選んだ物って僕らしくないんだ。これ食べてるのって変なんだ。)という思いが渦巻いてどうやってパンケーキを食べたのか、ちゃんと全て食べられたのか思い出せなかった。

 そこから僕は自分の食べている物を見られるのが怖くなり、人前でご飯を食べるのが苦手になった。

 どうしても食べなきゃいけない状況になったら、周りに合わせるか限定物、または人気NO・1を選ぶようになった。


 進路に悩み始めた三学期、僕はなりたいものも行きたい高校も思いつかず、先生に薦められた農業高校に行くことにした。

 小学校も中学校もまともに授業を受けてこなかった僕は、不安を胸にしながら受けた受験も無事に合格した。

僕はその後、卒業まで学校を丸々休んだ。


 卒業式----------。

皆が親や先生と写真を撮っている中、僕は一人誰にも挨拶せずに帰宅した。


 玄関で父親が待ち伏せしていることに気づいた僕は逃げようと来た道を振り返ったが、そこにはあの男が居た。

 知っている。何度も体に叩き込まれた。心に刻まれた。この男が居る日はあれを使う日だ。

 僕は必死に抵抗したが、抵抗虚しく男に物置に押し込められた。


 何度も味わっている苦痛と屈辱に耐えきれなくなり、僕はまだ体内に残っているかもしれない薬を出すために初めて死なない程度で跡が残る程のリスカをした。

 切った部分から血が流れだすのを見て、僕はどんなに表面を磨いても落としきれない体の中にある汚いものが流れ出ている気がして安心していた。


 その日以降、父親が家に帰ってくることは無かった。


 数日しないくらいに母親も父親を追いかけて出て行った。

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