小学四年生の僕

 小学四年生になった僕は今、トイレの個室でずぶ濡れになっていた。

 髪から滴る水滴を目で追いかけるだけで体はびくとも動かなかった。

 扉の向こうからは女子生徒のしゃがれた笑い声と甲高い笑い声の二つが聞こえてきた。

 そう。僕はさっきその二人に水をかけられたのだ。

 上を見上げると、ぽたぽたと水滴を垂らしているホースが居た。

 どうやらこのホースで僕に水をかけたらしい。

 再度自分の体を確認すると、水を吸ったズボンは変色しており、Tシャツは気持ち悪いくらいに体に吸い付いていた。

 そんな事をしている間に女子生徒たちはトイレから居なくなった。

 一応居なくなったのを確認してから僕は個室を出た。

 誰もいない……。

 あの二人はいつもそうだ。誰もいない又は誰にも分からない様に、僕にだけ分かるように嫌がらせをしてくる。

 僕は濡れた髪の毛をハンカチで拭きながら考える。

 髪の毛は短いからすぐに乾く。

 眼鏡も拭けばいい。

 服はどうしようか?着替えは体操着があるからいいが、一人だけ体操着だと目立ってしまう。

 そうなると勿論先生に不審がられて質問されてしまう。その場合なんて返そうか。素直に答えるか、誤魔化すか、しかし相手は二歳年上。話したところで先生は対応してくれないかもしれない。

 そんな事を考えながらも致し方ないので体操着に着替えることにした。

 トイレから出ると、ばったり担任の先生に会ってしまった。

 人の方を一度見てからすぐに目を逸らして目の前を通り過ぎてしまった。

 結局はそんなものか。

 僕は心の中で少し期待していたのかもしれない。少し心臓の辺りがチクチクした。


 次の日から僕は学校を休んだ。

 母親も最初は放置だったが、父親に僕が学校に行っていないことがバレて「育児をほったらかしにしている」と怒鳴り散らされ殴られてからは必要以上に僕に構うようになった。

 毎日大丈夫?と聞いてきたが、決して核心には触れないように、少し腫れものを扱うように接しられた。

 僕はとうとう夜ご飯の時間に泣き喚いた。

 学校が嫌な理由もいじめられていることも全部話した。

 母親は父親にそのことがバレたらという恐怖で僕の口を押えてこう言った「明日問い合わせるから今は黙って、お願い」と。

 僕はやっといじめから解放されると嬉しくなり、母親の言う事に従った。


 次の日、母親は僕を置いて学校に一人で行った。

 帰ってきた母親は僕に一言「明日からはちゃんと行くんだよ?」とだけ言って、他には何も言ってくれなかった。

 僕は「頑張ったね」とか「気付いてあげられなくてごめんね」とかそういう言葉が欲しかったのだと言って欲しかったのだとこの時気付いた。

 横を通り過ぎる際に出た母のため息はどういう意味を含んでいたのだろうか。


 次の日学校に行くと、あんなにも無視を決め込んでいた担任が別人のように僕に優しくしてきた。

 「トイレに行くときは先生が一緒に行くから一言声をかけてね」と言われたり、「教室移動するときは先生と一緒に行きましょうね」と言われたり。

 クラス内で、僕と先生が付き合っている、あの二人は実は親子なのでは?と変な噂が流れるようになった。


 ある日、クラスの人に「先生がトイレ見張ってるから行きにくい」とクレームを言われてしまった。

 それもそうだと思い、僕が先生にもう大丈夫です。と言いに行ったら、お昼休みに呼び出された。

 なかなか謝らないその子に先生は「悪い事したらごめんなさいでしょ?」とその子に怒った。

 僕が何事か頭の中を整理できていない間に男の子は納得していない顔で僕に謝った。

 僕も反射的にいいよと言ってしまった。

 その日のうちに僕にはチクリ間というあだ名がついた。

 そして、その日から僕はトイレに行くのが怖くなってしまった。

 学校でトイレをしない様にひたすらに我慢する様になり、その癖は未だに抜けていない。

 トイレに行くことを避けるために水分補給の回数を減らしていた結果、今はお医者さんに常に脱水気味と言われるくらいに意識していないと飲み物を飲まなくなってしまった。

 そして、僕は弱音を吐くのを辞めた。

 吐いたって結局事態は悪化しただけで、敵が更に増えただけ。

 自分の力だけでどうにかしよう。そう誓った。

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