人物月旦編

010

 小学生の頃、義理チョコの意味が分からずに辞書で義理という言葉を引いたことがある。曰く相互関係を維持するための行為という意味らしい。

 なるほど、友達に旅行土産を渡す様なものかとその時は納得したけれど、中学生になった今、他の意味を見落としてるのではないかと思えてならない。義理チョコの意味が変わったのか、取り巻く環境が変わったのかはまだ理解できないけれど。


「わざわざ下駄箱に手紙入れて呼び出すなんて、古風だよね」


 放課後、部室で僕の顔を見るなり、卯遠坂先輩は苦笑いを浮かべながら言った。


「仕方ないじゃないですか。僕はスマホ持ってないんですよ」


 僕は肩を竦めてみせる。


「ちなみに下駄箱の場所は知らなかったので適当に入れました。宛名を書いておけば気のいい先輩方なら正しく入れ直してくれると思ってましたけど、正解でした」

「私が来ないとか考えなかったの? 手紙を捨てられるとかそもそも呼び出しに応じない可能性とか」

「考えませんでした。もし捨てられてたとしても、先輩はここに来るって信じてましたから」

「アリちゃんみたいなこと言うんだね」


 そんなこと言ってたっけ? 全然覚えてないな。

 僕はただ先輩を信じていただけだ。


「それで?」

「それで、とは?」

「すっとぼけないの」


 これから何があるのかも既に察しているのか、先輩はいつになく真面目な口調で言った。


「まあ、そうなんですけどね……」


 つい目が泳いでしまう。

 呼び出したのは僕だし、用事もあるのも僕で間違いないのだけれど。どうやら追い詰められたところで本気を出せないのが僕のようだ。

 いっそ犯人さながらに波打ち際の崖まで追い詰められてしまいたい。そうすれば自供もできそうだ。

 立場は真逆なのに。


「ホワイトデーのお返し何がいいですか?」

「……一カ月も先だよ、それ」

「先輩の好きなもの知りたいんですよ。知ってると思いますけど、僕は先輩のことが大好きなんですよ」

「うん」

「だから、好きなものが知りたいんです」

「ひみつ」


 にっこりと、いつもの笑みで先輩はそう言った。


「じゃあせめて、抱きしめてもらうとか」

「それは未練が残るからだめかな。それに――」

「なら仕方ないですね。先輩のパンツを見せてもらって我慢します」

「なんの我慢!?」

「大好きな人が履いてるパンツを目に焼き付けいって思うのは普通じゃないですか」

「そんな普通はないよ!?」

「それは残念」

「それよりも、ここに呼んだ理由は?」


 今日はいつもよりも言葉が饒舌だ。

 普段のあれは演技なんだろうか。いや、そんなことはないはずだ。 


「僕が先輩に告白するため、じゃ駄目ですか?」

「嘘はだめだよ」

「本当ですよ。本当に僕は先輩が好きなんですから。好きじゃなかったらこんな寒い場所でいつまでも待ちませんよ」

「ごめんなさい」


 先輩は頭を真っすぐ下げた。

 誠意とはこういうものだと、見せつけるように。


「……生まれて初めてフラれましたけど、結構心に来ますね」

「それだけ好きでいてくれたなら嬉しいけどね」

「その言葉では僕の気持ちは癒されません。なのでパンツを」

「駄目です」

「それは残念」


 僕は肩を竦めた。

 よし、僕も落ち着いた。これで本題に入れる。


「先輩。部長は自殺だったんですね?」


 僕は言った。

 これは推理ではない。警察が判断した確定情報だ。

 先輩は僕を真っすぐ見据え、何も言わなかった。


「部長が自殺に至った理由は僕は分かりません。人でなしですからね。けど、最初にそれを見つけたのは先輩だ」

「よくわかったね」

「僕の手柄じゃないですけどね。僕はずっと部長が殺されたと思ってましたから。けど、そうじゃなくて、本当はのが目的だったんですね」


 死体に注目させるために顔を潰した。

 奇しくも猪子さんの推理通りだった。


「あんな死体を見たら誰だって殺人事件だと思いますよ。犯人はきっと怨恨で部長を殺したに違いないなんて、まったく見当違いも甚だしい答えでした」


 顔を潰されて全身を木刀で殴られて。しかもそれが死んだ後の出来事なんて、死体に鞭打つ行為そのものだ。

 だからこそ、動機と死因の温度差がちぐはぐに見えてしまっていた。


「でもそうじゃない。本当の死因は自殺だった。けれど、だからこそ、動機になったんですね。と思う何かがあった。でもその理由が僕にはずっとわからなかったんです。僕、無宗教なので」


 ましてや雫石鏡学園に通ってる身だ。自刃とはつまり切腹とは真逆の――決して許されざる罪になるんだから。

 そう言ったのはおばさんだったのに、それに最後まで気づかなかったのはおばさんも、そして僕も他人の気持ちに疎いからだ。

 自分が罪を被ってまで他人の名誉を守ろうとする気持ちを。


「どうして自殺者を咎める掟が宗教にあるのか、僕は知りませんけど、先輩が敬虔な信徒であるなら納得できます。動機は。となると後は芋づる式ですね。

「部長の名誉を守るために殺人に見せかけた。殺人事件に見せかけるなら徹底して犯人を演じなければいけない。けど、それだけじゃ他の人間が疑われる可能性がある。部長の名誉を守ったのに他の人の名誉を蔑ろにはできない。ならどうするか。

「密室だったと嘘を吐けば良い」


 あの日あの場で僕にバレンタインチョコをくれたのはそれが目的だった。

 僕にドアを握らせないための工作だった。そのためならチョコじゃなくてもよかったのだ。


「密室なんてを吐くなんて理由なんて、犯人以外にありませんから。これが僕の考えですけど、どうでしょう?」


 最後まで黙って聞いていた卯遠坂先輩は、ゆっくりと口を開いた。


「……一つだけ違うよ」

「あれ、違いました?」

「うん。敬虔な信徒はアリちゃんの方。他はあってるかな」

「じゃあ合格と言うことで」

「……おめでとう」

「ありがとうございます」


 なんて喜んでいいんだろうか。


「先輩、最後にデートしませんか?」

「……どうしてそういうことをこの空気で言うかな」

「いいじゃないですか。先輩の優しいところが僕は好きなんですから」

「ぱずるちゃんのそういうところ、私は嫌い」

「今更そんなことは知りたくなかったですね」

「でも、ありがとう」


 この後、僕と先輩は最初で最後の車中デートと相成った。

 口やかましいお邪魔虫が一人いたけれど、それは中学生にとって仕方のない事だった。

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