008

 学校を休んだ翌日、僕は何食わぬ顔で登校した。

 猪子さんにはテスト勉強に付き合えなくてごめんなさいと謝ったけれど、猪子さんは僕の体調を一番に心配してくれて、それがなんだか逆に申し訳なかった。

 猪子さんが僕に触れたのはそれだけで、それ以外の話は一切出てこなかった。学校の校舎で生徒が一人殺されているというのに、その話は噂にも上ることなく、それほどにおばさんの仕事は完璧と言えた。

 噂が立つ前に火元を隠されては煙の立ちようがない。


 それでも人が一人――僕の先輩が死んだ事実が消えたわけではない。


 なんて頑張って感傷に浸ろうと思ってみたけれど、やはりどうしても浸ることが出来ない。何故、という疑問だけが僕を支配していた。恐らくこの疑問が氷解するまでは感傷に浸ることができないんだろう。一体どういう血筋なんだか。ご先祖様は雪女か何かに違いない。

 さて、謎と正面から向き合おうじゃあないか。先輩の墓前に華を添える万事解決してからだ。


 放課後、僕は事務室で鍵を借りることなく部室へ直行する。あの日以降、部室は立ち入り禁止のテープこそ貼られているものの、鍵自体は開け放たれているそうで、その辺もおばさんが調整しているらしい。本気で残り二日で解決する気なんだろうか。

 僕は部室のドアをノックした。

 当然何も返ってこない。

 何かを期待してノックしたわけではないので、そのままドアを開けた。

 中に死体はもうなく、あの死体を象ったテープが床に貼られている。中の物は荒らすな触れるなが中に入るうえでのおばさんとの絶対条件なので、ドアの手前から部室を覗くだけにとどめる。


「あの日は卯遠坂先輩と一緒だったんだよな……」


 まず先輩がこうやって中を覗いて、そのまま硬直してしまった。部室開けて真っ先に見えたのがあれじゃあ固まるのも当然だ。見えてるものに対して頭が追い付かない。

 事件の概要を聞いてもなお頭が追い付いてない僕みたいなのもいるけど。


 部長は仰向けで倒れていて、顔をダンベルで何度も殴り潰されて、全身を木刀で殴られて、死因はドアノブで首を吊った首吊りだ。なんて言われても何をどう理解しろとというのか。

 異常者である犯人を理解できるなんて異常者に違いない! なんてレッテルを貼る人間を僕は軽蔑するけど、それはそれとして、この事件に関してはそういう感想しか出てこない。

 どんなに嫌いな人間でも、これは嫌い過ぎている。

 一体どんなことがあれば、ここまでの事を躊躇なく出来てしまうんだろう。僕にだってここまで恨むことはできない。


 だから、その方向で犯人を捜すのは諦めよう。

 そんな極端に人を恨んでる分かりやすい人間なら、二日待たずに警察が事情聴取なりしてるはずで、わざわざ僕を容疑者に仕立て上げたりはしない。

 おばさんも言っていたように誰にそれが出来たか、そういう方向で考えるべきなんだろう。その流れで僕が容疑者になるのは納得しかねるけど。


「僕の立場ならどうやってこの状況を作れるか、か」


 僕を容疑者として見る以上、僕にはそれが出来ると踏んでいるのだろうけど、僕の潔白は僕自身が知っている。

 けれど思考実験としてやってみるのは悪い事ではないだろう。


 まず密室の謎について。

 おばさんは密室にしたかったから密室にしたんだ、なんて中学生みたいなことを言っていたけれど、偶然の可能性はどうだろう。

 部室の鍵は内側からはドアノブのツマミを回して錠の開け閉めが出来るタイプなので(サムターン回しと言うらしい)、一応偶然密室になる可能性は無くはない。

 無くはないって言うのはおばさんと僕が法律上可能だから結婚するくらいの可能性であって、そんな可能性なら何らかの意図があったと見るべきで、つまりはおばさんの主張を補強するだけになってしまった。

 だからこれを考える意味はあまり無い。


 次に死因の首吊りについて。

 犯人は命令して先輩に首を吊らせたのか、それとも眠っているところをわざわざ首を吊らせたのか、あるいはそこで首を吊ったと警察が誤解したのか。

 ちょうど事件の前日にあった部長のいつもの奇行だ。あの重りを紐で繋げてたあの奇行の痕跡が、偶然にも首吊りに使った紐で出来る痕跡と一致してしまったパターン。


 本当は犯人が直接首を縛って吊り上げたとか他の場所で吊ったとか。

 いや、前者はともかく後者は無いか。どこで首を吊ってどこからその身体をここに持ってくるというのか。そんな手間かけるとしても同じ階でしかやらないだろうし、それなら警察だって調べてるはずだ。おばさんが言ってないだけで。


 なら首を縛り上げたパターンはどうか。ひっそり後ろに回って紐で首を絞めてそのまま持ち上げれば大人でなくても、ある程度の身長があればやれるはず。


 もう一つが命令で首を吊ったパターンだけど、有り得るか?

 むしろどんな理由で脅されたら自ら首を吊るんだ。眠ってるところを吊るされたとした方が納得がいく。

 例えばそう、体調不良で部室で倒れているところを偶然置いてあった紐を使って吊るしたとか。


「……どんな偶然だよ」


 体調不良をクラスメイトは知ってるだろうけれど、だとしても部室で倒れてるなんて誰に予想出来るんだ。校内にいると予想しても真っ先に保健室に行くはずだ。部長の行動を日常的に知ってれば選択肢の一つに入れるとしても、そこからここまでの行動につながるか。ここに来た途端に殺意に目覚めたか、相当強烈なストーカーになってしまう。そんな偶然は有り得ない。だから眠っていたパターンも却下。

 誰かがそこにいて、自ら首を吊るように強制されたか、直接手を下されたか。それ以外には無い。

 それを僕が命令してやってくれるだろうか、有り得ない。むしろ僕が木刀で殴られて終わる。


 そうだ木刀だ。順番が逆の可能性だ。

 先に犯人が後ろから殴るなりなんなりして気絶させて、それから首を吊って、その傷を誤魔化すためにその後木刀で殴り倒したとか。


「そんな無駄な事、誰がやるんだ」


 カッとなって殴ったら死んでしまった。誤魔化すために首吊りに見せかけよう。でも頭の傷でバレるから全身殴ろう。

 気が動転しすぎてる。それなら真っ先に逃げろ。なんで逃げる時に鍵を閉める。そんな行動を取る人間がここを出ても平常でいられるわけがない。


「くふふふ……」


 思わず聞こえた吹き出す声に振り向くと、いつの間にか卯遠坂先輩が立っていた。


「先輩いたんですか」

「ごめんね、なにか忙しそうにしてたから」

「忙しくはなかったですけど……。どうしてこんなところに?」

「アリちゃんお菓子好きだったし、お供えしようかなって」

「お供えはまだしない方がいいですよ。警察がまだ調べ終わってないぽいですし」


 僕は言葉を選びつつ静止した。お菓子が残ってたら僕がおばさん経由で文句を言われそうだ。


「そうなんだ。ぱずるちゃんこそ、どうしてここに?」

「あー……いや。なんて言うんですかね」


 犯人探しをしています、なんて素直に言うべきか否か。


「ちょっと気になることがありまして」


 結局お茶を濁すことを選んだ僕だった。


「気になる事?」

「犯人は一体どうやって中に入ったのかなって」

「…………?」


 先輩は素直に首を傾げる。


「考えてみたんですけど、部長が殺されたタイミングがどうしても事務室に鍵がある時間しか無くてですね。そうなると犯人は合鍵を持ってるとかピッキングできる人間に限られてくるんですよ」

「合鍵は昔あったらしいよ」

「あったんですか!?」

「昔ね。それがあったから今の鍵を返すルールが出来たって、卒業した先輩から聞いたことがね」

「なんだ……、じゃあ合鍵はもう無いんですね」

「……と、思うかな」


 そう自信なさげに答えた。

 多分合鍵の線は無いだろうしピッキングも無いのは分かってる。


「ねえぱずるちゃん」

「なんでしょう」

「本当は犯人探ししてるんじゃないの?」

「ど、どうしてそんなことを思うんですか」

「部室の前で色々あーでもないこーでもないって一人でしてたから」

「……ひょっとしてですけど、結構前から見られてました?」

「ごめんね?」


 恥ずかしいところを見られていた。


「でもアリちゃんのために犯人を見つけようって思うのはすごいと思う。私じゃ何もできないし」

「別にあの人のためじゃないですけどね」

「ツンデレ?」

「じゃないです。先輩は心当たりあります?」

「……さすがに無いかな。あんなひどいこと、普通はできないじゃない?」

「僕も同感です。だから違う目線で考えようかなって」

「違う目線?」


 先輩はしゃがんで見せる。ちょうど部長の背の高さ辺りだ。もう少ししゃがんでスカート短ければ何を言ってるんだ僕は。


「そっちの目線じゃないです」


 僕は先輩にちゃんとつっこむ。

 確かにこれは僕にしかできない役目だ。


「僕が犯人だったらどうやって実行するかなって」

「ぱずるちゃんが犯人だったら」

「で、結局僕ならもっとうまくやるなって結論が出ました」

「もっとうまく」

「……いや、これ以上はやめましょうか」


 先輩の顔がどんどん曇っていく。あの事件からたった二日しか経ってないのに何を自慢げに言ってるのだろうか僕は。いくらなんでも不謹慎すぎだ。


「んーん。大丈夫だから」


 けれど先輩は気丈に振る舞う。


「私もね、アリちゃんをあんなにした犯人を見つけたい」

「……大丈夫なんですか?」

「うん。大丈夫」

「それなら一緒に考えてくれませんか?」

「……わかった」


 部室に入ってから僕の考えを一通り先輩に説明した。先輩は頷いたり首を傾げたりしつつも最後まで話を聞いてくれた。


「そうすると犯人は魔法使い?」


 聞いたうえでのそれが先輩の結論だった。

 おばさんの例え話を僕なりに訳した結果が大事故だ。


「その可能性はまず無しで。僕が犯人だったと仮定して進めましょう」

「でも犯人じゃないんだよね」

「もちろんです」

「むずかしい」


 そんなに簡単なら警察がとっくに解決しているからね。僕が容疑者だなんて脅されることもなかったし。


「鍵が掛かってなかったとしたら、どうなるの?」

「鍵を確認したの先輩なんですけどね。まあ、その場合犯人である僕はただの鬼畜外道だってことになりますね。休み時間は無理でも放課後に時間がありますから、そこでやったと」

「じゃあ犯人は放課後にアリバイが無かった人だね」

「それが駄目なんです。部長が放課後までずっとここにいることになりますから」

「トイレも行かずに?」

「さすがにトイレは行ってると思いますけど、何があったら午後ずっと部室に籠ると思います?」

「何かサプライズ用意しようとしてたんじゃない?」

「そう思うんですけど、何の準備も見当たらないんじゃないですか」


 犯人が捨てたとかそういう可能性はあるとしてもどんな不都合があったのか、という話にしかならない。


「それに……」

「それに?」


 あんまり褒めたくはないけれど、他に言葉が思いつかない。


「あの人、根が真面目じゃないですか」

「そうだね」


 先輩はにっこりと嬉しそうに微笑む。

 ほら、こうなるから嫌なんだ。


「そういうわけだからそもそも仮病で部活を休んだって言う線は無いと思うんです」

「私もそう思う」

「先輩はどんな理由ならここにずっと残り続けると思います?」

「アリちゃんってね、誰かのために動くタイプなんだよね」


 まるで何かを懐かしい思い出を語る様な表情で先輩は答える。


「誰かのためですか」

「だから例えば私とかぱずるちゃんの事で脅されてたとか?」

「それで抵抗して殺された……」


 お昼休みに抵抗したために殺されて、その後にさらに殺された?

 アリバイを作るために、お昼休みと放課後の二回に分けて。

 それなら時間に余裕はあるか……?

 いや、そんなのはアリバイでも何でもない。


「動けない理由だよね?」

「あ、ああ。そうでしたごめんなさい」


 僕は謝罪した。

 下手な考え休むに似たりで何一つ前進していない。情報を整理して並べて再確認して、ただ同じことを繰り返しているだけだ。


「誰かのためにって言うならぱずるちゃんもそうだよね」

「だから部長のためじゃないですって」

「アリちゃんのためだけじゃなくてもさ、私のためにだったりクラスメイトのためにだったり、色々してる」

「先輩には別格ですよ」


 猪子さんにだって僕の学生生活を守るためだし、誰かのために動いているつもりなんて全然だ。


「だからアリちゃんは見る目があるんだなって」

「その目が養われ過ぎて他に栄養が行かなかったんですかね」

「こら」

「ごめんなさい」


 なんだかこのやり取りも懐かしいな。


「ねえぱずるちゃん」


 先輩は、心苦しそうに言う。


「犯人は誰なんだろうね」

「まだ、わかりません」


 僕は答えられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る