異執編
007-1
「全くもって大変な事になってしまった。大変なこととは言うまでもない。きみの通う学校で人死にが出てしまったことだ。人が死ぬなんて、ましてや国の宝とも言うべき子供達の通う学び舎で人死にだなんて、世間が放っておくまい。放っておいてくれと願っても好き勝手口を出してくる、世間とはそういうものだ。石を捲って土を穿り虫を日の元に晒す子供の様に、きみ達の生活の場を荒らして衆目という日の元に晒す。そうして世間は新たな刺激を得て会話の種を増やし円滑に回る。世間とは常に贄を求め続ける餓鬼道という訳だ。板子一枚下は地獄とは世間にこそ相応しい。
そんな世界に国の宝を放り捨てる様な愚か者に、私はなるつもりはない。徹底的に対抗することをここに表明するよ。むしろそうしなければきみの母上に合わせる顔が無くなってしまう。
仰々しい?
もし本当にそう思っているなら今すぐ考えを改める事を勧めよう。言ったろう、板子一枚下は地獄だと。何故ならきみは、遺体の第一発見者であり、重要参考人であり、容疑者の一人だからだ。容疑者。日本は法治国家だからね、有罪判決が出るまでは厳密には犯罪者ではない。故の容疑者。きみも中学生だ、ニュースでこの言葉を耳目にするだろう。その時、きみは容疑者という言葉と共に読み上げられた名前を聞いて何を考えるか、何を思うか、どう映るか。思い当たる節はあるだろう。そういうことだ。
正義の名の下にかもしれないの憶測によって未成年の凶悪犯罪者に、きみは仕立て上げられようとしているわけだ。
人間一度学習した情報というのは簡単には変わらないし変える事が出来ない。一度誤った情報が流れればきみは一生『犯人かもしれない人』というレッテルを貼られることになる。それはつまり、きみの半生に汚点が残ることであり、延いてはきみの保護者たる私の顔が泥にまみれになることでもある。そうなってしまえば私は腹を切って死ぬしかない。烏羽家の末代までの恥として後ろ指差されて生きていける程、私は心逞しくはないのでね。最後に腹を切って名誉だけでも守ろうという話さ。武士ではないけども――ああ頼むからきみは何があろうと切腹なんてしないでくれよ。ましてや雫石鏡学園に通ってる身だ。彼ら彼女らからしたら、切腹と言うのは自刃でしかなく、自刃とはつまり切腹とは真逆の、決して許されざる罪になるんだから。そんなことをされては私の腹を切るだけでは足りなくなる。
ならばこれからすべきことは何か。
簡単明瞭。事件を解決することだ。
幸いどういうことか世間はまだ事件に気づいてはいない。なんてふふふ、この辺りは私も尽力したのでね、多少自慢させてもらうよ。持つべきものは権力者の友だ。どれだけコンピュータが発展しようとコミュニケーション能力とコネクションがAIに取って代わる事はないだろうから、きみも養うことを勧めよう。私は未だに他人とコミュニケートすることには慣れないけどね。特に人の気持ちだけは。
さて、まずは情報をまとめよう。
被害者はきみの所属する部の部長――いや、元部長の鮫アリアさん。中学三年生。発見者はきみ、烏羽ぱずるくんと卯遠坂衣織さん。明確な死亡時刻はわからないけれど、午後一時二十分からきみ達が発見する午後五時までの間なのは間違いない。事務室の石部金吉
現場は部室棟と呼ばれる校舎の三階、そこにあるきみ達の部室。発見時、部屋の鍵は閉まっていて被害者は膝掛けを頭に掛けられて部屋の真ん中で倒れていた。そして顔の下は潰されていた、と。遺体に触ってしまったのはマイナスだけど、この場合は不可抗力だね。
ここからは犯人と警察関係者だけが知ってる情報だ。
まず潰された顔だけど、凶器は部室に遭ったダンベルでほぼ間違いない。それもただ殴ったわけじゃあない。何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も、執拗という言葉が霞むくらい何度もダンベルで殴り潰したんだ。全く女の子にする仕打ちではない。
潰された顔ばかりに気を取られてしまいがちだけど、被害者が負った傷はそれだけじゃない。首も胸もお腹も腕も首も足も背中も全身くまなく等しく殴られていた。こちらの凶器は同じ部屋にあった木刀だ。全身を殴って更に顔も殴ってどれだけの恨みがあればここまで出来るんだろうか。私には全く想像が出来ないよ。
そして真に驚くべきは彼女の死因だ。これだけの惨い仕打ちをしているにもかかわらず直接の死因は全く違うときてる。首吊りだよ。ドアノブに首吊りに使った紐の痕があったらしく、間違いないとのことだ。つまり彼女は、首を吊って死に、その後に滅多打ちにされた挙句顔まで潰された事になる。一体何があればここまでの仕打ちを受けることになるのか。全く、私の語彙力を以てしても言葉を失くしてしまうよ。
さて、ここまで一通り話させてもらったけれど、何かあるかな?」
「……喋りながら他の事するなんて二度としないでください」
キッチンが大惨事だ。
二月十五日。あれから一日が経った。世間も世情も学校もまるで何もなかったかのように――あの死体はやっぱりドッキリだったのだと信じさせてくれるくらいに何も変わらない。その中でも一番変わらなかったのが僕の心情だった。身近な人の無惨極まりない死体を見たばかりだというのに、自分でも薄情と思う程にショックを受けていない。おばさんはそれを血筋だと言うけれど、武士でも無い家系にどんな血筋があるというのか。部活で鍛えられた賜物だと言ってもらえた方がまだ納得はできる。
納得できたところで、ショックを受けていない僕には何の影響も無いのだけど。
それでも、学校は休んだ。
正しくは、無理矢理休まされた。普通に身支度を整え普通に弁当を詰め普通に朝食を摂っていたところをおばさんにストップをかけられた。ただし、そこに僕の身を案じる言葉はなかった。おばさんの弁舌をまとめるならこうだ。
きみが学校にいると仕事をこなす上で障害となる。素直に家で自主学習に勤しんでくれ。
僕がいない間に一体何をしてきたのか。おばさんの弁を聞く限りはそれはどうやらつつがなく成し遂げたようではあるが。
しかしそれはそれ、これはこれ。
いくらおばさんの命でもこれだけの惨事を見せられて、僕が動かないのは僕の信条に反する。
「あとの洗い物は僕がするので、おばさんはせめて話相手になってくれませんか」
「おいおい何を言うんだぱずるくん。こんな日くらい大人が力にならなくてどうするんだ――」
「本当に力になってないから言ってるんです。どうするんですかこんな水浸しにして」
「わかった。そこまで言うならきみに従おう。だが、せめて床だけは拭かせてくれ」
人に得手不得手はあるけれど、よくこれで独り暮らしを続けてこられたな。白羽の矢が立った理由って案外こういうことだったりするのかもしれない。
「今回の事件について所感を述べるとするなら、最悪の一言だ」
自分が汚した床に這い蹲って丁寧に拭き掃除していたことをまるで無かったかの如く、努めて冷静かつ格好つけて、おばさんは言った。
「首吊りと密室だけで終わっていればまだ事件性は無いと判断されただろうに、危険を冒してまで顔を潰したのは何故か。密室にした意味がまるでない。ちぐはぐにも程がある。非合理が極まりすぎて理屈が並ばない。理屈が無ければ――お手上げだ」
「格好つけてお手上げって、お手上げも何も事件を解決するのは警察の役目でしょう」
最後の鍋を洗い終え、手を拭っておばさんと相対する椅子に僕は座る。なんとなくソファに座る気が起きなかった。
「どうしてわざわざおばさんがそんなことを」
「人の話を聞き逃すとはやはり心労が溜まってると見えるね」
おばさんは肩を竦める。その仕草が無性に鼻に付いた。
「きみは凶悪事件の容疑者の筆頭なんだ。もし事件が明るみになれば、どれほど誠実に無実を訴えようと世間はきみをそういう目でみることになる。今はその瀬戸際剣ヶ峰というわけだ」
「――別にそういう目で見られることには慣れてますよ」
奇異人倶楽部なんて呼ばれる部に無理矢理入れられて、学校では常に周囲からそういう目で見られてきた。今更範囲が学校から世間に変わったところで僕の生活に変わりはない。
……なるほど、道理でショックを受けてないわけだ。
そもそもあの人が僕をあんな部に巻き込まなければ僕は肩身狭い思いをすることは無かったじゃないか。卯遠坂先輩と接点を持てない事になるけど、それを差し引いてもずっとプラスだったはずだ。何よりこんなどうでもいい事件に巻き込まれてる時点でマイナスだ。人生はプラマイゼロだ、なんて台詞を考えた奴は一体何をどう計算してプラマイゼロにしたというのか。
死んだらすべて無くなるのか。
その瞬間まで受けていた痛みも恐怖も苦しみも。
死を人生の終着点とすれば合点のいく話ではあるけれど、人生を死出の旅と例えるならそれは旅ではない。単なる苦行だ。それとも苦行の果てに悟りを開いて涅槃に入るのか。であればプラマイゼロと説いたのはお釈迦様に違いない。ゼロの概念はインドで生まれたというし。そんな救いのない人生、僕は御免被るが。
死んだ後に救われますなんて、生きてる内に足を掬われる様でとても信じる気にはなれない。楽に楽しく幸せにが現代っ子たる僕の信条だ。
だからショックを受ける道理が無い。
あの人がどういう死を迎えたところで、それは僕の前に現れなくなったということで、卒業が一月早まっただけの様なものでしかなく、僕の人生をマイナスに引き込んだ人が死んだからと言って、僕がショックを受けてもいい理由は何もないのだ。だからショックを受けない事を気に病む必要なんてどこにも無い。
僕はゆっくり呼吸を整え、思考をリセットする。
また明日から普通の顔をして登校して猪子さんに勉強を教えなければ。二日続けてテスト勉強を途中で抜け出す羽目になった挙句学校を休んでしまっては頼ってもらえないかもしれないけど、それでも新学期に向けてやっておくことはやっておかねば。例えクラスが分かれても僕が有益だと口コミが広まれば多少は学校生活が楽しくなるはず。
卯遠坂先輩が教室まで来てくれるのはデートを心待ちにしてる彼女みたいで嬉しいけれど、またクラスから浮く原因になりかねない。いっそ僕が先輩の教室へ迎えに上がるべきだろう。三年生の教室を訪ねるのは少し気後れするかもしれないけど、それくらいの壁は乗り越えなくちゃいけない。部室に行けば二人きりになれるんだから――
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