006

「何か、言い残すことは?」

 降り積もった外の雪よりも冷たい視線が突き刺さる。

「……いや、あのなんて言うか……申し開きの仕様も無いんですけど、っていうか信用してもらえないかもしれないんですけど……、本当に、僕は悪くないんです」

 翌日の放課後。

 今日こそは真面目にやるぞと猪子さんのテスト対策に乗り出し、実際に30分くらいはそれなりにいい感じで進んでいた。昨日と打って変わって猪子さんにやる気があったのが大きい。一体何があったのか聞いてはいないけど危機感が生まれたとすればそれは喜ばしいことだ。僕の頑張りが結果として表れているのだから。さぁここから本腰を入れてテスト対策をしようと思った矢先、教室の入り口の向こうに、申し訳なさそうな表情の卯遠坂先輩が現れた。

 先輩が僕以外に用事を持つ事がないのは明白なわけで。

 そして冒頭の猪子さんの死刑宣告に戻る(クラスカーストを考えれば冗談抜きの死刑宣告だ)。

 ホワイトバレンタインが血のバレンタインに変わってしまう。ああ! 窓に! 窓に!

「えっと……あれです。エンゼルドーナツで手打ちにしてもらえませんか?」

「私はそんな食い意地張ったキャラ……いや、もういいから早く行って。先輩を怒らせる前に」

 怒らせる?

 卯遠坂先輩を?

 どうも普段のイメージに合わない言葉の組み合わせだ。まあ猪子さんが先輩の何を知ってるんだって話だし、運動部所属なら普通の先輩を待たせないってのが普通の事なんだろう。あるいは元部長の事を指しているのか。

 僕は猪子さんに謝罪しながら教室を急いで出る。おばさんには申し訳ないが当面友人は作れなさそうだ。来年になったら出来るんだろうか。友達はともかく仲の良いクラスメイトくらいの相手はできれば確保しておきたい。

「どうしたんですか先輩――いえ、新部長」

「ごめんね昨日の今日で。アリちゃん先輩がね」

「またですか……」

 格好つけて締めの言葉を言った舌の根も乾かぬうちにとはこのことか。なんなんだあの元部長は。

 あの人の無計画さというか他人の都合を考えない呼び出しは毎度の事とはいえ、先輩も良く付き合って来れたものだ。それこそ怒っていいと思う。

 むしろ世のため人のために怒ってもらわねば。

 いっそ今日が最後の付き合いなんだからしっかり怒ってもらうべきじゃないか。

「あ、そうだこれ。忘れないうちにね」

 部室前に到着したところで、卯遠坂先輩は思い出したように鞄から小さい紅色の紙袋を取り出し、僕にさりげなく渡してきた。

 この紙袋が何か分からない程、僕は唐変木でも朴念人でも鈍感系主人公でもない。

 どうして部室の前なのかだって?

 人目に見られたくないからに決まってるじゃないか。

「これからもよろしくね」

「もちろんですとも!」

 危うくガッツポーズしそうになった。

 危ない、紙袋を乱雑に扱うところだった。

 僕が小躍りをしそうな程に心が舞い上がっているところへ、「あの」と、先輩は申し訳なさそうに言葉を続けた。

 死刑宣告の言葉を。

「あ、そのよろしくって言うのは、これから当面二人きりになっちゃうからって意味で、だからその、あ、もちろん義理なんだけど義理じゃなくて……そんな悲しい顔しないで!」

 二人きりというのはこの上なく心地よい響きなのに。

 ……いや、もちろんわかってましたよ?

 わかってたけれど、シュレディンガーの猫的なアレで。観測するまで結果は確定しないっていうか、面と向かって答えを出されるくらいなら曖昧なままで、結果を知らないままでいられたら幸せだったのに!

 ずっと秘密のままなら幸福なのに!

「あれ、鍵が掛かってる。まだ来てないのかな」

 露骨に落ち込む僕を余所に(独り相撲と言われたら返す言葉も無い)、先輩はマイペースな調子で部室のドアをノックした。まさか呼び出した本人が来てないということはあるまい。

「アリちゃんせんぱーい。着きましたよー」

 先輩が呼びかけるも返事はない。

 居留守でも使ってるのかとドアに聞き耳を立ててみるも物音もしないので本当にいないようだ。イタズラはあっても呼び出しといて無視するような人では、少なくとも無い。すっぽかしも無い。と僕は信じている。

 それだけは信じているからな、元部長。

 となると別な可能性としては連絡も出来ないような事情しかないわけで。その場合考えられるのは、お菓子が見つかって教師に絞られてるパターンか。

「…………」

 僕は紙袋を鞄の中に中身が壊れないよう丁寧に仕舞いこんだ。中身を見るのはまだ早い。

「どうします?」

「鍵取ってこようか。ひょっとしたらそれをやらせるためかもしれないし」

 先輩は少し困惑しながらもそう答えた。

「鍵って部長が握ってるものじゃないんですか」

「違うよ。事務室に行って借りるんだよ」

 私物だらけの部室を誰でも開けられる状態というのはかなりまずいんじゃなかろうか。

 いや、本当にまずいのは部室を私物化してるのが当たり前になっている我が部の方なんだけども。

「そういえばぱずるちゃんってまだ鍵の借り方知らなかったよね。一緒に行こうか」

「はい!」

 部室の私物化とか今更な問題は忘れ、僕は先輩とのデートに専念することにした。

 バレンタインに先輩と二人並んで歩けるなら例え校舎だろうと、これはデートなんだと自分に胸を張って言い張れる。周囲の眼差しさえ無ければだが。

 デートは十分程度で終わってしまった。三階から一階まで降りて旧棟を出て本棟の事務室までの道のりなのでそんなもんだと言われたらそんなものだけど、体感だとほんの数秒しかない。

「失礼します」

「失礼します」

 先輩の仕草を真似て中へ入る。ここで働いているのは教員ではなく事務員なので先生と呼ぶのは間違っていると道中教えてもらった。とはいえ事務室にいなかったら他の先生と区別はつかないので役立つことは多分ない。

「この壁の箱に掛かってる九番の鍵、これがうちの部室の鍵ね。で、鍵をもらったらこの台帳のところににクラスと名前書いて、借りた時間も書くの。鍵を返した時も忘れずにここに書いて」

 懇切丁寧に説明をしてくれるのは僕としても大変うれしいが、気合が入りすぎてペン先が潰れそうになってる。

 ん?

「鍵を借りるうえで一番大事ことがあってね、借りたら必ず三十分以内に返さなきゃダメなの。だから部室使うときは鍵を開ける時に借りて返して、帰るときにまた借りて鍵を閉めてそれから返してってしなきゃダメ」

「わかりました部長」

「もう茶化さないの」

 怒られてしまった。

 別に茶化したつもりはないけれど、ひょっとして恥ずかしいのだろうか。

「ところでこれ、元部長はまだ鍵を取りに来てないってことですよね」

 僕は先輩がサインした列の一つ上を指差す。

 そこにはあったのは元部長、鮫アリアの名前だ。ただし返却時間は午後一時。

「なにかやらかしたんですかね?」

「アリちゃん先輩に限ってそれはないよ」

「鍵だけに?」

「…………?」

 先輩に首を傾げられてしまった。

 穴があったら入りたい。鍵穴以外の。

「ところでなんですけど」

 戻り道、僕は先輩に尋ねた。

「さっきの説明だと気になることが一つあるんですよ」

「なんでしょう」

「鍵を借りた後返さなきゃいけないってルールですよね?」

「うん。そうだよ」

「だとすると昨日、元部長は鍵を借りて部室の鍵を開けて、それからそのまま鍵を返したってことですよね?」

「……元部長ってなんか聞きなれないけど、そうだね」

「その鍵を返しに行って帰ってくる間って……当然、無人なんですよね?」

「あー」

 得心した風に声を上げる。

 何か防犯対策があるということだろうか。

「盗みに入るような人なんていないから大丈夫だよ」

「…………」

 聖女様の如き微笑みだった。

「それにほら、盗まれて困るものって置いてないじゃない?」

「いや……、それはそうなんですけど……」

 それを部長が言っちゃダメなのでは?

 何を盗まれても気づかない自信が僕にもあるけども。

「だからそうだね、部室の片づけからしようか」

 ――テストが終わってからね。そう付け加えながら先輩は部室のドアを開けた。

 そういえばもう一つ、引っかかっていた事があった。

 一体、元部長はお昼休みに部室に何の用があったのかだ。

 度を越したイタズラが好きなあの人が僕らを呼び出しておきながら未だに姿を見せない事に違和感はある。最後の最後にとんでもないトラップの置き土産、なんてパターンも考えらえるけれどそれならわざわざテスト前にするだろうか。今日じゃなきゃいけない事ならバレンタインだけれど、それはなんというか、らしくない。

「――先輩?」

 卯遠坂先輩はドアを開けて、そのまま停止していた。

「先輩、先輩!」

「――あ、あ、うん。ごめん」

 何に謝っているのか、先輩は中に入らないでそのまま一歩外に出た。先輩が硬直したってことは視覚的に入りたくない光景――例えば虫のおもちゃが大量にばら撒かれているとかがあると言うことか。

 先輩の脇を縫って中へ入り――

 部屋の真ん中に、人が倒れていた。

 いや、誰かと判断するのはまだ早い。

 顔の部分が膝掛で隠されていて、女生徒の制服を身に着けていて、その身長が丁度鮫アリア元部長と同じくらいだからと言って、それがまだ人であるなんて保証はない。だって過去にも同じようなトラップを仕掛けられたことがあるんだから。

 例えその顔の部分に掛けられた膝掛が不自然に潰れていて、赤黒く濡れているからと言って、手の込んだイタズラではないなんて保証はないのだ。

 恐る恐る僕はその、血が通わなければ丁度そんな色になっているだろう左腕に触ってみた。

 作り物とは思えない弾力と作り物みたいな熱の無さがあった。

 恐る恐る僕はその、血を吸っていれば丁度そんな色になっているだろう膝掛を捲ってみた。

 作り物だと思いたくなる程に酷く残酷に潰された顔があった。

 ――卯遠坂先輩の絶叫が無人に響き渡る。

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つみきとパズルと奇異人倶楽部 ナインバード亜郎 @9bird

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