第9話
最後のパンを食べ終わると、オレは静かに手を合わせ、短く祈りを捧げた。
「……ごちそうさまでした」
そう口にしたとき、あたりは静まり返っていた。テーブルの上はもはや空っぽ。パンくず一つ残らず胃袋に収めた結果、村の一年分の食料は跡形もなく消えていた。
満腹感とともに魔力が体の隅々にまで満ちていくのを感じた。だが、それでも不安は拭えない。
(……これで足りたのか?)
オレはそっと拳を握り締め、湧き上がる魔力の感覚を確かめた。温かな力が内側から沸き立つような、確かに以前より力が溢れ出るようになったと実感できる。けれど、あの山を破壊するには――いや、穴を開けるだけでいいとしても、これで十分なのだろうか?
背後で誰かが息を飲む気配がした。振り返ると、村長が蒼白な顔で立ち尽くしていた。その表情は、オレの迷いをさらに後押しするかのようだった。
「……村長」
村長は小刻みに頷きながら、震える声で答えた。
「……これで、村のすべての蓄えが……」
オレは目を伏せ、静かにため息をついた。魔力は確かに十分な量を吸収できたはずだ。だが、今この場を離れていざ山に挑むには、覚悟が足りない気がする。
「やるしかない」
そう呟きながら、オレは立ち上がった。村人たちの期待も、空腹で見つめてくる彼らの視線も、全部引き受けなければならないのだから。
「やぁやぁ!お待たせしましたよ」
声とともに、夜風を裂いて現れたのは例のひょろりとした男、ゼファールだった。暗がりの中、月明かりを受けて不敵な笑みを浮かべている。
「ゼファール……?なんでお前がここに?」
オレが眉をひそめる間もなく、彼は悠々と歩み寄り、背後から何台もの荷車を引いた部下たちを指差した。
「いやぁ、これはサタナチア少佐からの預かり物でしてねぇ。丁寧に保管していた彼女専用の食料がこれ全部なんですけど、どうやら貴方の方が必要みたいだと思いまして」
そう言って、ゼファールは微笑んだ。
荷車には山のように積まれた食料――肉の塊、野菜の山、そしてパンや干し果物の籠が、見たこともないほどぎっしりと並んでいる。それを見た村長は、驚愕の表情を浮かべた。
「こ、これは……!」
「おいおい、ゼファール。本気か?」
オレは思わず声を上げた。サタナチアが部下を顧みずに蓄えた食料――それを勝手に持ち出すなんて、どう考えても無謀だ。だが、ゼファールは悪びれる様子もなく、肩をすくめるだけだった。
「ええ、本気ですよ。僕ら兵士はもうサタナチアの下で働くなんて懲り懲りですからね。貴方が成功すればみんな打首にならなくてすみますし」
彼の目は、全てを計算尽くで動いていることを物語っていた。
「……ふざけるなよ。オレが成功しなかったらどうするつもりだ」
「そんなこと、考える必要あります?」
ゼファールは軽く笑いながら言った。
「まぁまぁ、私のご厚意だと思って受け取ってくださいよ、ガルストンさん。それに……あなたも村も助かるかもしれないでしょう?」
言葉とは裏腹に、ゼファールの微笑みには悪戯めいた光が宿っていた。
オレは食料の山を見つめながら、心の中で舌打ちした。この男、全部が全部ふざけているのか、それとも本気で俺を応援しているのか――正直、全くわからない。
「……仕方ねぇな」
オレは荷車に積まれた食料へと手を伸ばした。そして、ゼファールの笑みを睨み返しながら、パンを一口かじった。
「まぁ、これが最後の晩餐かもしれないしな」
村長の驚きとゼファールの満足そうな笑みを背に、オレは再び食べ始めるのだった。
「僕はですね、勝ち馬に乗るタイプでしてね」と、ゼファールは軽やかな笑みを浮かべながら、ウィンクと共に食料の山を指差した。
トーマスはそんな上官を横目で見ながら心の中で呆れた声を漏らす。
「さすがは“風見鶏のゼファール”……」
風見鶏――それはゼファールがあらゆる場面でいち早く潮流を読み、素早く態度を変えることから仲間内で密かに呼んでいる悪い渾名だった。しかし、ゼファールはこの笑い渾名を好んでいた。
「さあさあ、これでガルストンさんにはますます張り切っていただけるでしょう?」
得意げに腕を広げるゼファールを見て、トーマスはさらに心の中で呟いた。
「やべぇ上司の下についちまったもんだな……」
「さっきから心の声が全部漏れてますよ。トーマス君」
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