第7話
闇夜の静寂を切り裂くように、松明の光が広場を取り囲んでいた。広場の中央には村人たちが各々が緊緊張した面持ちでいそいそと料理を運んでいた。
そこから少し離れた高台。
そこにひょろりと背の高い男が立ち、双眼鏡を手にして広場の様子を観察している。
「……いいんですか? 隊長殿」
「なんです?」
「なんか……色々始まっちゃってますけど。本当に彼、魔力を最大限まで補給をしてあの山を吹っ飛ばすんですか?」
隣にいる少々背の低い男――トーマスが呆れたようにぼそりと呟いた。二人が並ぶと、月明かりに照らされた姿は見事な凹凸を作り出している。
「いやぁ、こんなに仕事が早く進むなんてありがたいことではありませんか。」
双眼鏡を覗いたまま、背の高い男――ゼファールは満足げに笑う。
「えぇ〜……オレたちの仕事は、あくまでサタナチアの監視と軍規違反の報告だったのでは……」
「トーマス君……トーマス君!」
ゼファールがトーマスの肩を叩く。
「そんなことだから、あなたはいつまでも出世しないのですよ。」
トーマスは少しムッとしたような顔をした。ゼファールはこの軍内で類稀な魔術と智力を持つ超絶エリートだ。年齢や経験を重んじる軍の風土をものともせず、異例の速さで昇進を続けている男と比較されること自体が不運としか言えない。
「いいですか。上は確かに『監視と報告』と言いましたが、こんなクソ田舎にまで王国への道を整備するという名目で私たちを飛ばしてきた理由……それが分からないわけではないでしょう?」
ゼファールが片方の眉を上げてトーマスを見る。
「さっさと始末しろということですよ。」
「……本当ですかねぇ。」
トーマスは納得のいかない顔をしたが、それ以上の言葉は飲み込んだ。
「直接『始末しろ』とは言わないのが、あの人たちのやり方ですよ。失敗すれば、責任は現場の私に押し付けられる。それでいて、うまくいけば、上の意向に沿った功績として手柄を横取りする。実に合理的だとは思いませんか?」
ゼファールは「今のうちに上層部に恩を売っておきましょう」と、笑いながらそう言うと、双眼鏡を広場に向けた。
「まぁ、どうせガルストンが勝手にやってくれるでしょう。何しろ彼は村人たちのヒーローですからねぇ。」
ゼファールは双眼鏡を動かし、広場の中央にいるガルストンを見つけた。その顔には皮肉げな笑みが浮かんでいる。
「なんか悪いこと考えています?」
「ふふっ、あの“無能のガルストン”に山を吹き飛ばすなんてできるわけないじゃないですか。彼にできるのは、せいぜい周囲の木々を魔力暴走で吹き飛ばす程度ですよ。」
「え……じゃあなんであんな無茶を頼んだんだ……?」
トーマスが怪訝な顔をすると、ゼファールは楽しそうに口元を緩めた。
「村一つが魔力暴走で吹き飛ぶ――法に則っているとはいえサタナチアの強権的な態度が原因だった。そして、その魔術暴走を止めようとしたサタナチア少佐は殉職。……そういう報告書を出すだけの簡単な仕事ですよ。」
「わー……」
トーマスは感嘆とも呆れとも取れる声を漏らした。それを受け、ゼファールはさらりと肩をすくめる。
「この国では、結果がすべてですからね。あとは待つだけです。」
(……それにサタナチアがいなくなれば、やっと空席が一つ開く。その分、私が動きやすくなる。)
ゼファールは心の中の呟きに思わず薄暗い笑みを浮かべた。
広場では、大量の料理を前にしてガルストンが手を合わせていたなにかのまじないだろうか?
その光景を眺めるゼファールの目は、まるで狩人が獲物を見定めるかのように冷たい光を宿していた。
「さぁお手並み拝見といきましょうか。」
◇◆◇◆
テーブルの上には、ありとあらゆる料理が所狭しと並べられていた。山盛りのパン、皿いっぱいの肉の塊、鍋から溢れるシチュー、黄金色に輝く揚げ物……どれもこれも、村人たちの一年分の貴重な食料だ。
だが今、そのすべてがガルストンの胃袋へと消えつつあった。
「さぁ……いただきます!」
ガルストンは手を合わせると、目を輝かせて料理に向き合った。その顔にはかつて”neco tube”で「大食いとん助の伝説」として名を馳せた頃の闘志がよみがえっている。
まずはパン。片手に掴むと、勢いよく齧りつく。口の中で小麦の甘みが広がる暇もなく、次の瞬間には皿の上から肉の塊が手に取られていた。ジューシーな肉汁が滴り落ちる様子を村人たちが唖然として見守る中、ガルストンはそれを豪快に頬張る。
「うまい!次!」
目にも止まらぬ速さでスープを掴み、一息に飲み干す。湯気が立ち上る鍋の中に残っていたシチューも、ガルストンの胃袋に吸い込まれるように消えていく。スプーンはもはや必要ない。鍋ごと口元に傾けるその姿は、まるで人間の皮をかぶった怪物のようだった。
「まだまだだ!次だ!」
テーブルに置かれた料理は途方もない量だったが、それも次第に目減りしていく。村人たちは思わず顔を見合わせる。
「あ、あれ……本当に全部を食べきる気なのか?」
「私たちの一年分の食料なんだけど……」
「すげぇな……胃袋がどこまであるんだよ……」
その間にも、ガルストンの動きは止まらない。ピクルスを瓶ごと片手で掴み、もう片方で次の皿を引き寄せる。骨付き肉を齧り、骨だけを器用に放り投げる。さらには、皿に残ったソースをパンで拭い取るという無駄のなさだ。
「ふぅっ……まだ温かいな。最高だ!」
村人たちは呆然と立ち尽くすしかなかった。食べ終わる気配はまったくない。
オレは目に映る全てを喰らっていた。
パンの香ばしい匂い、肉汁の旨味、シチューの濃厚な味わい――それらが次々と体内に吸収され、同時に魔力が湧き上がる。まるで全身が燃料を注ぎ込まれたエンジンのように熱くなり、指先からは魔力がほとばしる感覚があった。
だが、まだ足りない。まだまだ足りない。
「次だー!おかわりお願いしますー!」
ガルストンの声が広場に響き渡る。彼の前に並べられた料理は半分も減っていないというのに、底なしの胃袋を誇るその勢いに、村人たちはただ唖然と立ち尽くすしかなかった――彼らの貴重な食料が、この男にこの村の全て平らげられるのではないかという不安を抱えながら。
◇◆◇◆
天幕の中、薄明かりに照らされたテーブルには、色とりどりの料理が並んでいる。肉の焼ける香り、スープの湯気、フルーツの甘い香り
――この土地で用意のできるすべての贅沢がここに集まっている。
しかし、そのすべてはサタナチアにはほとんど意味をなさなかった。
彼女は静かに座り、ひとつひとつの料理に目をやる。だが、その目には食欲の欠片すら見当たらない。指先でフォークを軽く握り、冷めた肉を一口、また一口と食べていく。しかし、まるで機械のように動く手元と、ぼんやりとした瞳の間に、何の感情も見えなかった。
天幕の周りには、賑やかな笑い声や足音が響いている。兵士たちが歓談し、食事を楽しんでいる。しかし、その喧噪がサタナチアにはまるで届かない。彼女はひとり、静かな空間に閉じ込められたように感じていた。
(……最悪の気分だわ)
サタナチアは、食べ物を口に運びながら、ふとそんなことを呟いた。彼女の声はどこか掠れており、その中には疲れや虚無がにじみ出ていた。
没落した魔術貴族の父親と母親の期待を一身に背負い、魔力を持たぬ姉妹たちを顧みず、自分の才能と努力を全て注ぎ込み誰もが羨むこの座にまで登りつめた。だが、それが何の意味があったというのだろう。すべてが終わり、すべてが無意味に思えた。
「結局……これもただの作業。」
フォークで切り分けた肉を口に入れながら、サタナチアはどこか遠くを見つめる。その目に映るのは、天幕の壁、キャンプの明かり、そして自分の無感動な反射。何も感じない、何も期待しない。それが今の自分だ。
スープをひとすすり。冷たいな、と感じることもなく、ただ飲み込む。果物を一口、噛まずに丸呑み。どれもこれも、とうの昔に味などしない。
(……むかつくむかつくむかつくむかつく)
サタナチアはうんざりしたように目を閉じた。その瞳の奥には、何も見えない。無限に広がる空間に漂う自分という存在――その空間が、ますます広がっていくのを感じていた。
天幕の中で、彼女の食事は続く。だが、それはただの儀式のように続くだけだった。食事の意味も、目的も、もはやサタナチアには見出せない。ただ、魔術師の義務として、体が動くままに食べている。
サタナチアはこの若さで、この美貌で、そして溢れ出る才能を持ちながら食べることにも、生きることにも飽きていた。
やがて、フォークが静かにテーブルに戻される。サタナチアの目は再び天幕の壁に向けられ、彼女は静かに呼吸をする。周囲の喧噪が遠く感じる中、彼女の心はますます空虚になっていった。
◇◆◇◆
ガルストンが食事を終え、ほどよい満腹感とともにゆっくりと立ち上がると、心の中で決意を固めた。
「さて、試しにやってみるか。」
山を吹き飛ばすための魔術を試すため、彼は大きく手を掲げる。集中力を高め、手の甲から腕にかけて刻まれた入れ墨の紋様からの魔力を感じ取りながら、力を込める。空気が圧迫され、魔力が渦を巻き、周囲の木々が一瞬でしなびる。ガルストンはその力を一気に放出した。
「……っしゃああああ!!!」
次の瞬間、耳をつんざくような轟音が山を揺らし、地面が震えた。巨大なエネルギーが爆発し、土煙と共に岩が飛び散る。ガルストンの魔術は予想を超えた規模で暴走し、周囲の風景を一変させた。
その爆風が遠くの山々にまで届き、何もかもを巻き込むように大気が乱れ、目に見えるほどの衝撃波が走った。その波動が、まるで一筋の雷のようにサタナチアの陣へと伝わった。
「な、なんだ…!」
サタナチアは急に立ち上がり、何か異常を感じ取る。まず、耳を劈く音、次に山からの振動が伝わる。そして、何よりも強く感じたのは、魔術の波動だ。
「……まさか!」
サタナチアは足を止め、顔をこわばらせた。予想だにしなかった魔術の力に、彼女は一瞬、動揺した。その魔術が放たれた場所が、遠くのガルストンの方向であることを察したが、それでもその力に驚きと恐怖を感じる。
彼女は冷静を装いながらも、周囲を急いで見回す。冷徹な目で自陣を確認するが、その視線の先に何か予感するものがあった。ガルストンの魔術が、ただの試しで放たれたにしてはあまりにも威力が大きすぎる。
「不可能だ……あんな魔力量を、あの下等魔術師が……!」
サタナチアは思わず声を上げそうになったが、何とかその口をつぐんだ。心の中で何度も繰り返す言葉――「不可能だ」と。しかし、それが否定できない現実として立ち上がり、彼女の冷徹な面にひびを入れる。
「まさか、あんな力を持っていたなんて……」
彼女は一度深呼吸し、冷静を取り戻す。だが、内心では、ガルストンが今後どれほどの力を持っているのか、計り知れない恐怖が沸き上がっていた。
その時、サタナチアの中にひとつの決意が芽生えた。このままではいけない、あの男を放っておくことなどできるはずがない――。
「魔力補給だ!食事を用意しろ!」
「さ、サタナチアさま〜」
ひょろりと背の高い男が情けない声を出した。あの男、生え抜きだがなんだか知らないが、全く使えない。サタナチアは目にわかるほどの苛立った表情をした。
「あの下等魔術師が…!舐めやがって!!いいだろう……この私が迎え撃つ!!」
かくして戦いの火蓋は切って落とされたのだ。
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