第2話

少年トリントンに案内され、彼の家に到着すると、この前会った親父さんが玄関前で待っていた。オレの顔を見るなり驚きの表情を浮かべ、さらに背中に背負ったコッコッ鶏の大きな卵を見た瞬間、泡を吹いてその場に倒れ込んでしまった。


無理もない。あの巨大な黒いニワトリを相手にするなど、普通の人間には到底不可能だろう。だが、オレがこうして無事に卵を持ち帰れたのは、間違いなく魔法の力のおかげだとしか思えない。


やがて親父さんは気を取り直し、涙を流して喜んでくれた。「本当にありがとう……!」と震える声で感謝を述べ、横にいたトリントンも目を潤ませている。


その様子を見ていると、オレもようやく肩の力が抜けた。これで、この前もらったバターの恩くらいは返せたかもしれない――そう思うと少しホッとする。


だが、その安堵も束の間、腹の虫が「ぐうぅぅ」と大きく鳴った。


「ああ、やっぱりな……」


薄々気づいてはいたが、どうやら魔力を使うと異常なほど腹が減るらしい。


腹の虫が鳴くのを聞いたトリントンが、呆れた顔で「家で飯でも食っていけよ」と声を掛けてくれた。


オレは「いや、大丈夫だ」と痩せ我慢しつつ、トリントンに背を向けた。


おそらく、オレがあの家で飯を食ったら、瓦の屋根も食ってしまうだろう。今はそれほどに腹が減っていた。そんなことになったら、トリントンの親父さんも泣き崩れるに違いない。


「母ちゃん、大事にしろよ」


トリントンに別れの言葉を掛けて、オレは自分の食欲を満たせる場所を探しに行くことにした。食べ物を見つけなければ、どうなってしまうか自分でもわからない。でも、そんなことを言っても仕方がない。とにかく今は、腹を満たすことが最優先にしなくてはならない。


◇◆◇◆


「さ、サタナチアさま〜!」


ひょろりと背の高いのっぽの兵士が駆け出した。


「い、異常な魔力量を検知いたしました!!」


兵士が天幕の中に入ると、熟れた果物の匂いが漂い、目の前には大きなテーブルが広がっていた。テーブルの上には色とりどりの食べ物や料理が並んでいる。焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂い、肉の塊が美味しそうに焼かれた状態で置かれている。その隣には、黄金色に輝くチーズの盛り合わせ、艶やかな果物が皿に山盛りにされている。さらに、スープの入った大きな鉢や、甘い香りを放つデザートもあった。


食べ物の種類が豊富で、どれも豪華に見える。まるで誰かがここで大宴会でも開こうとしているかのような、贅沢な食事が目の前に広がっている。


テーブルの前には、食べ物を前にして1人の女だけが座っていた。


彼女はゆったりとした仕草で手に持ったリンゴを齧り、それを地面に無造作に投げ捨てた。リンゴが転がる音が静かな天幕に響く。その手の甲には、古びた入れ墨が刻まれており、兵士の声が耳に届くと、女の目がわずかに鋭くなり、入れ墨が不愉快そうに赤く光り始めた。


「…わかっている。」


彼女は冷ややかな声で呟いた。その声には冷徹な響きがあり、空気が一瞬で凍りついたように感じた。


「この暴食のサタナチアがいる場所で、あのような無粋な魔力を放出するなど…こんな不愉快なことが起きるなんてな。」


サタナチアは、テーブルに並べられた食べ物を無造作に手に取った。焼き立ての肉の塊に手を伸ばし、まだ温かい肉を大きな一口でかぶりつく。その目は、まるで他のものを食べ物として認識していないかのように、ただひたすら食べ物を飲み込んでいく。


「よい度胸じゃ。どれ、不粋者を見てみようではないか」


肉のジューシーな部分を噛み締めながら、彼女は次に鮮やかな色合いの果物に手を伸ばした。リンゴや梨の果肉が歯を通り抜け、その甘い汁が口の中で爆発するが、彼女はそれを楽しむ様子もなく、次々と食べ物を放り込んでは食べ、また次のものへと手を出す。


皿の上の甘いデザートに手を伸ばし、濃厚なクリームを指ですくって口に運ぶと、舌先で味を確かめるような素振りもなく、ただ無表情でその一口を飲み込んだ。


その食事の仕方は、まるで自分に与えられたものが当然のように、あたかも誰かが取り上げる前にすべてを平らげなければならないかのような、貪欲さを感じさせる。


周囲の兵士たちの目が、次第に彼女に引き寄せられ、息を呑む音さえ聞こえたが、サタナチアはそれに全く気を取られることなく、次々と食べ物を口に運び続けた。


◇◆◇◆


ダメだ。なにも、なにも見つからない……!


オレは焦っていた。周囲を探しても、食べられるものが全く見つからない。森の中に行けば、何かしらの食べ物が見つかるだろうと思ったが、そこにあるのはあの時気を失ったキノコばかりだった。果物も木の実も見当たらない。


あのキノコをまた食べるのは、どうしても勇気が出なかった。だが、今はそんなことを言っている場合ではない。背に腹は変えられない。腹が鳴り、体が震え始める。自分でも気づくくらいに、空腹が限界に達していた。


どうしても何か、何か食べ物を手に入れなければ――!


「なにしてんだよ、バーカ」


あ、いや。見ての通り、食べ物を探していて……」


オレが振り返ると、トリントンが困ったような顔をして立っていた。その手には籠が握られており、中身が気になって思わず目を凝らすと、黒パンとチーズ、それに…卵焼きのようなものが見えた。


「母ちゃんが、魔術師様がお腹を空かせてるだろうから、持ってけって。」


「そうなのか……いや、しかし……」


オレは思わず言葉を詰まらせた。だが、トリントンは続ける。


「……母ちゃん、全然食欲なかったのに、あの卵でパン粥作ったら、すごい勢いで食べてくれてさ。」


その言葉に、オレは胸が温かくなるのを感じた。トリントンの母親の思いやりが伝わってくるようだ。


「だから、これは母ちゃんからのお礼だよ。」


トリントンは少し照れたように、顔を赤らめながらそう言った。その顔が、なんとも可愛らしく見えて、オレは思わず口元を緩めた。


「い、いいか!そもそもあんな大きい卵ばっかり、3人だけで食えるわけないんだ!腐らせちまうならアンタに食わせたほうがマシだからだっ!」

「わかった。わかったって」


オレはありがたく籠の中の食糧を頂戴することにした。手を合わせて「いただきます」と、言うとトリントンは「魔術師は食事の仕方まで変なんだな」と言われた。


「そういえば、アンタ魔術師のクセにどこにも士官してないのか?」

「しかん?」


オレは口いっぱいに黒パンを頬張りながら尋ねた。少年は心底呆れたような顔をして、吐き捨てるように言った。


「…アンタらみたい底無しに食える化け物、国に士官する以外にどうやって食っていけるって言うんだよ。」


魔法を使うと腹が減るのはオレだけの特異体質かと思っていたが、どうやら違うらしい。他の魔術師も同じらしく、燃費の悪さは魔術師の宿命のようだ。


「なるほどな…。」


そう答えながらも、オレはまだ理解が追いつかない。


トリントンがおこぼれの黒パンを齧りながら続ける。


「魔術を使える人間ってのは貴重な存在だから、大抵は才能が見つかった時点で魔術学校にぶち込まれる。それで勉強して、国に士官するんだよ。」


確かに硬い食い扶持でもなければ、こんなに燃費の悪い体を維持するのは骨が折れる。国が魔術師を囲うのは理にかなっている気がした。


「士官しない人間は、国が管理するギルドに登録して、そこから仕事をもらう仕組みだよ。」


少年は籠の中から卵焼きを摘まみながら、オレを上から下までジロジロと見て言った。


「アンタ……イイ大人のくせに本当に何にも知らないんだな。」


オレは頬張っていた黒パンを飲み込みながら曖昧に笑うしかなかった。この世界の仕組みを理解するには、まだまだ時間がかかりそうだ。


オレは、いやこの体の持ち主は以前はどうしていたのだろうか。少ない荷物を漁っても、どこかに所属しているとかそういう身元のわかるものはなにもなかった。トリントンから昼飯を掻っ攫うくらいだ。浮浪者に近い生活を送っていたのかもしれない。オレは無意識に腹を撫でた。


これからの生活について、もっとよく考え、慎重に行動していかなくてはならない――そう決意を固めていると、背後に何かの気配を感じた。直感的に振り返ると、目に飛び込んできたのは目立ちすぎるほどの姿だった。


「アラアラ、まあこれは……」


妙に色っぽい声が耳に届く。そこに立っていたのは、紫色の髪を派手に巻き上げた女。きらびやかな装飾が施されたドレスのような服を着ていて、そのデザインは実用性を完全に放棄したものだ。服が派手なら顔も派手。唇は真紅に塗られ、大胆な笑みを浮かべている。


そして、その女の後ろには鎧をまとった兵隊たちが控えていた。全員が同じ方向、つまりオレを睨んでいるように見える。


女は気品を漂わせながらもどこか油断ならない雰囲気をまとい、じっとこちらを見つめてきた。その目は、オレの全てを見透かそうとしているかのような鋭さだ。


「あなたがさっきの“下品な魔法”を起こした方かしら?」


女は意味深な笑みを浮かべながら、こちらに一歩近づいた。

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