異世界転生フードファイトバトル
あじのこ
第1話
どこで道を間違えたのか。
思い返せば色々分岐点はあった。
最初の分岐点はSNSにあげた動画。
仲間内の冗談のつもりだった。
その日先輩の山下がパチンコで大勝ちして貰ってきたチキン拉麺が食べきれないからって死ぬほど持ってきたんだ。5分以内に山盛りのチキン拉麺を食べられるか!?ってやつだと思う。
オレ、それまでは大食いなんてやった事なくて、自分の胃袋の限界を知らなかったんだよ。
別にパチンコする金もなくてヒマだったし、腹も減ってたからじゃあやるかってなって食べたんだ。それがなんかすげー美味くて、持ってきた袋麺全部食ったんだ。
それがすげーって話になってじゃあ近くで大食い出来たら賞金貰えるって店があるからそこに行こーぜってなったんだ。
食べきれたら三万貰えて、食べきれなかったら三万払うってやつなんだけど食いきれなかったら先輩が払ってくれるっていうから行ったんだ。メシも食えるし、食いきれなくても先輩が金払ってくれるならオレはノーリスクじゃん?
でも、食えたんだよね。よゆーだった。
店主に食べきったのはお客さんが初めてだよとか言われて。大きな空の皿を持ってさ、記念撮影したんだよ。お店の人も店にいるお客さんもすげー楽しそうでうれしかったな。
で、数日後にSNSで騒がれてさ。
なんか知らない間にオレが食ってるところ先輩が動画撮ってて、それSNSにあげたんだよ。仲間内の冗談のつもりで。
そうしたらなんかクソウケて…気がついたら大食いnekoTuberになってたってワケよ。
来る日も来る日も大食い大食い大食い…いや、いいんだよ。食う事自体全然ヨユーだった。
でも、撮影する現場にどんどん知らない人間が増えていって…明らかにカタギじゃ無さそうな雰囲気の大人も出入りするようになって…。
ついに一緒にnekoTubeやってた先輩が最近つるみはじめた連中に騙されて投資詐欺にあっちまった。金の管理は全部先輩がしていたから、オレ何もわかんなくて。視聴者の中にも『nekoTuberの大食いとん助が投資しているから任せたのに』って騙された人も結構いて…。
生配信で視聴者に謝罪したんだけど、そこで先輩と大喧嘩になっちまった。オレたちの醜い争いが全世界に配信されたてしまった。それから…ああ、ここから先は思い出したくない。
とにかくこれから先のことを考えなくてはならない。が、頭が回らなかった。相談しようにも先輩は金策に出掛け、あんなに沢山の人間が出入りしていた撮影現場は誰もいなかった。オレは1人だった。
いや。違う。
最初からオレは1人だったんだ。
外の空気を吸いにふらりと出掛けた。
もう夏も終わり掛け、太陽が彼方へ沈むと通り過ぎる風には秋の気配が混じっていた。夕暮れ時。みんなが家に帰ろうとする中を逆行して街へと繰り出していく。
目的なんてなかった。ただふらふらと足を動かしているとふっと目についたのはラーメン屋だった。季節外れの『冷やし中華』やってますの貼り紙の隣には『デカ盛り!食べきれば賞金一万円!』の文字があった。詐欺騒動があってから大食いチャレンジはご無沙汰だった。
食べ切れるかな?と、不安に思いつつオレは引き寄せられるように店の中へと入っていった。
「いらっしゃい」
愛想があるのか、ないのか半端な声色で挨拶。どこの街にもある普通のラーメン屋だった。
「あの、外の張り紙みて…」
デカ盛りってやってますか?と尋ねると店員の顔色が変わった。目をまんまるくさせてオレを見る。
「あ、あんたもしかして大食いnekoTuberのとんすけさん!!?」
「え。あ、はい…」
店員の無遠慮は大声に店の空気が固まるのが分かった。
「…うち、撮影は禁止なんだけど」
間髪入れずに厨房からおそらく店主と思われるオヤジに言葉を投げかけられた。
これだ。
nekoTuberを始めてから飲食店に行くと一定数迷惑そうな顔をされることがある。それはおそらく投資詐欺に合う前に公開した『無料で米おかわりできる店で飯の窯空っぽにさせてきた』という企画で大炎上をさせてしまったからだろう。
「あの撮影とかじゃなくて…」
「プライベートで大食い!?」
その語尾には『チャンネルがあんな大変なことになっているのに!?』と言われているようで瞬間的にオレは店に入ったことを後悔した。
「あ、やっぱりいいで…」
「食ってくのか食わないのか、どっちなんだい」
厨房のオヤジがぶっきらぼうに言った。
デカ盛りチャレンジされていきますよね!?と、店員に言わてオレは首を縦に振った。いや、興奮する店員に気押されてほとんど無理やり座席に座らされたのだ。
店員は伝票にささっと書き込むと意気揚々と厨房へと大声を掛けた。
「デカ盛りひとつ、入りました!!」
厨房を見ると既に先ほどの店主が腕を捲ってみたこともない大きなラーメン椀を抱えていた。
◆◇◆◇
お待たせしました〜。
程なくして目の前に現れたのは見たことのない大きな椀いっぱいの麺とスープだった。麺は10玉。スープ2リットル超。上には一面を覆うチャーシューと煮卵の花畑。白い湯気と共に鼻腔に美味そうな匂いを届ける…うまそうだ。
舌舐めずりしたいのを抑えて、備え付けの箸を手に持ち両掌を合わせると「いただきます」と小声で呟いた。
これは仕事じゃない。
好きに食べていいんだ。
オレだけのラーメン。
こういうのがいい。こういうのがいいんだよ。
それだけでもなんとも言えない解放感が押し寄せてなにも考え無しにスープを一口飲んだ。
う、うまい…!
濃厚だが飲み干すと口の中はあっさりとするのが不思議だ。これはいくらでも飲めてしまう。
次は麺だ。やや太麺。濃厚なスープが程よく絡み合うずるる…この歯応え、この舌触り。
う、うまい…!
しばらく夢中になって麺を食べ進み、やがてチャーシューへと箸が伸びた。脂身のやや多い
チャーシューを口へと運ぶ。
う、うまい…!
噛むごとにその柔らかさ、その蕩けるような甘美な肉の甘さに酔いしれた。
こんなにうまいラーメンは久々だった。
「うわ〜…すげぇ。あっという間に食べていく…」
「……」
まだ食べていたい。もっと食べていたい。
渇望する欲求を癒すように口の中にラーメンを頬張らせていく。だが、それも30分と経たずに終わりを迎えた。
「…ごちそうさまでした」
制限時間内に食べ終わると店の中から拍手が巻き起こった。店の中の少ないお客さん、先程の店員、そしてあのぶっきらぼうな店主まで拍手をしてくれていた。
なんとも言えないムズムズとした照れ臭さを覚えて、ズボンのポケットに入っていたクシャクシャのマスクを耳に引っ掛けた。
オレはどうやら初心を忘れていたらしい。
【魔導特化ユニークスキル獲得条件ミッション“初心に帰ろう”をクリアしました】
「えっ?」
なんだいまの。
耳元でなにかが聞こえた。聞こえた、というよりは頭の中で響いたに近い。店に掛かっているテレビからだろうか?テレビを見ると野球の中継が映っていた。
「すごいですね!あの量をあっという間に食べちゃうんですもん!」
「え、いえ…そんな…」
「坊主すげぇな。オレぁ大食いだとかそういうのは見るのと嫌なんだが、こいつがねこつべってやつを見てどーしてもやりテェっていうからよ」
いや、アンタの食べ方は見ていて気持ちが良かった。汁一滴残さず食っちまうだもの。
「そんな、大したことは…」
「オレ、実はとんすけさんのフ【ユニークスキル“フードファイト”を獲得しますか?】…影してもらってもいいですか?」
「え?」
「こら!プライベートで来てくれてるんだからやめろよ」
「だって…」
店員の手の中にスマホがある。記念撮影か。一緒に撮影してくださいと言われたのはいつぶりだろうか。オレはマスクを取った。
「オレなんかでよければ…」
「ええ!いいんですか?!やべ【ユニークスキル“フードファイト”を獲得しますか?】ボスも!早く早く!」
先ほどからこれはなんだろう。
耳元がザワザワする。
無線機で混線しているかのような、店員の声やテレビの音、この不可思議な問いかけが混じり合い気持ちが悪くなりそうだった。
はやく記念の写真を撮ってもらって家に帰ろう。
「とんすけさ【ユニークスキル“フードファイト”を獲得しますか?】いですかー?撮りますよー」
「…はい、どうぞ」
返事をした途端、心臓がドクンと高鳴った。おもわず手で左胸を鷲掴みした。あまりの痛みにその場で膝をつく。そのまま突っ伏すように倒れてしまった。地面に腹がつく寸前、腹の中に収まっている大量の麺とスープがポヨンと弾む。もはや体は自由に言うことを聞いてくれなかった。
オレは混乱する頭の中で必死に叫んだ。
なんだこれ…なんだこれ!?
おい、やめろ!取り消す!取り消す!
【現在の肉体ではスキル獲得できません。スキル獲得のためにゲートを開放して転移を開始します。なお、キャンセルは出来ません】
やめろぉおおお!!!!
オレの叫びも虚しく、意識はどんどん遠のいき眼前は暗闇で満たされていった。
◇◆◇◆
おーい…おーい!
誰かが呼んでいる…まだ眠っていたい気持ちと
起きなくてはという競り合いの中、揺さぶられる体の不快感に渋々と瞼を開けた。
「いつまで寝てるんだよ!」
子供の声に起こされた。オレは重たい瞼を擦りながら体を起こした。ぼんやりしていると目の前にいる子供がピッチフォークで藁を集めていた。と、同時に動物のなんとも言えない臭いが鼻を刺激した。
「なんだ、ここ。どうなってるんだ…!?」
そう言った途端、オレの頭の中に記憶の波が傾れ込んできた。産まれた場所、子供の時の記憶…仔細な情報の渦に飲まれてオレは頭を抱えた。ま、まさか…これが、異世界転生ってやつか?オレは前世の記憶を頼りにたどり着いた結論に唖然とした。
オレは確かにラーメン屋にいて、デカ盛りを頼み…そして不思議な声に尋ねられて返事をしたら心臓が痛くなって…。と、言うことはおそらくオレの元の体は死んでしまったのだろう。
特段執着はないが、29年間お世話になった体だ。ありがとうの一言でも掛けてやりたかった。
とはいえ、早速オレの新しい体を見ると異世界転生に付き物のイケメン枠ではないらしいのは明らかだった。それに爆巨乳美女枠でもない。残念。
指で顔の造形を確認するとおそらく、どこにでもいる普通の髭の生えたオッサンだった。普通異世界転生なら現世より若くなるとかメリットがあっても良いじゃないか。老いてどうすんだよ。
頭を手のひらで抑えると、手の中に何かあることに気がついた。
広げてよく見てみると手のひらに黒い紋様が刻まれている。擦っても取れないので、タトゥーのようなものかもしれない。なんだこれ。
「なぁ、いつまでそこにいるんだよ」
働く少年がうんざりしたように声を掛けてきた。ここは納屋か何からしい。
「いや、すまんな…転生してきたばかりで…」
「なに言ってるんだよ?アンタ飯を食べたらグースカ寝ちまったじゃないか」
約束通り手伝ってくれるんだろうな!と、少年は語気を強めた。それに気押されてはいはい…と、オレは気怠く立ち上がった。
◇◆◇◆
「なぁ、昼飯をあげた時にも言ったけど、覚えてるか?あの木の上にコッコッ鳥の巣があるだろう。あの卵が欲しいんだ」
「たまご、だと…」
連れて来られた巨木の上を見上げると藁と木枝で組み上げられた鳥の巣というにはいささか大きいなにかが見えた。大人の男が両腕を広げたくらいの藁の巣には、幸い親鳥は餌を探しに行ったのかいないようだった。
卵を取りに行く?
木の幹に触れてみるがツルツルとした肌触りでどこにも手足を引っ掛ける場所はない。木登りで登るには難しそうだった。かといって、巨木を前にしてなにか道具を使って巣の中から卵を拝借するのもこの高さでは非現実的に思われた。
「いや、どう…やって…?」
「どうやってって…アンタ、オレは魔法が使えるから楽勝だって言っていたじゃないか!」
だからオレはアンタに昼飯をあげたんだ!と、少年は大きな声を上げた。そのあまりの激昂ぶりに慌てふためいた。
「いや、わかった!分かったって。なんとかしてみるよ」
オレはオレである前の体の持ち主を恨めしく思った。いや、記憶があるからオレであることは間違い無いのだが。オレはどうやら少年から昼飯をいただく代わりに、卵を取るという安請け合いしたようだった。たぶん、この体の記憶では飯を食ったらそのまま逃げようっていう腹づもりのようなんだが…。
「トリントン!納屋の掃除をサボって何をしているんだ」
「あ…やべ。親父が来た!!」
そこに現れたのはラーメン屋の店主そっくりの顔をした農夫風の男だった。一緒にこちらの世界へ転生したのかと思い、希望を持ったがどうやらたまたま顔が似ているだけのようであった。
「…さぁ!トリントン、来なさい!」
「いやだ!オレは卵を取るんだ!」
「馬鹿なことを言うな!お前まで死んじまうぞ!」
「お前までって…」
ああ、すみません。しかし、ここは危ないですから一旦離れましょうと親父に促されてコッコッ鳥の巣がある巨木から離れた。親父に引っ張られるトリントンと呼ばれた少年の目に浮かぶ涙を見て胸がズキっと痛んだ。
「家内が病気で伏せておりましてね…コッコッ鳥の卵には非常に栄養があり、かつ病を治すという言い伝えを間に受けたのでしょう」
どうか魔術師さま、子供のしたことですから許してやって下さいと親父は頭を下げた。その丁寧すぎる謝罪にオレの良心が痛んだ。そもそもこいつの昼飯を食べたのはオレなのだから。
「いや、そのオレがこの子の昼飯を…そもそもオレってその魔術師、ってやつなんですかね?」
魔術師といえば後方から強化魔法をかけ、時に最前線で派手な魔法をぶち上げる!の、はずなのだが、オレの体からは少なくとも溢れ出る魔力の雰囲気はどこにも感じるところがなかった。至って普通のオッサンである。
「…!よくも…」
その一言を聞いたトリントン少年の瞳から涙が溢れた。
「よくも騙したな!嘘つき!詐欺師!」
トリントンはその短い手足をバタバタとさせた。振り回す腕が当たった。
「コラ!トリントン!魔術師さまになんて口を…」
「嘘つき!詐欺師!お前なんかのたれ死ね!」
「詐欺師…」
本当にすみませんでした。これは今持っているもので精一杯なのですが、となにか包みを差し出された。少年の言葉にショックを受けたまま立ち尽くすオレに親父は包みを押し付けるとトリントンを引きずりながら去っていってしまった。
「さ、詐欺師…だと…」
その時、前世で動画配信していたnekoTubeのコメント欄がブワッと思い出された。
詐欺師。人間のクズ。騙す人間の顔だ。黙れ黙れ黙れ黙れ。
「ちがーーう!オレは…オレは騙してなんか、なーーーい…!!!」
とにかく叫んだ。
この胸の中に渦巻くむしゃくしゃな気持ちをどうにかしたくて。
オレの叫び声は、なにも無い空の上を突き抜けた。頬を風が撫でた。クソ!涙なんて流すものか。
「ぜってぇ取ってやるよ!!クソガキが!!覚えとけ!!!」
ぐぅう〜…。
叫び声と共に腹の虫が盛大に鳴った。先ほど昼飯を食ったといっていたけれど、もう腹が減ったのか?ずいぶん燃費の悪い体だな。前世で大食いやってたオレが言うのもなんだけど。
なにはともあれ、あのコッコッ鳥から卵を頂く前に腹ごしらえをしなくてはいなさそうだった。
巨木から広がる森林に目を向ける。きっとなにか獲物がいるに違いない。ここは大好きなLI◯E漫画で慣れ親しんだ異世界だ。きっと主人公のオレに取って都合の良い出来事が……これが起こらないんだなぁ。
野うさぎを捕まえ良いとしては逃げられ、キツネを追いかけては巣穴へと逃げられる。かといえば見たこともない巨大なカエルに見つかって命からがら逃げ…そして遭難した。
もう日が暮れてしまう。
太陽の最後の輝きが森の隅へと消えていくのを見送るとオレはその場に座り込んだ。
「あ〜ミスった。これは初見殺しだ…」
頭を抱えて唸ったが、文句を言っても仕方がない。ひとまずなにか、なんでもいいから口に入れないと飢え死にしそうだった。周囲を見渡すと食べられそうなものがあるにはある。
きのこ、なのだが。
今まで見ないふりをしていたのだがこの森、なぜかキノコは大量に生えていた。
いきなりキノコはヤバいって!
頭の中の冷静なオレはそう叫ぶのだが、欲望のオレは食べてみなきゃわからないだろ?と囁く。そっと指で軸に触れると簡単にもげた。食べられるのか…食べられないのか…ひとまず匂いを嗅いでみよう。キノコのかさに鼻を近づけてみると…。
「それは食べられませんよ」
毒キノコですからね。
とどこからともなく女の声がした。
「な、だ…誰だ!」
周囲をキョロキョロ忙しなく見渡すと1人佇む少女がいた。爆巨乳美女ではない。だが、赤い頭巾を被りとても可憐な少女であった。少なくともオレの守備範囲ではない。
「爆巨乳ではなくてすみませんね」
「えっ?」
「ふふっ可憐な少女には見えているんですね」
少女はオレのそばに座ると手に持っていた枯れ枝を一箇所にまとめて両手を翳したーーーその手の中には赤い紋様が刻まれていたーーーするとゴォっと音と共に火がついた。
「これが“魔法”です」
少女の起こしてくれた焚き火の熱が冷たい頬に暖かさをもたらした。まるでオレの頭の中が見えているかのように話す少女に薄気味悪さを感じつつ、しかし腹が減って逃げ出すこともままならないので距離を保ちつつ座った。
「フライパンをお持ちですか?」
「え、ああ…」
オレは慌てて荷物の中からフライパンを取り出した。少女はその間に辺りを歩き回り、戻ってくるとその手の中にはたくさんのキノコがあった。
それを空中に放るとキノコは空を浮き、また少女の手の中の紋様が今度は緑色に光るとキノコが寸断された。
「あの、オレこっちの世界来てまだ日が浅くて…もしかしてこの手のひらの紋様が光ると魔法が出せるのかな?」
「そうですね。だいたい合っているのでそう考えてもらって大丈夫ですよ」
少女は浮かんだキノコをそのままにして、フライパンを手に持つと「先ほど農夫から包みをもらいましたよね?」と言った。そういえば、と思い出して荷物から包みを取り出すと少女に渡した。
少女が包みを開けるとそれは小さなバターだった。
「まぁ。貴重なバターを分けてくださったのですね。この世界ではこの大きさのバターは農夫の一年の働きにも相当します」
「い、いちねん…!?」
このバターが?しかもスーパーで並んでいるような代物ではない。おそらくは人の手で拵えられたものだろう。脳裏にぼろぼろの姿の農夫と少年の姿が浮かぶ。どちらも痩せていた。
なにげなしに受け取ってしまったことに膝の上の拳をギュッと握りしめた。
所々歪なそのバターを少しだけスプーンで掬うとフライパンの中へと入れた。
フライパンを焚き火で熱する。するとバターが溶け出して良い香りが立ち込めてきた。
「…この世界は食物が大変貴重なのです。道端で飢えて死ぬ人もいれば腐らせるほどの食事に囲まれている人もいる」
太っている人ほど豊かで強い人間だとされているのです。少女はそう言ってバターの溶け出したフライパンにキノコを入れ始めた。
「そして、選ばれし人だけが食べれば食べるほど魔力を蓄え増強することができるのです」
「食べれば食べるほど…?」
「ここまで飢えに慣れた世界だと、必要以上に食べるという行為は大変危険で体に負荷を与えるのです」
フライパンからバターと相まってキノコの焼ける良い匂いがしてきた。
「極限まで腹を空かせた人が急に飯を食うと死ぬっていうしな」
「よくご存知で」
アニメで見たよ。飢える直前の時は雑炊にして薄めてゆっくり食べるといいんだ。オレは不確かな知識をぼんやりとしながら答えた。焚き火がぱちりと跳ねた。
異世界転生した、と言ってもこの世界は自分が考えている以上に大変な世界なのかもしれない。そこいらにいる人間は飢えが基本ベースで、裕福な人間だけが飯を食える世界。しかも食べれば食べるほど魔力が増強されるというのであればその差はどんどん広がるだろう。
それならオレは、今のオレはどのくらいの立ち位置なのだろう?自分を観察する。
年齢に見合った体躯をみれば今ではそれなりの生活をしてきたのだろう。それに手のひらの紋様を見ればなにかしらの魔術を使えるようであった。それが飢えて死ぬかもしれない母親のいる少年の昼飯を騙して食ったーーーオレは最低な野郎じゃねぇか。
「まぁどこの世界も弱肉強食ですし、あまり気にしすぎないでください」
少女はニコリと笑うと皿を差し出した。バターの芳醇な香り。焼き色のキノコはバターの脂を纏ってツヤツヤと輝いている。それに、なんといっても上にかかる胡椒が食欲をそそった。
「この胡椒も貴重なんじゃないのか?」
「よくお気づきで。これは私からのサービスです」
ウィンクすると少女も自分の皿を手に取った。
そして手のひらを合わせると歌うように言葉をつぶやいた。
尊神様 あなたの懐に包まれた陸と海の糧をお与えくださり感謝します。
欠けなく満ちて恵む神の御心のご芳情に。
「…あなたの世界ではいただきます、というんですね」
「え、あ。そう。いただきます。えーっと…作ってくれてありがとう」
少女にどうぞと言われてとオレはフォークでキノコを刺すと口に運んだ。噛むたびにバターとキノコの旨味が合わさるこの旨味。この歯応え。思わず酒が欲しくなった。この世界にも酒はあるのだろうか。あるといいな。
いや、きっとある!
それにしても先ほどからこの少女との会話は前世の話が通用していることに今更気づき、キノコを美味しそうに食べる少女の方へ見ると思わず疑問を口に出した。
「なぁ…キミもあちらの世界から転生されてきたのか?」
「ふふっ私、転生者のように見えるんですね」
少女はじっとりと笑った。なにか、変だ。
少女にしては大人びた話し方をするなと思っていたが…そもそも本当にこの子は少女なのか?
口の中のキノコがぐにゃりと歯と歯の間で潰れた。それと同時に視界もぐにゃりと歪んだ。なんだこれ?
「あと、知らない人に食事に誘われた時は気をつけましょうね」
どんな人がいるかわかりませんから。私のように。そういうと少女が、ぐにゃりと溶け始めた。いや…姿を変形させているのかもしれない。オレはすぐさま逃げ出そうとしたが、体が全然動かない!ジタバタとさせているうちに少女だったものは白く溶けた指先でオレの太ももに触れるとそっと耳元で囁いた。
私はあなたの中の概念でいう“女神”という存在ですよ。
そう聞こえたのも束の間に、オレの意識は混濁していき、そこでブツリと消えてしまった。
男の意識が完全に失われているのを確認すると白く溶けた少女だったものは次なる姿の輪郭を整え始めていく。
豊かな肉体の美しさを惜しげもなく晒しながら、女は妖艶に微笑んだ。やがて形が整うと横たわる男の傍らで体の曲線に合わせてピッタリとしたドレスを纏う女がいた。意識を失ったように眠る男の頬を輝くように白い指がそっと撫でた。
「ふふっ私はね…あなたのその強靭な胃腸と巨大な胃袋に期待しているのですよ」
◇◆◇◆
…痛い。
頭を思い切りハンマーで殴られたような痛みを覚えて目を覚ました。夜は明け、太陽はとっくに昇っていた。
痛む頭を手で押さえながら起き上がると辺りを見回してあの怪しげな赤ずきんの少女がいないことを確かめた。たしか、昨日キノコの炒め物を作ってくれて…それから…ううっイタタタ…。
痛みに呻き声を上げているとなにかガサゴソと音が聞こえる。昨日みた巨大カエルだったらどうしよう…。気配を隠すように息を止めていると草むらの影からなにかが飛び出してきた。
「あ!昨日の詐欺師野郎!」
指を指して罵詈雑言を吐きつけてきたのは昨日オレが昼飯を搾取した少年・トリントンだった。
少年は汚物を見るような目でオレを見ていたが、やがてどこかに行ってしまった。
まぁそれも仕方がないだろう。
あんな年端も行かない子の飯を騙くらかして食べた挙句に、こんなところで倒れているのだから。自分で自分を惨めに思っていると「ほら!」と目の前に動物の皮で出来た水筒が置かれた。どうやら水を汲みに行ってくれていたようだ。ありがとう…ありがとう…と、言いながら水筒の水を飲み干すとようやく頭の痛みから解放された。
「アンタ…ここの森のキノコを食べたのか!?」
「あ、あまぁそうだけど…」
「この森にあるものは魔力量が多くて、普通の人間が食べたら死んじまうんだぞ!」
「ええっ」
そう言われるとなんだか具合が悪い気がしたが、返事をしたのは腹の虫だった。ああ、情けない。
「なんだよアンタ…魔術師ってのはいつもそんなに腹が減っているのか?」
「いつもこんなには…ここに来てからなんだよな」
会話の最中にもぐうぐうなる腹の虫に耐えかねて少年が荷物の中から小さな青いりんごをくれた。それを申し訳なく思いつつ、一口齧る。酸っぱいし硬い。現世では食べたことのない未成熟のりんごで口腔を満たす。この甘味や旨味とは無縁のりんごを食べてわかるが、あの少女は怪しいがこの世界が飢えているのはどうやら本当のようだ。
「…なぁ、お前のお母さんは、その…」
「なんだよ」
関係ないだろ、と少年は呟いたがその不安そうな表情を見るとどうやら母親の体調が芳しくないのは明らかだった。
「遅くなったけど、オレこれから卵取ってくるからさ」
それでお前の母さんが元気になるようなとびきり美味いもん作ってあげてやってよ。少年の肩を叩きながらオレはコッコッ鳥の巣がある方へと歩き出した。
先ほどの頭痛はどこへやら。実に爽快。
なにより踏み出す足の軽さに驚いた。それでいて体中の細胞にエネルギーが溢れ出てくる感覚。
なんだか今ならなんでもやれる気がするーーー!
「おい!オッサン!」
止めないでくれ。たとえ危険であろうともオレは恩義を受けた相手に報いたのだ。異様な万能感に包まれたオレだったが、まだ少年はオレのことが心配なのか腕をギュッと掴んだ。
ああ、止めないでく…。
「違う!反対っ!コッコッ鳥の巣は向こうだ!!」
「へ?」
◇◆◇◆
あらためて巣のある木の前に立ち目的の巣を見ると見上げた首が痛くなるほどの高さにあった。それにこの木の肌。まるで掴めるような凹凸もなくツルツルとしている。その触感にばあちゃんの庭にあったサルスベリを思い出した。もちろん転生する前の話である。
この木肌と巣までの高さも相まって、道具なしにこれをよじ登っていくのは絶望的に思われた。なにか道具があれば…巣までの届く梯子なんてあれば理想的だ。まぁ、そんなもの都合よくあるワケが…。
「ぅわ!?な、なんだ…!!」
おっさん、アンタ手からなにか出ているぞ!と、言われてオレは自分の手を見た。
ツルツルした木肌に触れる両手。その手のひらに刻まれた入れ墨が僅かに白く発光し、その光の先からは縄梯子のようなものがずるずるずると木肌の上を登っていく。
な、なんだこれーー!!!?
叫びたい気持ちを抑えつつ、パニックになる頭で考えた。手のひら…入れ墨…光る…まさかこれが。
「これがおっさんの魔法…すごい…」
すごいけど、すごい地味だな…と、後ろから聞こえる少年にうるさい!とキレながらオレは手のひらからにゅるにゅると這い出てくる縄に必死だった。これがどういう仕組みで作動しているのか理解するのに努めようとした。
やがてコッコッ鳥の巣までの縄梯子が伸び切ると入れ墨の発光も止まる。
全く分からない…分からないが、ひとまず突破口が開かれたのだ。
この魔法の縄がどれほど持続できるのかも分からない。ならば、乗ってみるしかないだろう。オレは魔法で編み込まれた縄梯子に足を引っ掛けると巣を目指して登った。ただひたすら手と足を動かしていく。
下を見てはダメだ…足がすくんでしまうから。怖いと思った時は目の前のことに神経を集中させる…あれ。これ誰が言っていたんだっけ。
そんなことを考えていると巣のある高さまで到着した。空はまだ遠く雲はやや近く、地上は下で待つ少年がより小さく見える高さまであった。異世界転生しなかったから木に登るなんてこともなかっただろうななどと思っていると魔法の縄梯子が消えた。まぁ、また後で出せば良いか。オレはそっとコッコッ鳥の巣の様子を伺った。
親鳥は、いない。ダチョウの卵を思わせるような大きな卵がゴロンと横たわっていた。鳥の卵がこんなに大きいものなのか?卵でこの大きさということは、親鳥の大きさは…あまり考えないでおこう。
どうやって卵を下に持ち帰るかを脳みそを絞り出さないといけなかった。
卵を抱えて下に降りるのは難しい。卵をとってくるというのに持ち帰ることを考えもせずにノリだけで来てしまったのを後悔した。なにか卵を包むもの…リュックがあれば良いが、この際風呂敷だって構わない。そう思っているとまた手のひらの入れ墨が明るく光り、にゅるりと大きな布が出てきた。
どうやらこの入れ墨の魔法はオレの頭で考えたものを具現化してくれるようだ。
頭の中でイメージする。
それを手の中に出力すると頭の中で考えていたものが魔力を源にして出来上がる。まるで3Dプリンターのようだ。オレはこれをスキル【魔力3Dプリンター】と名付けた。いいね。異世界転生っぽくなってきたぞ。
手のひらから出てきた大判の布は卵を包むにはちょうど良い大きさだった。背中に背負って胸の前で結ぶ。よし!これで下に降りられるぞ!
縄梯子のあるほうへと足を向けたその時ーーーヒューっと耳元を風切り音が通り過ぎた。その不自然な音。体に掛かる風圧。そして、何により羽の羽ばたく音に息を呑んだ。
全身が黒い羽毛に覆われており、頭部には成体の象徴である赤いトサカがあった。
転生前の世界で言えばダチョウの大きさである2mは優に超えていただろう。
その黒い大きなニワトリ…コッコッ鳥がオレの方をじっと見つめていた。
オレは目を合わせたまま、動きを止めた。
どう見ても卵泥棒にしか見えないオレを黒い巨大なニワトリが不思議そうに見つめた。やがて黒い巨大なニワトリの目線は己の卵が置いてあった場所に行き、卵が無いと気がつくとまたオレの方を見つめる。オレは背中に背負った卵の生温い温度を感じていた。
そしてコッコッ鳥は自分の荒んだ気持ちを抑えるように木の枝で構築された巣を啄んだ。その巨大な嘴に啄まれたり場所は簡単に破壊された。
ああ…終わった。
異世界転生したが2度目の人生の終わりが見えました。
◇◆◇◆
木の枝が風に揺れ、巨大な葉の隙間から差し込む光がチカチカと目に刺さる。オレは生まれて初めての出した魔法で編まれた縄梯子を握りしめていた。それは巨大な木のてっぺんから地面まで垂れる、どこか頼りない魔法の梯子だった。
背中には、まだ生温かい黒光りする卵が一つ。なんでこんなことになったのか、正直、オレ自身もよくわかっていない。
「ふぅ、あと少しで……」
その時だった。
上空から、地鳴りのような「ゴアアァァ!」という雄叫びが響き渡った。振り返ると、太陽を遮るほどの黒い巨大な影。そう、それは先ほどオレが苦労して盗み出した卵の持ち主――巨大な黒いニワトリだった。
「おいおいおい!どんだけでかいんだよ!」
そのニワトリは羽ばたくだけで木々を揺らし、くちばしをカチカチと鳴らしてオレを睨みつけている。目は血走り、完全に「泥棒は許さねぇ」と言っていた。
オレは慌てて縄梯子を滑り降りようとするが、この魔法の梯子、どういうわけかペースを勝手に調整する仕様らしい。スローモーションのように、ゆっくり降りるしかない。
「速く、もっと速く!おい、魔法の梯子って便利じゃなかったのかよ!」
その間にも、巨大ニワトリは翼をバサッと広げ、木の幹に向かって突進してきた。ガキン!とくちばしが木にめり込み、振動でオレは縄梯子からズルッと滑り落ちかける。
「わっ、危ねぇ!」
必死にロープを掴むが、背中の卵が微妙にズレていく感覚が伝わってきた。「やめろ!落ちるな!お前はオレの唯一の希望なんだ!」と卵に向かって叫ぶが、もちろん答えはない。
下を見れば、まだ地面は遠い。上を見れば、再びくちばしを木に叩きつける巨大なニワトリの姿。
「オレ、転生したらもっと楽な人生送れると思ってたんだけどなぁ!」
ニワトリはさらに木を激しく突き始め、ついに幹がミシミシと音を立てる。やばい、このままだと木ごと倒れる――!
その瞬間、オレは閃いた。
「そうだ、魔法の梯子!もっと伸びろ!」
魔法の梯子に命じると、それはにょきにょきと伸び、ついに地面に到達した。
「よっしゃ、間に合った!」
だが、油断した瞬間、ニワトリの巨大なくちばしがロープを挟み込む。バキンッ!ロープが切れる音が響く。オレは宙に放り出され、卵を抱きしめながら地面に向かって一直線に落下。
「ぎゃああああ!転生したてのオレの命がああああ!」
幸運にも、地面に転がっていた巨大な葉っぱがクッション代わりになり、なんとか無事着地。背中の卵も割れずに済んだ。
だが、巨大なニワトリが地上に降り立ち、再びこちらを睨みつけてきた。
「なあ、話せばわかるだろ?お前の卵、大事にするから……」
次の瞬間、ニワトリのくちばしがオレを目がけて突き出される。
「やっぱ話通じねぇぇぇ!」
そしてオレは、背中の卵を守りながら、転生後最初の全力疾走をする羽目になった――。
全力疾走する前を少年トリントンが走っている。すごく汚い言葉で罵られている気がするが、少年よ。すまないが今は構っているヒマは無いのだ。
オレは背中の大きな卵を落とさないように抱え直しながら走るが、親鶏はまるで諦める気配がない。その血走った目と鋭いくちばしは明らかに「泥棒を許さない」という意志に満ちていた。
「くそっ、このままじゃ捕まる……!」
走り続ける体力はもう残っていない。覚悟を決めたオレは、急に足を止めた。
「やるしかないか……!」
背中の卵を抱え直し、オレは親鶏に向かって手のひらを広げる。どうやって魔法を使えばいいのか、まるで見当がつかない。だが、手の甲に刻まれた謎の紋様が、まるで本能に訴えるように光り始めた。
「出よ!大蛇よ!」
叫ぶと同時に、手の紋様からまばゆい光が放たれ、空間が歪むような感覚が広がる。そして次の瞬間、光の中から巨大な蛇の形をした魔法が姿を現した。
その蛇は森を埋め尽くすほどの巨大さで、全身が白い光をまとっていた。鋭い目が親鶏を睨みつけ、威嚇するように口を大きく開く。その口からは、地面にまで届きそうな長い牙が覗いていた。
「……すげぇ!」
オレが見惚れている間に、親鶏はその場で足を止めた。そして、蛇と視線を交わした次の瞬間――。
「ゴアアアアアア!」
親鶏は甲高い声を上げると、全力で後退し始めた。大きな羽をバサバサと鳴らしながら森の奥へと逃げていく。
「おいおい、意外とあっさりじゃねぇか?」
蛇は親鶏を追うことなく、その場で体をくねらせると、光の粒となってゆっくりと消えていった。
オレは親鶏が完全に見えなくなるのを確認してから、腰に手を当て、大きく息をつく。
「……助かった……」
少し先で、木陰に隠れていたトリントンが顔を出し、遠巻きにオレを睨んでいた。
「なんで僕まで巻き込むんだよ!」
トリントンの文句が耳に入るが、オレは卵を抱えて笑うだけだった。
「いやぁ、助かったなぁ!やっぱ魔法って便利だわ!」
トリントンは呆れたように溜息をつき、頭を抱えていたが、オレにとってはこの勝利が何よりも甘美だった。
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