#08:ファムファタール・サロメとの会合


「……で、ここからどうするんだ?」

「銀座まで電車と徒歩です。私、免許持ってないので車が運転できません」

「20でそれ…………?」

 けろっとした様子で首をかしげる風耶に、店を出て早々大きくため息をつかされた。集合時間は、と聞くと今日は向こうの機嫌がいいから好きに歩いていって良いのだと言う。

 閉店後、着替えを済ませ店の裏口から出てきたクレハと向かい合わせに、隣の建物の壁に背を預けてほほ笑む風耶と鉢合わせたときは心臓が飛び出るかというほどビックリした。

「乗用車なんてあっても使いませんよぅ」

「遠出かなんかに必要じゃないのか」

「おやおやおや」

 今の声音は煽りのそれだとわかる。かくっと8度前後、左に首を傾けた風耶を置いて、クレハは駅の方面へと足を――

「……お前が先を歩いてくれ。じゃないと知らないうちに切りつけられそうで恐ろしい」

「そこまで凶暴じゃないですよぅ、星野さんじゃないんですから」

「少なくとも私はお前を含めたこの一帯の人間と比較して、例を見ないほどの善人だよ」

 風耶の背中を指先で小突いて催促すれば、一歩進んで、小突かれたところをさすってから、大げさに肩をすくめて風耶は歩き出した。


 ◆


 終電間際の列車から吐き出され、有楽町からなんとか歩き継いだ先。都心部特有のビル群のなかで特に目立つラグジュアリーなホテルのエントランスで、風耶がいくつか言葉を交わせばホテルマンが仰々しくエレベーターへと案内をする。

「暴力組織の関係者は今時肩身が狭いだろうに、珍しい」

「ここは彼女が手を回しているもので」

 上階の、やたらと人気のないスイートルームの前で風耶が立ち止まる。

「下は通常営業でも、同じ階に人がいると物音で眠れないというんです」

「これだけ良い建物なら防音もされているだろうに」

「地位が高い分、気苦労も多いそうで……」

 ホテルのカードキーをリーダーへ押し付けて、解除する。しかし風耶は部屋へ入る様子を見せず、カードキーをクレハに押し付けてしまってから一歩引き下がる。

「お前は?」

「私、あの人得意じゃないので。お客さんは貴方だけですから、おひとりでどうぞ」

 その間、いもしない人影を探る警備のお仕事でもしておきます。ひらりと手を振って、黒蛇が開いた扉の裏側へと消えていく。

 気取られぬよう、薄いため息をついてから、前を向きなおしてクレハは客室へと踏み入れた。

「失礼いたします」

 社畜の余生を燃やして灯る煌びやかな夜景を映しこむ、高階層の一面ガラス張りを見下ろす赤い女。客室の様子は整っており、向かい合わせのソファに挟まれたガラステーブルにはワインクーラーと洒落たつまみの品が載せられている。

 声をかけてから足音を立てぬように内装へ上がり込むと、女がゆったりとクレハを振り返った。

「おや」

 ――上品なブロンドの髪を格式高いボブカットに仕立て、白ワインの注がれたグラスを片手に艶やかな真紅のドレスをまとう、背の高い妙齢の"女王"。

 化粧に彩られた鳶色の目つきは、捕食者階級のそれである。コーカソイドの堀の深い顔立ちに似合う濃ゆい赤色の紅を唇に引きながらも、ワイングラスにリップの跡はない。

「思ったより早かったじゃないか。押し付けた仕事に暇だ暇だとあの子が愚痴こぼしていたものだから、もう少しかかると思っていたのだけどね」

「……美しき女王に暇をさせるような無粋を働けましょうか」

「世辞が上手いねぇ。優等生を装う割に、生意気な目をしている」

 手元で輝く指輪の数は少なく、左薬指にはついていない。オペラカーテンのようなドレープには長いスリットが入っているようで、腰元で引き締められたシルエットとは対照的に動きやすそうだ。

「好きに席は選びな、青い鳥の坊や。敬語もおやめ。……決まらないなら、あたしの隣に座っても良いわ」

「嬉しいお誘いだが、それは遠慮しておこう。素性の知れぬ男を横につかせては貴方も落ち着かないはずだ」

 広い客室の、対面に置かれたソファへと腰かける。赤いドレープの隙間から長い足を組んだ女王の目の前に置かれてワインクーラーの中では、彼女の嗜んでいる銘柄が首元まで氷に沈められていた。

「気になるかい? 一口だけならやれるよ」

 それにも首を振って返すと、特段不快に感じた様子もなく女王がグラスを置いた。鳶色の瞳が、じいっと品定めをするようにクレハを見る。

「あの子から聞いたよ、お話があるんだろう? 聞かせておくれ、だんまりされるんじゃあつまらないじゃない」

「……東口の繁華街に、新手の薬が蔓延していると聞いた。それについて教えてほしい」

 女王の視線を受け止めて言葉を返せば、長いまつげの隙間が細められる。

「ああ、薬。興味があるのかい? おまえのようなかわいい盛りの坊ちゃんには、刺激が強いと思うけれどね」

「育ちだけは無駄にいいから、何もそれを使う気なんて毛頭ない」

「ただ、そのまま広まられるとちょっと困る立場にいるんだ。貴方の名前も、出たから……」

「おや、あの子のツテかい? あの子に友達ができたなら何よりだね」

 くつくつと喉で笑う赤の女王が指先で、簡素な袋に詰められた、錠剤のパウチをテーブルへと転がす。

 うっすらと粉を吹いた、コーティングらしき艶のない白い円形錠。指先でパウチを撫ぜながら、女が語る。

「コイツはシナの雑魚オスどもに造らせてんのさ」

彼処あすこのカシラはこの間、おっ死んじまったからねぇ。二束三文だろうが買い上げてやっただけマシな暮らしをしているはずさ」

「あっちの言葉で桃源郷――夢の都への片道切符だと名前をつけていたそうだが」

 どうにも漢字は読みづらいんだ、と紡ぐその唇にしかし拙さは見受けられない。きわめて流暢に日本語を解する女王の唇が、うっそりと吊り上がるのを見た。

「名も知れてるもので売りにくいと来た。同じ夢なら、Sognareソニャーレと言った方が良い」

「そのうえ、初期ロットはどうにも質が悪い。トウ横の子供らに流れたのはその時の品だろうね」

「見たかい?あんなじゃ桃源郷にはとても行けないわ。皮膚が腐って発狂もして、北のクラカジール密造品とそう変わらない……」

 声をひそめて憐れむように、女王が薬を睨んだ。

「言うなれば、未来のあるかわいい子たちをいたずらに虐めた奴らへの制裁よ」

「弁える身を知らない手合いに元締めをやる資格はない。領土を腐らせるぐらいなら、うちに寄こしてもらった方がいいでしょう」

 女王が、グラスを傾ける。光に透ける白ワインがグラスの内側を転げる様。滑り込んでいく、宝石のしずくが確かに喉を通り、飲み下された。

「……じゃあ、薬を流す気はもうないと?」

「話聞いていたのかい? 意味のある計画としてなら、いかなる犠牲も払ってやるさ」

「ウチのは野心のある奴らばかりでね。お祈りと敗残への手向けが済んだなら、カブキも欲しくてたまらないらしい」

 くるり、とぶどう酒の波がグラスの内側を静かに洗った。笑うように唇をゆがめる女王の姿。――どうにも、表でのんびり待機しているあの男の癖とよく似ているように感じる。

「ついでに……東葉会とうようかいとそのうちお話する予定もあるわ。ああ、22日の真夜中だったか……東口のお侍さんたちがが欲しいっていうのさ」

「最初に、広まられると困ると言ったんだが。私が進言したかったのは、こちらまで流通の手を伸ばさないでほしいということだ」

「ふうん……お嫌かい? なら止めにおいで、小鳥の坊や」

 ワイングラスが空けられた。スレートの皿からも、つまみは消えている。

「どうしろとまでは言わないがね。自由を主張するならば、それくらいの男気は見せること」

「それから……帰ってしまう前に、名前くらいは教えておくれよ」


「…………どうしても?」

「教えてくれたら、とのお話に招待してあげるわ。おまえ、こちら側の世界も、気になって仕方がないんだろう」

 底なしの好奇心を見透かした女王の目が、くすくすと笑う。その威圧的な様子に、クレハは睨み返した後しばらく逡巡していたが、ほどなくして諦めたように柔く瞬きをする。

「星野 紅羽だ」

「どうも。――22日の0時に、東品川2丁目の倉庫に来な。大学もあの子と同じなんだろう? 新宿から品川、そうかからないと思うが」

「……さ、よい子はお眠の時間だよ。そろそろ帰り。車代は出してあげる」

「いや、貴方に払わせるのは申し訳ない」

 もとい、この手の人間に貸し金など一銭たりとも作りたくない。おやおや貸しのつもりじゃあないんだがね、と嘯く女王を横目に、ソファから立ち上がる。

「では、失礼します」

「次来るときは、しっかりおめかししておいで」

 未だにソファでくつろいだ女王へ、なるべく背を向けないように客室の玄関へと向かう。

 扉を開き、身を乗り出せば意外と律儀に風耶はに励んでいたようだ。

「あのせっかちさんにしては、珍しく長話だったようで」

「聞きたいことはおおむね済んだ。……車代を貸すと言われたけど断ってきたよ」

「ああ、……そう。あの人の金を出す、は貸すではなくて文字通り譲渡ですよ。それを冗談でも言うような相手なら、特に」

 やたら気怠げに嘆息を挟む風耶に、クレハが不思議そうな顔をした。

 ――超縦社会の組織の中で、直接の上司に変わらず非礼な態度をとるあたり、凡そただの下っ端ではないか外部協力者の類なのかと感じていたが、それにしたって風耶はあの女王をずいぶん嫌っているように見える。

 逆に、赤の女王は「あの子」と呼びしめるほどには風耶を気にかけている様子なのが不自然だ。

「向こうはお前にも目をかけていたらしいが」

「ご心配なく、嫉妬なんかではありませんで」

 エレベーターのドアが閉まり、ゆっくりと下降を始める。ゆったりとしたエレベーターミュージックが流れる中、どうにも空気は鈍重で落ち着かない。

「お帰りはどちらで?」

「タクシーを呼んで帰るつもりだけど」

「あらそう」

 エレベーターがエントランスではなく、途中の階層で止まった。ほかの客が乗り込んでくるのかと思えば、空いた扉の先には誰もいない。その代わり、風耶が壁際から背を離した。

「降りるのか?」

「おうちに戻る元気がないのでここで寝ます。あなたが彼女からタクシー代を受け取らなかったのなら、その分を私のお部屋の代金にします」

 そうして、閉まりゆくエレベーターの向こうへ緩慢に黒蛇が消えていく。

 一人で取り残された鉄の箱の中、きらびやかなエントランスへ吐き出されたのち、そういえば最近出たらしい配車サービスのアプリをクレハは叩いてみる。

 呼びつけた通りにホテルを訪れたタクシーを使い、その日はほどなく家へと戻ることができた。

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EXISTLOG -星野紅羽の生存記録- あねもす山田 @anem0s_mt

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