#05:社交場に華を

 臆することはない。顔と気立てがそれなりに良いという自覚はある。そのこぎれいな外装をしっかり飾ってやれば、特に不自然に見えることもないだろう。

 例の難題を押し付けられてから二日目の、夜。

 ちょうど必修科目がない曜日に存分に甘え、昼まで寝通してから、クレハは家のクローゼットをひっくり返して冬用の香水で引き締めてきた。

 

 ――西口一丁目の高級パブ、コサ・シーサム。アイリッシュパブといった類の中でも格調高く、社交場として落ち着いた雰囲気を持つそこは、立地と店柄のためか様々な様子の人間で賑わいを見せていた。

 小さなテーブルに二つ椅子が付けられた、少人数用のこじんまりとした席につく。

 チャージで出されたグラスに手をつけながら、クレハはなるべく、不慣れな様子を見せまいと視線を彷徨さまよわせずにいた。


 基本、酒の絡む場では人間の獣性が垣間見える。弱みを出したら終わりだ、と言っていいほどに警戒をにじませている。

「(――しかし、不思議なカクテルだ)」

 この店は、その価格帯のせいかドレスコードがなくとも、なんとなく身なりの良い人がよく集まっている。

 色合いをシックに抑えたニットのベストにタイを結び、秋用のコートとストールを合わせてきたが、これでは少々フォーマル過ぎたかもしれない。

 

 それから、メニュー。何でも店主は東洋の漢方論に明るい人らしい。チャージで出された品はエスニックスパイスを合わせたカクテルで、なるほど不思議な味わいを見せる。

 自分の店で出す酒のアイデアとして考えておいてもいいかもしれない、とクレハはカクテルグラスの水面を眺めていた。

 通しで出された軽食に手をつけながら、妙な人影さえなければこのまま酒だけ楽しんで帰るか――経験のない新天地を前に、少しワクワクしてしまっていたのも事実。

 

 たとえば。仕立てた抹茶にすっきりとした口当たりの酒を合わせ、堆くグラスの上澄みを埋める泡へ塩漬けの桜をあしらったメニュー。

 枯山水と風流な名前をつけられた、それらしきカクテルを口に運ぶ客を、視線の先にみとめた。

「ふむ……」

 エキセントリックなメニューもあれば、何処の酒場でも見るクラシックなメニューも揃えているようだった。


 酒を楽しむ客もいれば、会話に華を咲かせる客もいる。

 規律やしがらみから半歩足を外した、自由な空間で一つ息をついていると――パリンとガラスの割れる音を聞いた。


 突然意識の外から差し込まれた異様な気配に、はっとして、クレハが振り向く。

我终于找到你了、やっと見つけたぞ、你这个满身大蒜味的白杂种ニンニク臭い白人野郎め!」

 視線の先では背の高いラテン系の男に、アジア系の顔立ちをした青年が食って掛かろうとしているところだ。

 よくよく見ればラテン系の男の胸元が水で濡れている。酒でも引っ掛けたのだろうか?

「お客様」

店主们站在他那边吗?店員の癖にそいつを味方するのか?惊喜吧驚いた

 スタッフの一人が声をかけるも、青年の怒りは収まらないようだ。

 発音こそ中国語だが、クレハはその方面とは縁がない。

 いまいち青年のまくし立てている言葉の意味を測りかねていると、しばらくして、対話を諦めたスタッフが他のメンバーに合図を送る。

 警察に通報する方針に切りかえたのだろう。しかし、電話を手に取ろうとしたスタッフを、今度はラテン系の男が呼び止めた。

「すみません、すぐに終わる」

 スタッフへそう片言で話した男は、続けて眼光を研いで、アジア系の男へ向き直る。

 

到前面去表へ出ろ

 

 地を這うような、ドスの効いた声音で言い捨てられた言葉。いささかそちらも発音が拙いが、相手の男はその意味を察したらしい。

 怒った様子で店から出ていった男を見送ったラテン系の男は、気にかけるようにスタッフを一瞥いちべつした。

「金額を払います」

 おそらく迷惑料も兼ねてか、代金より明らかに多くカウンターへ日本紙幣を置いて男が立ち上がる。


 ――しかし、男のダークブルーの目が今度はクレハへ向いた。

「……えっと、すまない、その……」

 つかつかとテーブルへ歩み寄ってくる影に、思わずグラスを庇って、避けようと体が動いた。

「兄さん、これはショーではありません」

「"赤の女王"は普通の人にれません」

 テーブルへ音もなく手をついた男が、そう言葉をこぼす。そのまま、いまいち意味を汲み取れずにきょとんとしたままのクレハを置いて、無表情のまま男は店を出ていってしまった。


 ――これはショーではありません。演技ではない? それとも、見世物じゃねえぞコラ、というニュアンスなのか。

 それから、普通の人には触れません。さわりません、ではなく、ふれませんときた。お前が一般人ならこちらは手を出さないが、という脅しか、安堵あんどさせる言葉なのか。

「……びっくりした……」

 わずかな震えを酒で押し流し、一息をつく。

 赤の女王とはなんだ。なにかの単語を繋げたものでは無い、固有名詞のように聞こえた。

 赤の女王という組織か、リーダー――それも十中八九女主人だ――の通り名なのか?

 グラスに触れていた指を伝って、結露が落ちる。

「あいつなら、何か知っているかもしれない」


 赤の女王。この名前を風耶の目前で出してみたらどうか?

 クレハ自身の好奇心がささやく声に、耳を傾ける。――風耶と最初に遭遇した場所も、繁華街の店の近く。反社会的勢力に名を連ねる人間ならば、例え歌舞伎町側の人間であっても、この一帯の事情を知らぬはずがない。

 

 それからあの男は――恐ろしいことに思考回路がクレハと似ているのだから、尚更――得られる情報に手を伸ばさず放置、という無粋な真似をしたがる性格ではない。

 同時に返答をしくじったら殺されそうな気もするが、日和って本命の『もの探し』とやらの進展を捨てれば、二週間後に仕留められる命だ。

 寿命を削ること請け合いで、少し深入りしてみてもいいかもしれない。そう考えつつ、クレハは手元のグラスを空ける。

 

 ひとまず、聞くべき話題を手に入れたクレハは、本題の酒を楽しむ方向へと舵を切る。

 そうしてやらねば、酒を作る店主に対して非礼だろうから。

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