#04:真綿で絞められる街

 あの後の、夜。妙な話が舞い込めど、けじめをつけられなければ首が飛ぶと脅されども、クレハには彼の店が開くのを待つ客がいる。

 講義の終えた足でストレートに店へ向かい、昼にたっぷり身に沁み込んだ恐れを振り払うように店の掃除のあまりを片付ける。それから、控室(といってもワンオペなので様子はほぼ簡素な自室である)のソファに倒れ込んでやや粗暴に仮眠をとった。

「ん……」

 アラームの音に眉をひそめながらまぶたを持ち上げれば、すっかり夜の六時半である。背を伸ばし、香水をきわめて薄く振りなおしてから仕事着に着替えて準備に入る。

 大まかに先日注文していた割り材や軽食の材料などを運び入れてから、表の札を返した。

 ほどなく入る客に、努めてふわりと笑みを見せる。


「こんばんは」

 ――立地のおかげか二か月弱の経営でもそこそこ客がやってくる。というのも店の所在が繁華街中央部から若干上にそれた場所であるために、普通の店に興味がない、入りたくても入れない身分の人間もまとめてやってくる。

 少し困るのが、徒歩圏内に安宿が複数あるため酔いなおしを目的としたアベックが少々多いこと。その組み合わせすら多様であるため、意図せず主義主張のサラダを抱く店となりつつある。

「どうぞ」

 カウンターに並んで座る女性二人へ注文の酒と軽食を出し、クレハは別の作業に戻る。

 元々周囲の先入観など眼中に置かず、家庭科の教科書や少し洒落た食事のレシピなどを読みふけり育ったせいもあるか。最近はなおさら料理の腕が上達してきていると感じることも多くなってきていた。

「……吉田って会ったことあるだろ? あいつがさあ……」

 時折聞こえてくる客の話し声に耳を傾けながら、淡々と仕事をする。

 酔い潰れて退店の難しい客がいないかと気を回してみたが、テーブルの一つでうなだれたまま身じろぎしない男を見つける。グラスを洗っていた手を止め、クレハがカウンターを外れて近寄ってみるも、応答はない。

「失礼?」

 やや、しわの寄った背広をまとう中年の男の肩へと手を伸ばす。泥酔しているには呼吸は浅く、見える肌からは脂汗が滲む様子。いびきもかいていない様子のそれを――

「ああっ!」

 肩でも揺すって起こそうとした時、後ろから飛んできた声にびくりと手が跳ねて失敗に終わった。

「お前、また飲んでるのかよ」

 ――どうやら連れがいたらしい。手洗いから帰ってきた様子の同年代の男が、その背広をドンと叩いて横に腰掛ける。

 うなだれる置物はぐううと獣のような呻きを上げて、機嫌の悪そうにゆらゆらと体を前後に揺すり始める。

「お連れ様でしょうか」

「あ? ああ、そうだよ。面倒ななんかに手を出しちまってさ……」

 薬。不穏な単語に、クレハが眉をひそめる。

「泥酔した客と違法薬物の使用者は申し訳ないけれど、退店してもらうことになっているんだ」

「いや、すみませんね。こいつ、入ってきたときはまともだったから気付けなくて……」

 年のわりに気さくな様子を見せる男が、酒にやや赤らんだ頬を見せてへらりと笑う。しかし直後にふっと表情をかげらせて、愚痴を吐くように、手に取ったグラスへ唇を寄せてつぶやく。

「マスターさん、トー横の方だかは通るかい?」

「いや、全然……」

「あそこのガキたち、今は大半がヤク吸ってんだよ。こいつもそうなんだが」

「なんでも、数年前っから駅の向かい側で、所謂の奴らが新興の繁華街を作ろうとしてるんだとよ」

 "お隣さん"の指す意味を問うと、どうやらチャイニーズタウンを元手にした計画が進んでいるらしい。しかしそちらは歌舞伎町のような、ただしく国が建てようと動いているものではないために、中心部周辺では警察沙汰が頻発しているとの話。

「最近だとイタリア系の奴らも入ってきたもんで……二か月くらい前か? ぼちぼち、一番街を歩いてるガキにちらほら変な様子の奴が混じるようになってきやがって」

「あの手合いは大抵変だと思うんだけどね」

「いいや、もっと酷い。 しきりに体の真っ黒になったところひっかいてんだ、泡噴きながらピースして跳ねまわってる奴らもいてよ」

 最初に住み着いた奴らより少し北からの贈り物、悪名高きがこの国に上陸してきたのだと、怯える奴もいるらしい。

「こいつ、ちょっと前に会社辞めてさ。今日も面接で落とされたんだと」

「だからって薬なんぞ手を出すもんじゃねえっつうのになあ」

 それでも手放そうとしないのは、ともすれば破滅願望にも近い断ち切れぬ友情があるのか。自分のグラスを空けた男が、饅頭のようにうずくまる背広を掴んで持ち上げる。

「じゃあ、帰りますわ。マスターさん、お会計」

「はい」

 背広の男を店の外へ放り出してから、連れが手元で札を弾いた。金額が揃っていることを確認してから、会計を済ませる。

「マスターさんも気を付けてねえ」

「はい。……薬をやめたらまたおいで」

 ひらりと手を振って答えた先、別の客がこちらへ視線をよこしていることにクレハは気付く。注文を取るためにレジを降り、注文票とペンを片手に席へ寄った。


 ◆


 閉店後。掃除まで済ませたクレハは控室へ上がり、備え付けのノートパソコンを開く。普段は備品の注文や手続きに使っているそれで、検索エンジンに新興繁華街の五文字をかけて出てきた文字の海に目を通す。

「……」

 予想に反し、ヒットした結果は新宿繁華街周りの、中華料理店。または、池袋西口の治安状況。首をひねり、検索場所を浅く広くの検索エンジンからインターネット掲示板やソーシャルサービスの検索に切り替えてみる。

 少々悪意によりがちだが、それでも商業ロジック的手法に染まった昨今の薄ッぺらいシットポストブログを愛でるよりも人間の肉声を得やすい場所である。

 

祈華いのか町……」

 ネット掲示板の一つとソーシャルサービスのいくつかに、その単語を見つける。やや嘲笑的なニュアンスで、わずかに「チーファ」と呼び捨てる様子も。

 西新宿一丁目を根城として、水面下でゆっくりと染みていくように、日陰を選んで育つ種。やれ中国人が多くなってきた、やれ言葉が通じないと、少々過激な保守派思想がざわめきを見せているらしい。


 そのうち、書き込みの一つに「高級パブでイタリア系の男と中国人が言い争っているのを見た」という旨の文面を見つけ、目を凝らす。

 ややハイソな紳士といった様子のアカウントが、その投稿の前後にアップロードしている写真。店に置かれている品物や雰囲気と、別のタブで開いたパブの検索結果を見比べる。

「ここか…………」

 いっとうレビュー件数の多い店をあたり、レビューを斜め読みすればなんとなしに客層が見えてくる。なんでも少し前に海外で賞を取ったようで、外国人の客が多いらしい。

 高級というラベルが張られる通り、調べた値段は自分の店を含め他の酒場と比べれば割高に見える。

 ――が、クレハ自身の家柄から見るなら、ひと晩ふた晩通う程度で財布にダメージが入るほどでもない。加えて昨月は浪費癖が珍しく鳴りをひそめていたおかげか、預金残高も十分に積みあがっている。


 行けなくは、ないのだ。――数か月前、親の知人から土地を押し付けられたままに店を営むクレハ本人に、酒場を巡る経験がほとんどないことを除けば。

 ドレスコードも特にない、おそらく高級志向のパブでは手頃な方なのだろう場所。運が良ければ、好奇心を満たすついでに忌々しい余命宣告を押し付けてきた、風耶の鼻を明かしてやるための手がかりも掴める。


 店のホームページを開いたままの画面の前で、クレハはひとつ嘆息たんそくをこぼし、組んだ手に額を押し付け悩んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る