#03:ぎこちない再会
前回までのあらすじ。仕事帰り、殺人現場に鉢合わせて現行犯から追いかけられた。
「はぁ……」
――その翌日。夕方まで座学が立て込む中、カフェテリアに落ち着いたクレハは、コップに注いだ水を含みながら学食のプレートをつつく。
流石にあんなことがあったのだ、家に直帰できるわけもなく、利用した経験のある駅で降りて付近の安宿をとって眠った――ほとんど一睡もできなかったが。
時間も随分遅いというのに、予約なしでいきなり来た客を泊まらせてくれる宿というのがまだこのご時世にあったことへ深い感謝を覚えると同時に、驚いた。
ぐるぐると考え込む箸の先がフライの衣へ触れ、割り込もうとしたその時。
「おや」
「おやおやおやおや」
そんな、度し難さの化身みたいな口癖を現実で使うやついる?
呼びかかった声に振り向いたクレハは、そのままプレートに乗っていたスープをひっくり返した。とっさに支えたお椀から、あふれだす飛沫のかたち。
どうにもそれが、昨晩、刃を差しこまれた死体から流れだした血のように思えた。
――昼下がりのカフェテリア特有の、採光面が広いガラス張り。似合わぬ陽の光に縁どられていたのは、疑いようもなくあの男の姿をしている。
片側だけ横にはね、細く金色に染められたメッシュの伸びる黒い髪。そもそもサイドを長く、後ろを短く切った、あまり男性では見ない髪型。
……十月の余命も短いこの頃というのに、夕べの小洒落たドレスシャツの影もなく、装いはシルエットの大きなツートンのパーカーとひざ丈のハーフパンツ、あとはラフなスニーカーという、随分カジュアルなものだった。
「昨夜にお会いしましたねえ、あの後ちゃんと眠れましたか?」
――ラフというか、カジュアルというか。洒落者を自称しているクレハからしたら、服装にあまり気を使っていない、どちらかといえば素体の雰囲気に対しセンスが子供っぽい印象を受ける。
中高生の時のジャージを平気で大学に着てくるとか、いわゆる「親が買ってくる服」の見た目に違和感を抱かず着こなすタイプの気配。別段、理学系の生徒では珍しくない様子の人間なのだが……。
「……何を、しに来た」
「お勉強ですけど。私は神経細胞学をとっているんですが、貴方はどちらの学科で?」
「教えるわけないだろう」
「おや? 素っ気ないですねえ、お友達出来ませんよ」
「いらないお節介だ」
「ふふ、冗談ですよぅ。……こんにちは、生命科学科の星野さん」
人の体温を感じさせない、冷えきったシンメトリが笑顔を浮かべる。角度にして八度少し、緩急のない直線移動で首を傾ける。
「私、神経細胞学科の
声に常人らしい抑揚もない。金ぴかの明るい瞳には、昼の光に照らされてなお光の入りこむ余地がない。猫のように、蛇のように芯の通った瞳は瞬き一つせず、クレハから離れない。
「その言葉に、こちらはどう返したらいい?」
「別に、お好きな返答で構いませんよ。今更お行儀悪くののしられたって、話は変わりませんので」
要するに、ただのオタクくん、じゃ済まない違和感。姉山 風耶と名乗ったこの男、なにか引っかかりを持っている――それを覆い隠すほどの能力があって、偶然"常人"の世界で生きられているだけの欠陥が。
「何の用だ」
「同じ学部のよしみ、ただの談笑ですよ。怖がらないでください、私はこう見えて――」
「嘘だね。さしずめ、昨日の件を問い詰めに来たんだろう? それから、その態度は気味が悪いからやめてくれないか」
「……怖い顔しますね~」
いつもは色んな人を捕まえて楽しそうにおしゃべりしているのに、と大げさに肩を落とした風耶は、クレハの向かいの席へ腰かける。
イーストフェイスのロゴが刻まれた大振りのリュックには、ラベルのない水のボトルが一本刺さっている。中身はずいぶん量入っているようで、やや重たそうに下ろすのが見えた。
「星野さんがお話のきりをつけたいというのですからそうしましょうね」
「ね、星野さん。……何を警戒されているのかはともかく、この人の多さの中殺しに来ることはありませんよ」
あなたも相当頭が回るでしょう、そう思いますよね。言われるまま、クレハは正面から視線を外さないまま周囲に意識をよこす。ピークタイムを迎え複数学科から人が集まるカフェテリアは、しばらくしないとまず生徒は掃けていかないだろう。
もちろん、クレハ自身もそれを警戒して人の多い場所を選んで移動していたのだが、どうやら相手とは思考ルーチンが似ているらしい。
「というか、あの時は私も普段しないミスをしてしまったもので少しだけ焦っていたんです。いらないご迷惑おかけしてしまってすみませんね」
「……だから水に流せと?」
「いえ。それはそれとして、です。普通、他人をリスクなく使える弱みを手放す理由はありませんでしょう」
普通、本人の目の前で言うか? それを。変わらず薄ら笑みで行動も
「精神科にでもかかったらどうだ? お前はパーソナリティに問題がある」
「ふふ、星野さんが診てくれるのなら、少しは私の気苦労も晴れましょうかね」
じっと、黒髪の向こうで生白い輪郭にはまった金色が細まった。その様子を映した好戦的なヘテロクロミアが、なおさら明確な敵意を込めるのに風耶が肩をすくめる。
「……せっかちさんですねえ。 じゃあ、本題に移りますけど」
「不可能ではないけど、極めて難しいこと……例えば、普通、街中を歩いているだけでは見つけられないもの。心当たり、あります?」
感情の乗らぬ声が、なおさら雲をつかむように浮遊する。普通は見つからないもの。
「……謎かけか?」
「謎かけと思うならそれで。何か、"見つけられないもの"を探して、私のところに持ってきてくれます?」
「話が飛び飛びで理解が追い付かないんだが」
「評価する際にわかりやすい方がいいので、形のあるもの、けれど見つけられないものを」
「なおさらわからん!」
机を叩き、クレハが怒鳴る。しかし驚いた様子一つ見せず、にわかにざわつく周囲を放って金色の目は穏やかにクレハを凝視するばかり。
「……あっ、期限もつけないとお仕事らしくありませんねえ。二週間でいかがでしょう?」
「見つけられないものとやらを漁るのに、二週間ぽっちか」
「長いですか? 一週間にしてもいいですけど」
「いいやむしろ短いね。半年は欲しい」
「それはちょっと難しいですねえ」
忘れられちゃうと困るので、なんて口を叩きながら風耶がリュックの中を漁る。何を取り出す気かと思えば、質素なカロリーバーのパッケージだった。
「午後は私、実習授業があって結構かかるんですよね」
「……効率的だね」
「こうした維持の必要のない体が欲しいんですが、今の技術ではね」
カロリーバーを含む様子からクレハは早々に目を離し、水を流し込む。まだ半分弱残ってしまっているが、それどころではなくなってしまった。
「もし嫌だと言ったらどうする。今度こそ殺しに来る気か?」
「ううん、ですかねえ」
「曖昧……」
退屈になってしまったらしい。目の前の話し相手を放置して、カロリーバーをくわえたまま、風耶はスマートフォンの画面を付けて何かを覗いているようだ。
「ああ、ありましたありました。メールが埋もれっちゃって仕方ないです」
「何が?」
「西新宿六丁目、西新宿エフォート8F。おうちの借り入れをしたのは……たしか今年の四月一日付。名義はご家族のもののようですが、合っていますよね?」
「……、それをどこで?」
「お友達が多いもので」
スマートフォンから、ちらり、と金色が浮上した。依然瞬きをほとんど行わないまま、クレハに焦点を当てたそれは動かない。
――西新宿エフォート。クレハが住んでいる居宅である。まだ自分の名前が割れているだけならともかく、所在と家族の名義まで知られてしまっていては後に引けない。自分一人が標的にされるならまだしも、家族は守るべきものである。手出しをさせるなんて――
「それをしかるべき先に言ってみろ、脅迫だぞ。その上私の身に危害が及ぶなら余罪も追える」
「それはどうでしょう? 例えば――氷川総合高でさんざん暴れたとお聞きしましたが、その差し引きでどれほど残るのやら……」
「…………」
また違う名称を出され、今度はひたりとクレハの言葉が止まる。瞳に透けていた強い警戒はなりを潜め――焦り、あるいは怒り。それから少しだけの執着、得体のしれない不安と恐怖。
クレハはそれをすぐに強く瞬いて、繕うように風耶を睨みつける。
「……わかった。悔しいけど、その手の経験とツテならお前が勝つらしい。下手なことすれば冗談抜きで首が飛ぶんだろう」
「私、面白くない冗談は言わない主義ですよぅ」
ころころ
くすり、と風耶が白い唇から笑みをこぼした。
「それじゃあ、よろしくお願いします。お店の方も、今度遊びに行かせてもらいますねえ」
「……」
包装を一つ開けたカロリーバーを水で流して、風耶が席を立つ。ひらりと手を振り廊下へと消えていく姿をきっちり見届けてから、大きく肩を落としてクレハはため息をついた。
「…………はあ…………」
向こうの機嫌と自分の環境が許すのなら、家族と外の国へ引き払いたいものだ。面倒なこと極まりない。ここではないどこかへ行きたい――
重苦しい様子で学食のプレートを片付けてから、クレハは次の講義室へ続く廊下と玄関へ続く廊下とで迷って、最終的に後者を選んで足を進めた。このストレスを抱えてなお、授業へ出る気分になれるわけあるか。
……そう思い歩いていたはいいものの、以降店を開ける時間までこの感情と共に家で過ごす自分を想像したクレハはあっさりと
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