第28話 雑誌記者、葉山さんの過去
陰陽師長屋に戻ったわたしは、奥から二番目の部屋に葉山さんを案内した。一番奥は志遠さんがおかしな術をかけちゃったから、念のため使用は禁止。
まあ、それでも維吹さんの部屋から離れているし、深夜のおしゃべりで迷惑をかけることはないだろう。
ちなみに灯りはないから引き戸を開けて、星明りで代用だ。
「あ、そうだ、ちょっと待ってて!」
上がり
「へぇ? これが例のブツね」
お
「……例のブツ?」
なんだか引っ掛かる言いかたに首をひねると、彼は大きくうなずいてみせる。
「取材に行くたび、維吹先生が『うちの亜寿沙さんが作ってくれる牛乳寒天は絶品だ』ってすっごくうれしそうに話すんだよ。『いや、それもう何万回も聞いたから!』ってこっちが叫びだしそうになるくらいしつこくさ」
「え? そうだったの⁉」
維吹さんが牛乳寒天を気に入ってくれたことは知ってたけど。まさかそこまでだったなんて!
「先生、あんたが来てから笑うことも多くなったし。初めは女弟子なんて物好きなって思ったけど、結果的にはよかったのかな」
しみじみとした葉山さんの言葉に、わたしはなんだか気恥ずかしくなってしまう。
「と、ところで、さっきの財布泥棒の件だけど!」
わたしが強引に話を戻すと、
「あ? ああ、実はおれ、記者になる前、今の雑誌社で小僧をしてたんだよ」
葉山さんは声を落として話しだす。
「へぇ? そうだったんだ。なんだか意外……」
小僧。それは雑用専門の、薄給で働く男の子のことだ。お茶を出したり、届けものや片づけものをしたり、いいように
どことなく自信ありげで抜け目がなくて、初めから記者として雇われたんだろうなぁ、なんて思っていたわたしには予想外の話だ。
「で、小僧やってたある日、記者のひとりが財布がないって騒ぎだしてさ。おまけに『そういやおまえ、さっき俺の机のそばにいただろう?』なんてあらぬ疑いまでかけてきて。やってないって言うのに、そりゃあまぁ、しつこいことしつこいこと!」
口では冗談めかしているが、そのときの悔しさを思いだしたのだろう。星明りに照らされた葉山さんの瞳は笑っていない。
「で? どうしたの?」
「こっちは知らないってひたすら言うしかないじゃん? でも誰もかばってくれないし、目すら合わせてくれないわけ。ああ、小僧の立場ってこんなに弱いんだなって、自分で自分が嫌になったよ。このままクビになって、手癖の悪い奴って噂がたったらどこも雇ってくれないだろうし。そんなことを考えていたら、いきなり事務所の窓からきれいな小鳥が飛びこんできて、
「えっ⁉ なにその超展開?」
「おれもわけがわからなくて、しばらく小鳥が飛び去った空を眺めてたよ。で、おれを怒鳴りつけてた記者がその紙を開いてみたら、『財布の忘れものがありました。取りに来てください』っていう維吹先生からの手紙だった。たぶん、取材に出かけてそのとき落っことしてきたんだろうな」
「つまり、自分のおっちょこちょいを他人のせいにしてたってわけ?」
うわぁ、なんて人騒がせな!
「ほんと、嫌になるよな。こっちはそのせいで人生踏み外しかけたのに」
肩を落として愚痴ってみせる葉山さん。
もしその
「……ほんと、よかったわねぇ。地獄で仏じゃなくて、地獄でほっこり陰陽師だわ!」
心からのわたしの言葉に、葉山さんが「ほへ?」と妙な声を出す。
「なんだよ、その『ほっこり陰陽師』って?」
「だって維吹さんて、なんだかちょっとふわふわしていて、生まれたての子ウサギみたいなところがない? 普通の陰陽師はもっとこう近寄りがたくて、怖い雰囲気がありそうなのに。だから名付けてみたんだけど」
「……弟子に『ほっこり』とか言われてんの、維吹先生は知ってんのかよ?」
葉山さんはどこか憐れむような顔をする。
うーん、これってそんなに失礼な
「じゃあ、『ほっこり』以外になにがいい?」
「いや、そういうことじゃなくてさ! ていうか、まだ話が途中なんだけど!」
「え? これで終わりじゃないの?」
「ああ、いつだったかおれ、維吹先生のこと、『いろいろお世話になってるし、人格者として尊敬してる』って言っただろ? その話なんだけど」
「わ、聞かせて聞かせて!」
身を乗り出したわたしに、「調子のいい奴……」と葉山さんはつぶやいて、それから表情を引き締める。
「手紙が来たあと、なぜかおれが財布を取りに行くことになってさ。そのとき初対面の維吹先生にこう言われたんだ。『ねぇ、君。霊力がなくてもできる簡単な
「の、呪い⁉」
呪いなんて、まったく維吹さんらしからぬ台詞なんだけど!
「ほんとにそんなこと言ったの?」
「ああ。……知りたい?」
「とうぜんじゃない!」
夜はとっくに更けていたし、無人の長屋でいい年した男女がなにやってんだって話なんだけど。
わたしたちの話はなかなか終わりそうにない。
「じゃ、そのまえに寒天おかわり」
「……いいけどね」
わたしは急いで自分の長屋に駆け戻ると、たくさんの牛乳寒天をお椀に入れ、
「さっさと食べてさっさと続きね!」
葉山さんの鼻先にずいと突き出す。
濡れ衣をどう晴らすかより、わたしの知らない維吹さんの話が興味深くて。それに夢中になっている自分がなんだかとても不思議だった。
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