第28話 雑誌記者、葉山さんの過去

 陰陽師長屋に戻ったわたしは、奥から二番目の部屋に葉山さんを案内した。一番奥は志遠さんがおかしな術をかけちゃったから、念のため使用は禁止。

 まあ、それでも維吹さんの部屋から離れているし、深夜のおしゃべりで迷惑をかけることはないだろう。

 ちなみに灯りはないから引き戸を開けて、星明りで代用だ。

  

「あ、そうだ、ちょっと待ってて!」


 上がりかまちに座った葉山さんに声をかけ、わたしは自分の長屋に戻る。自分から招いておいてお茶の一杯も出さないのも悪いから、昼間に作りすぎた牛乳寒天でもごちそうしようと思ったのだ。


「へぇ? これが例のブツね」


 おわんに入れて差し出すと、夜目にも白い直方体を凝視しながら葉山さんが声をあげた。


「……例のブツ?」


 なんだか引っ掛かる言いかたに首をひねると、彼は大きくうなずいてみせる。


「取材に行くたび、維吹先生が『うちの亜寿沙さんが作ってくれる牛乳寒天は絶品だ』ってすっごくうれしそうに話すんだよ。『いや、それもう何万回も聞いたから!』ってこっちが叫びだしそうになるくらいしつこくさ」

「え? そうだったの⁉」


 維吹さんが牛乳寒天を気に入ってくれたことは知ってたけど。まさかそこまでだったなんて!


「先生、あんたが来てから笑うことも多くなったし。初めは女弟子なんて物好きなって思ったけど、結果的にはよかったのかな」


 しみじみとした葉山さんの言葉に、わたしはなんだか気恥ずかしくなってしまう。


「と、ところで、さっきの財布泥棒の件だけど!」


 わたしが強引に話を戻すと、


「あ? ああ、実はおれ、記者になる前、今の雑誌社で小僧をしてたんだよ」


 葉山さんは声を落として話しだす。


「へぇ? そうだったんだ。なんだか意外……」


 小僧。それは雑用専門の、薄給で働く男の子のことだ。お茶を出したり、届けものや片づけものをしたり、いいようにあごで使われることも多い。

 どことなく自信ありげで抜け目がなくて、初めから記者として雇われたんだろうなぁ、なんて思っていたわたしには予想外の話だ。


「で、小僧やってたある日、記者のひとりが財布がないって騒ぎだしてさ。おまけに『そういやおまえ、さっき俺の机のそばにいただろう?』なんてあらぬ疑いまでかけてきて。やってないって言うのに、そりゃあまぁ、しつこいことしつこいこと!」


 口では冗談めかしているが、そのときの悔しさを思いだしたのだろう。星明りに照らされた葉山さんの瞳は笑っていない。


「で? どうしたの?」

「こっちは知らないってひたすら言うしかないじゃん? でも誰もかばってくれないし、目すら合わせてくれないわけ。ああ、小僧の立場ってこんなに弱いんだなって、自分で自分が嫌になったよ。このままクビになって、手癖の悪い奴って噂がたったらどこも雇ってくれないだろうし。そんなことを考えていたら、いきなり事務所の窓からきれいな小鳥が飛びこんできて、くわえてた紙をぽとん!」

「えっ⁉ なにその超展開?」

「おれもわけがわからなくて、しばらく小鳥が飛び去った空を眺めてたよ。で、おれを怒鳴りつけてた記者がその紙を開いてみたら、『財布の忘れものがありました。取りに来てください』っていう維吹先生からの手紙だった。たぶん、取材に出かけてそのとき落っことしてきたんだろうな」

「つまり、自分のおっちょこちょいを他人のせいにしてたってわけ?」


 うわぁ、なんて人騒がせな!


「ほんと、嫌になるよな。こっちはそのせいで人生踏み外しかけたのに」


 肩を落として愚痴ってみせる葉山さん。

 もしその冤罪えんざいを晴らせなかったら、今ごろ葉山さんはどうなっていたんだろう? ここでこうして笑って話している彼はいない。そう思うと胸がなんだか痛くなる。


「……ほんと、よかったわねぇ。地獄で仏じゃなくて、地獄でほっこり陰陽師だわ!」


 心からのわたしの言葉に、葉山さんが「ほへ?」と妙な声を出す。


「なんだよ、その『ほっこり陰陽師』って?」

「だって維吹さんて、なんだかちょっとふわふわしていて、生まれたての子ウサギみたいなところがない? 普通の陰陽師はもっとこう近寄りがたくて、怖い雰囲気がありそうなのに。だから名付けてみたんだけど」

「……弟子に『ほっこり』とか言われてんの、維吹先生は知ってんのかよ?」


 葉山さんはどこか憐れむような顔をする。

 うーん、これってそんなに失礼な綽名あだなかなぁ?


「じゃあ、『ほっこり』以外になにがいい?」

「いや、そういうことじゃなくてさ! ていうか、まだ話が途中なんだけど!」

「え? これで終わりじゃないの?」

「ああ、いつだったかおれ、維吹先生のこと、『いろいろお世話になってるし、人格者として尊敬してる』って言っただろ? その話なんだけど」

「わ、聞かせて聞かせて!」


 身を乗り出したわたしに、「調子のいい奴……」と葉山さんはつぶやいて、それから表情を引き締める。


「手紙が来たあと、なぜかおれが財布を取りに行くことになってさ。そのとき初対面の維吹先生にこう言われたんだ。『ねぇ、君。霊力がなくてもできる簡単なのろいを教えてあげようか』って」

「の、呪い⁉」


 呪いなんて、まったく維吹さんらしからぬ台詞なんだけど!


「ほんとにそんなこと言ったの?」

「ああ。……知りたい?」

「とうぜんじゃない!」


 夜はとっくに更けていたし、無人の長屋でいい年した男女がなにやってんだって話なんだけど。

 わたしたちの話はなかなか終わりそうにない。


「じゃ、そのまえに寒天おかわり」

「……いいけどね」


 わたしは急いで自分の長屋に駆け戻ると、たくさんの牛乳寒天をお椀に入れ、


「さっさと食べてさっさと続きね!」


 葉山さんの鼻先にずいと突き出す。

 濡れ衣をどう晴らすかより、わたしの知らない維吹さんの話が興味深くて。それに夢中になっている自分がなんだかとても不思議だった。

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