第29話 誰にでも簡単にできる呪いのかけかた

 葉山さんが維吹さんに言われたという、「簡単なのろいを教えてあげようか」という言葉。

 その真意がわからなくて、わたしは考え込んでいた。

 そりゃあまあ、普通に呪いって言えば、葉山さんに濡れ衣着せようとした記者に仕返ししてやれってことなんだろうけど。

 そんなふうに維吹さんがそそのかすなんて、ちょっと信じられない。


 この部屋の数軒先で、たぶんわたしたちの気配を感じているであろう維吹さん。彼はいったいなにを考えそんなことを言ったんだろう?

 わたしが黙って待っていると、


「あんた、蠱毒こどくとか巫蠱ふこって知ってるか?」


 ようやく牛乳寒天を食べ終えた葉山さんが、剣呑けんのんな台詞を吐いてきた。


「知ってるわよ、それくらい。けっこうヤバめの呪術よね」


 数え十七の可憐な乙女の知識としては、それってどうなの? って感じなんだけど。拝み屋との喧嘩で身に着けた知識がこうして今役に立ってるなんて、なんだか複雑な気分だ。

 ちなみに、蠱毒や巫蠱は蠱道こどう蠱術こじゅつとも呼ばれ、古くは古代中国で流行したまじないだ。蛇や百足むかでかえるといった毒虫をひとつの容器に閉じ込めて共食いさせ、その中で生き残ったものを呪いの道具として使用する。


「巫蠱を知ってるなんて、さすがは陰陽師の弟子だな」


 葉山さんは感心したように言ったけど、ちょっとまじないをかじった人なら誰でも知ってる、結構有名な呪術だ。


「で? それをわざわざ維吹さんは教えてくれたの?」

「ああ。ただ普通の蠱毒とはちょっと勝手が違っててさ」

「へぇ、どんなふうに?」


 興味津々訊ねると、


「人でやるんだよ……」


 葉山さんは静かにつぶやいて。


「ひ、人⁉」


 いやいや、ちょっと待って!

 なんかそれものすごく怖い話になってない⁉


「まさか、人間をひとつところに閉じ込めて――」


 そのようすを想像し、じんわり嫌な汗を掻いてしまったわたしだけど、彼は小さく首を振る。


「違う違う。たとえば、自分より頭のいい奴や裕福な奴がいたとするだろ?」

「……うん」


 いたとする、じゃなくて、普通は上には上がいるもんだけど。下手な茶々を入れると話の腰を折りそうだったので、ここは静かにうなずいてみせる。


「で、この呪術はそんな奴らを妬んで、否定して、自分のまわりから遠ざけることから始めるんだ。さらには心の平安を得たいがために、自分と同じように不幸で、傷の舐めあいばかりの奴らとつきあう。心の奥では『この中じゃ自分が一番かわいそう』とか『自分が一番マシ』とか勝手に優劣つけたりしながらね」

「……なんか相当ひねくれた考えかたね。けど、そういうことやっちゃう気持ちもわからなくはないわ」


 自分よりも幸せそうな奴らは許せない。愚痴ばかりで不幸から決して抜け出そうとしない相手とつきあって安心したい……。

 でも、それと巫蠱とにいったいどんな関係が?

 わたしが首を傾げていると、葉山さんが皮肉げに唇の端を吊り上げる。


「……維吹先生が言ったんだ。自分と同じような世を拗ねた人間たちをかき集めて、『この中で自分が一番だ』ってうそぶくのは、本質的には巫蠱の毒虫――それも、生き残った最強最悪の毒虫と変わらないよねって」

「うわ、たとえがえぐい!」


 維吹さんていつもは穏やかな人なのに、ときに辛辣なことも言うからまったくもって油断ならない。


「それが、『霊力がなくても簡単にできる呪い』?」

「ああ。無意識に自分にかけちゃう危険な呪い。幸せになりたけりゃ、幸せそうな奴のそばにいるのが一番なのにさ。気づけば自分が最強の毒虫で、戻れないとこまで来てましたって、シャレになんないよな」


 頭のうしろで手を組んで、葉山さんは苦笑する。


「おれ、初めて維吹先生と会ったとき、めちゃくちゃ態度が悪かったんだよね。濡れ衣のことでいろいろムカついてたし、『さっさと吐け』って記者に一発殴られてもいたし」

「ええっ⁉」


 葉山さん、濡れ衣どころか殴られてもいたの⁉ それはなんでもひどすぎる!


「で、なにがあったか維吹先生に悟られて、だから唐突に呪いの話をしてきたのかな、なんて。もしあのとき呼び止められなかったら、濡れ衣が晴れても『こんな雑誌社やめてやる!』って飛び出してたと思うし。そうしてたちの悪い奴らとつるんで裏街道まっしぐらの可能性もあった。すんでのところで踏みとどまれたのは、維吹先生のおかげなんだよ」


 そう説明してくれる葉山さんはなんだかとっても照れくさそうだ。


「おまけに先生、『これ以降、太一くん以外の取材は受けないから』って雑誌社に掛け合ってくれて」

「うわ、そこまでしてくれたの⁉」

「ああ。で、ただの使いっ走りの小僧が一夜明けたら記者サマだぜ?」


 な、なんなの、維吹さん! めちゃくちゃやさしすぎ! こんなことされたら誰だって惚れちゃうよ!


「……だからさ。あんた、先生には絶対に迷惑かけるなよ?」

「へっ?」


 美談に酔っていたわたしは、いきなり話の矛先を向けられて目を白黒させてしまう。


「め、迷惑なんてかけてないわよ! ていうか、いろいろ派手に書きたてて迷惑かけたのはそっちじゃない!」

「はぁ? あれは、維吹先生の宣伝になるかと思ってやっただけだよ!」

「結果、めちゃくちゃ逆効果だったんでしょ⁉ 弟子志望が押しかけて、維吹さんの静かな生活、壊しちゃったんだから!」

「でもおかげであんたは弟子になれただろっ⁉」

「それはもののはずみ! なんか偶然なっちゃったのよ!」


 わいわいぎゃあぎゃあ、大声で怒鳴り合っていたら、


「君たち、うるさい!」


 戸口の前にひょろりとした影が立って。


「もういい時間なんだから、わきまええないと! 亜寿沙さんは明日に差し支えるからさっさと寝る! 太一も早く帰ること!」

「「……す、すみません……」」


 ふたりそろって頭を下げて……。なんだかんだで維吹さんにたっぷり迷惑をかけてしまったわたしたちだった。

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