第30話 女装仙人は西洋料理がお好き
賽銭泥棒の犯人がわからぬまま、時間はどんどん過ぎていった。
わたしへの処分も保留のままで、まさに蛇の生殺しだ。
――でも。
ということは、マスターも鈴が出てきただけでは決め手に欠けると思っているはず。
そこに
だって、あの鈴をわざわざ賽銭箱に入れたってことは、誰かがわたしを陥れようと仕組んだってことだから。
鈴は店でラドミールさんからもらったもの。それを知っているのはマスターとカフェーの女給仲間しかいない。
わたし、濡れ衣着せられちゃうくらい嫌われてるんだ……。
仕事中もそんな感情が湧いて来て、ふいに手を止めそうになる。
こうなったら濡れ衣が晴れても晴れなくても、自分から辞めた方がいいんじゃ……と思ったり、いやいや、短気は損気、あの葉山さんもぐっと
そんなことをぐるぐる考えているせいか、まったく気持ちが休まらない。
やがて、昼時の混雑も落ちついて、そろそろお客さんも減ってきたな……なんて思ったころ。
軽やかにドアベルが鳴って、ひとりの男性がやって来た。
高級そうな
でもあれ? この人、どこかで見たような気が……。
きょとんと目を
「あら? 亜寿沙ちゃんじゃないの!」
低い声音で女言葉。
ひょ、ひょっとしなくてもこれは!
「……
叫びたいのをすんでで止め、声を殺してわたしは言う。
いつもは仙女みたいなゆったりとした格好をして、髪もそのまま腰まで落としているのに。あまりに姿が違うから、すぐに誰だかわからなかったよ!
「どうしてここに?」
「だぁって、いっつも山の中で
腰に手を置き、くねっと
「その格好は⁉」
「うん? だってあのナリだと悪目立ちしちゃうでしょ? 山の中ならともかく、帝都の街中じゃまずいわよ。髪も
……それくらいの常識はあるのに、勝手に長屋と山を繋げちゃったりするし。今回もきっと陰陽師長屋を通ってやって来たんだろうなぁ。
にしても、このタイミングはまずい。
マスターがカウンターの奥からじろじろ見ている気配を感じる。女給仲間の洋子さんや美津さん、燐さんたちも給仕をしながらこちらのようすを窺ってるし!
くう、今はあんまり目立ちたくないのに!
そんなわたしの気持ちも知らず、志遠さんはさっさと空いていた席に腰を下ろすと、
「このアイリッシュ・スチューってなぁに?」
献立表を開き、指をさしつつ訊いてくる。
「そ、それは、牛肉に大根と人参、
「ふぅん? おもしろいわね。じゃ、これにするわ。二人前ね」
「二人前?」
志遠さんて、けっこう食欲旺盛なんだ? でもうちの維吹さんは、半分食べるのさえ難しそう……。
そんなことを考えながら注文をマスターに届け、待つことしばし。やがてスチューができあがると、わたしは志遠さんの元にほこほこと湯気をたてるスープ皿を持っていった。
「どうぞ、ごゆっくり」
軽く頭を下げてその場を離れようとした瞬間、店内のざわめきが潮が退いたように消え失せた。おしゃべりする声、食器と食器の触れ合う音……そんなものが一気に消え、ぐるりと周囲を見回せば、誰も彼もが人形のように止まっている。
なに、これ……?
「店の中だけ時間を止めたわ」
わたしの前でしれっとつぶやく志遠さん。
「さ、そこに座って。一緒に食べましょ」
なるほど、だから二人前だったんだ……じゃなくて!
そんなことできるんだ! という驚きと、勝手なことされちゃ困る! という戸惑いと。
「……あの、ですねぇ」
「いいでしょ? ひとりで食べるよりふたりで食べたほうがおいしいもの。ほら、スチューが冷めちゃうわ」
まったく悪びれない志遠さんに、怒っている自分が馬鹿らしくなってくる。
「……わかりました。でもこれっきりですよ?」
わたしは急いで店の外にあった「
その間、料理には手もつけず、お行儀よく待っていてくれる志遠さん。
「……さ、いただきましょ」
向かい合って椅子に座り、さて、と
「このスチュー、とってもおいしそうね。でも異国のものが昔と比べものにならない量と速さで入ってくると、なんだか気持ちが追いつかないわ」
「あー、それちょっとわかるかも。ぼんやりしてると置いていかれてしまいそうな……そんな感覚ですよね?」
思わず話に引き込まれると、志遠さんは「そうそう」とうなずいてみせる。
「仙人なんか普段は俗世を離れて生活してるし、あやかしも基本、時の流れは意識していないから。こういう時代に生き残ってくの、結構しんどいわね」
「生き残る……?」
その、あまりに仙人らしくない発想に、わたしは首を捻ってしまう。
「よくわからないけど、仙人て不老不死なんじゃないですか? それに、俗世を離れて生きてるから人の世がどう変わろうが関係ないんじゃ?」
「う~ん……。私も仙人初心者のときはそう思っていたのよ」
「――仙人初心者」
「ええ、誰でも初心者のころはわくわくして、素敵な未来が待ってるものだと勘違いしがちじゃない?」
牛肉を
「でもね、やっぱり人間からは少なからず影響を受けちゃうの。たとえばほら、私が隠れていた山の奥まで開発の手が伸びてきたでしょう? そうなると、仙人やあやかし、それに関係する人たちも変わらざるをえない。変われなければ滅んでいくだけ。だけど彼らはそれを受け入れられなくて――維吹くんはその代償。失敗作」
「い、維吹さんが失敗作⁉」
いきなり飛び出した単語にわたしは椅子から立ち上がる。
たしかに維吹さんはずぼらで身の廻りのことには気がまわらない。でも陰陽師としての実力はそこそこあって、だから衣川さんから依頼が来たりするわけだし。
「ちょっとそれ、失礼じゃないですか⁉」
思わず食ってかかると志遠さんは目を見張る。
「あなた……維吹くんのことが好きなの?」
「へ⁉」
「だっていきなり声を荒げるんだもの」
「す、好きとかそういうんじゃなく! お世話してくれている人が悪く言われると、あまりいい気がしないので!」
「……そう。ごめんなさいね」
志遠さんは目を伏せて、座るようにとわたしに促す。
「失敗作ってのは言い過ぎね。ある意味大成功だったんだけど、時代は陰陽師を見捨てようとしていたし、周囲の心もついていかなかったのよ」
あなたがいるとついつい余計なことまでしゃべっちゃうわね、と彼は小さく苦笑する。
「あらやだ、スチューが冷めちゃったわ。ほらあなたも食べて!」
話を無理やり打ち切ろうとする志遠さんに、わたしは慌てて食い下がる。
「あの、よければ維吹さんのこと、もっとくわしく教えてくれませんか? 本人からは決して話してくれないと思うんです。でも、そちら側の人間だったら誰でも知ってる有名な話なんですよね? つまり、わたしの耳に届くのも時間の問題だと思うんです!」
とたんに彼は困ったように口元を歪める。
「……たしかに、隠していてもバレるのは時間の問題ね」
「ですよね⁉ だったら早めにバラしてもらったほうが、維吹さんを支える手立ても講じやすいのでは⁉」
「あなた……人を説得するのがうまいわ」
志遠さんは苦笑すると、手にした匙を一度置く。
「簡単に言うと、彼は陰陽師の再興を望んだ一派に創られた子。あるところに強い霊力を持った娘さんがいてね。ぜひにと乞われてお嫁に来たんだけど、その人は陰陽師一族から
要は、霊力の強い子どもを得たいがための政略結婚で。けれど、陰陽師なんてとっくの昔に廃されて、再興なんて考えたのはごく一部の人間だけ。おまけに母親の出自を問題視する声も上がり、用なしになった維吹さんは、最終的に放り出された……。
本当に嫌な話だけど、こういう例は枚挙に
たとえば、わたしのお姉ちゃんがそうだ。将来を誓い合った恋人がいたけれど、彼の家は貧しくして、身分の差からとてもお父さまのお眼鏡に適う人ではなかった。
「私の話はこれでおしまい。これ以上のことが知りたかったら、あとは亜寿沙ちゃん自身で調べてね。ただ、あの子は沼の上に建てた豪邸みたいなものだから――。あんまり深く関わると、一緒に沈んじゃうかもよ? 『支えてあげて』って言っておきながら、混乱させるようなことも言って申し訳ないんだけど」
冗談とも脅しとも取れる言葉を吐いたあと、志遠さんは料理に専念する。
「……この店、気に入ったわ。味もいいし亜寿沙ちゃんもいるし。また来ようかしら?」
そんなふうに彼は笑顔で言ってくれたけど。
「でも、そのときはわたし、もうここにいないかもしれませんよ?」
「あら? どうして?」
うっかり漏らしてしまった言葉に仙人が食いついてくる。
「お給金が悪いとか? 仕事の中身が辛いとか?」
う、うわ、しまった……!
「い、いえ、そういうわけでは決してなく!」
「じゃあどういうわけ?」
「き、訊かないでください!」
「訊かないでって、あなたから言ってきたんじゃない? 私には『維吹さんのこと、教えてください!』ってしつこく
ひ、ひぇええ!
何日か前に長屋で会ったときも妙な術をかけてきたし、今だってまわりのみんなを止めてるし。この人なら普通にやりそう……!
「わ、わかりました! 言います、言いますから!」
仕方なく、わたしはここしばらくの出来事をぽつりぽつりと説明する。
「……なるほど、賽銭泥棒ねぇ」
事情を聞いた志遠さんは、困ったように眉根を寄せる。
「で――全部ぶっちゃけた手前聞いちゃいますけど、どうにか濡れ衣を晴らす方法ってありませんか?」
目の前にいるのは腐っても仙人だ。なにか怪しげな術でパパッと犯人を見つけ出すことはできないんだろうか?
期待に満ちた瞳で見つめてしまうと、
「そうねぇ……。だったらそのお
志遠さんは思いもよらないことを提案してきた。
「そうすれば、賽銭泥棒がわかるんですか?」
「ええ。ただ少し時間はかかるわ。私が言えるのは今はそれだけ」
意味ありげな笑いを唇に溜めて、彼は言ったけど。
願掛けの内容と、賽銭泥棒にどんな関係が?
悲しいかな、今のわたしにはまったくわけがわからなかった。
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