陰陽師は自分が嫌い

第43話 干しうどんよ、ごめんなさい

 年が明けて大正十一年、一九二二年がやって来た。

 わたしは改めて上野駅に出かけ、タクシー運転手さんからお姉ちゃんの行き先を聞きだした。

 結果、判明したのは浅草あさくさ。それも浅草寺せんそうじ仲見世通なかみせどおりではなく、そこからやや西のあたりで謎の男と一緒に降ろしたという。


 ようし、ここまでわかったら、今年こそお姉ちゃんを見つけてやる!

 そんな決意を固めたわたしの前では、七輪しちりんに置かれたなべからふわふわと湯気があがっている。


「さっきからでてるそれ、いったいなんだい?」


 上がりかまちに座って火の具合を見ているわたしに、維吹さんが声をかけてきた。

 食に興味を持ってもらうべく、最近のわたしは珍しい食材を手に入れると真っ先に維吹さんの部屋で調理することにしている。今もこっちを気にしてるし、これはなかなかいい兆候かも。


「えーと、カフェーのマスターが言うことには、西洋の干しうどんとか」

「西洋の、干しうどん……?」


 鍋のふたを取ってみせると、維吹さんがしげしげと中を覗き込む。


「あ、足を踏み外して三和土たたきに落ちないでくださいね!」

「うん……。それよりこれ、なんであなが空いてるんだい? うどんというには短いし、色も黄色いよね?」

「わたしもそこは謎なんですけど、あちらではマカロニと言って、日本のうどんやそば並みに食べられているんだとか。茹でたあとは塩コショウを振って、お好みでクリームソースをかけるとイケるって話です」

「クリームソース? うーん。僕、前にも言ったけど牛乳系はちょっと……」

「だったら今日はとりあえず塩コショウだけにしてみましょうか」

「そうだ、うどんならめんつゆでもいけないかな?」


 維吹さんがつぶやいて、「どこかに鰹節と醤油が……」なんて、かまどの上の棚をごそごそと漁りはじめる。

 でもなぁ……。運よく見つけたとしても、維吹さんちのものを口に入れるのはかなり危険な気が……。


「そう言えば、志遠さんはまだ長屋にいるんですか?」

「ああ。奥多摩は寒いからって、去年の暮れからこっち、ほとんど上野で暮らしてるよ」

「全然気づきませんでした……」

「こっちは楽しみが多いから、しょっちゅう出かけているんだよ。今朝がた戻ってきたから、そろそろ起き出すんじゃないかな?」

「じゃあ、お昼ご飯がわりにお裾分けしようかな」


 志遠さんは西洋料理が好きらしいし、きっと喜んでくれるはず。

 わたしは手にした穴杓子あなじゃくしで干しうどんをひとつすくう。指で軽く摘まむと適度な弾力が返ってきて、なるほど、日本のうどん並みにコシがあるなと感心してしまう。


「……なかなかいい感じです」

「じゃあ、どんぶりにでもあけようか」


 結局、鰹節と醤油は見つからなかったのか、諦めた維吹さんは食器を取ろうと壁の棚に手を伸ばし――。

 その動きが途中で止まる。


「……維吹さん?」

「しっ」


 維吹さんがこういう態度をとる場合、十中八、九、マズいことが起こる前触れだ。

 わたしは身を固くして、あたりのようすに気を配る。

 と、一番奥の長屋の引き戸が開いた音がして、志遠さんが外に出てきた気配がした。それと同時に反対側、表通りに続く板戸が乱暴に開かれる音もして――。

 ドサッとなにかが地面に倒れ込む音、続いて志遠さんの「きゃああ、あなた、大丈夫っ⁉」という金切り声。

 はじかれたようにわたしと維吹さんも外に飛び出し、目の前の惨状に息を呑む。

 そこには、軍服を血に染めた衣川さんが倒れていた。隣にはひざまずいた志遠さんが、「生気がないわ!」「駄目だ、持たない!」とおろおろしている。


「ねぇ、この人いったい誰⁉ おまけに死にかけてるんだけど!」


 どうやら志遠さんは、衣川さんと会うのはこれが初めてらしい。

 恐慌状態に陥った彼に、


「大丈夫です、絶対に死にませんから!」


 落ち着かせるように声をかけるが、その言葉がさらに拍車をかけてしまったらしい。


「死なないってどういうこと⁉ でも心臓は止まりかけてるし、これだけ出血してたら半時だって持たないわよ!」


 と、うろたえまくる。

 まあ、維吹さんから彼の正体を知らされていなかったら、わたしも今の志遠さん並みに慌てていたことだろう。


「とりあえず、空いている長屋に運ぼう。亜寿沙さん、志遠さん、手を貸して」


 維吹さんがテキパキと指示を出し、一番奥から二番目、仙人が使っている長屋の隣に衣川さんを運びこむ。


「……結構派手にやられたね」


 手早く軍服を脱がし、維吹さんはひととおり身体を改めている。


「特に首のあたりの出血がひどいな。数日休めば動けるようになるはずだけど」

「……ねぇ、この人、いったいなんなの? 見た目は軍人みたいだけど、人ではないの?」


 こちらのようすをおっかなびっくりうかがっていた志遠さんが、遠慮がちに声をかけてくる。


「……えぇと、言っちゃっていいですか、維吹さん?」

「こうなったら隠し続けるのも無理だからね。それに、志遠さんが相手なら」


 陰陽師のひとことに、わたしは一呼吸おいて正体を告げる。


清悦せいえつ、だそうです」


 とたんに仙人の黒い瞳が見開かれ、わたしと気を失った衣川さんとを交互に見つめる。


「はあ? 清悦って、あの? 八百比丘尼やおびくにの男版⁉」


 ずいぶん乱暴な分類だけど、言ってることは当たっている。

 鎌倉時代の初め、奥州は平泉ひらいずみで、人魚の肉を食べて不老不死になってしまった清悦という武士がいた。つかえていた主君、源義経みなもとのよしつねを戦によって亡くした彼は、そのあと四百年も生き続けた、という伝説もあれば、いまだに各地を彷徨さまよい続けている、という話もある。


「不老不死だから、いくら傷ついても大丈夫ってこと? 私は嫌よ⁉」

「上野の山で龍退治をしたときも、迷い込んできた一般人をかばって重傷を負ったしね。衣川さん、こう見えて結構無茶をするんだよ」


 痛々しそうな瞳で維吹さんは軍人を見る。


「人魚の肉の効力が切れるまでは、どうあがいても死ねない。ここまでぼろぼろになった彼を見るのは、上野の山以来だけど」

「……龍と同程度か、それ以上の強さを持つ、とんでもない相手にやられたと……」


 わたしの低いつぶやきに、維吹さんは重々しくうなずいてみせる。

 とは言え、今は下手人が誰かを探っている余裕はない。


「わたし、きれいなさらしと沸かしたお湯を持ってきますね。あ、塗り薬もあったほうがいいですよね!」


 どうやら一番ひどい傷は、維吹さんが指摘した首の部分だ。ひどく盛り上がった部分が二か所、凶悪な獣に噛みつかれたようにただれている。どうにか出血は止まったみたいだけど、痛々しいことに変わりはない。


 急いでお湯を沸かして手当をしないと!

 息せき切って自分の長屋に駆け込むと、鍋が見当たらないことに気がついた。

 はて、と首を傾げ、次の瞬間飛び上がる。


「干しうどんっ!」


 慌てて維吹さんの部屋に飛びこむと、七輪にかけっぱなしだった干しうどんはすっかりコシを無くし、見る影もないクタクタのシロモノに変貌していた。

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