第41話 弟子の次は婚約者!

 大狐おおぎつねは維吹さんをにらみつけ、ぐるるっと喉の奥で声を漏らす。

 血走ったあかい瞳、さっきより勢いを増した、口から吐かれる青い炎。下手をすれば、そのままパクッと頭から丸呑みされてしまいそうな剣呑な雰囲気すらある。

 なのに陰陽師は怯まない。


「つまらないおどしはやめていただきたい。悪いが僕には妖狐としての自覚がない。そんな相手に平伏へいふくせよと命じても、まったく通じないのがわからないのか?」


 とたんに大狐は大笑する。


「たしかに、おぬしを妖狐と呼ぶには無理がある。あやかし間の上下関係を持ち出しても、通用せぬのは百も承知。だからこそ恥も外聞も捨てて頼もうではないか。……のう、維吹殿。決して悪いようにはせぬ。こちらに来る気はないか?」


 ふと、口調がやわらいで青い炎が小さくなる。

 笑うように吊り上がったまなじりと、怖いくらいの猫なで声。脅して駄目なら懐柔しようとでも思ったのか、なりふり構わずあの手この手を使ってくるのが妖狐の必死さを物語っている。


「何度も申すが、近ごろの人間にはありえぬほどのその霊力、おぬしの代で絶えさせるのはあまりに惜しい」


 大狐はうたうようにそう言って、大きく一度手を鳴らす。

 とたんに風が吹き抜けて、ススキ野原を大きく揺らし――その風がやんだときには、わたしたちの目の前に、十代半ばから二十代前半といった三人の娘さんが立っていた。

 色っぽい、はかなげ、愛らしい……。それぞれ微妙な違いはあるが、全員そろって誰もが振り向くような美人さんだ。


わしの自慢の娘たちよ。どうだ? 気に入ったのはおるか? もちろん、三人ともくれてやってもよいぞ」


 ふぉっふぉっふぉっと高笑いする大狐。

 そ、それってつまり、妖狐の婿むこになれってこと⁉

 驚くわたしの脳裏に一連のできごとがよみがえり、それらすべてにひとつの意味が与えられる。

 うたげにしつこく招いたり、無理やり引き留めて脅したり――。それって実は、維吹さんを一族に加えるための誘いだったんだ!


「だから! こういうことはやめてほしいと何度言ったらわかるんだ?」


 珍しく維吹さんが声を荒げる。


「第一、このお嬢さんたちは物じゃない。一族のための道具でもない。本人の意思を無視して嫁がせようなんて、可哀そうだとは思わないのか?」


 それは暗に、亡くなった自分の母親のことも言っているのだろう。

 だが、大狐は意に介さない。


「ほう? おぬし、なかなかおもしろいことを言うな。娘どもは喜んでおぬしに嫁ぐと申しておるぞ? それに、一族のための結婚など、人間たちもあたりまえに受け入れておるではないか」

「僕は到底受け入れられない」

「……まったく。おぬしの生まれを同情せぬでもないが、ちと頑固すぎやしないか? それとももしや、心に決めた者でもおるのかね?」


 大狐がわたしのことをちらりと見、それから視線を元に戻す。


「なにか訳があるなら、聞いてやらぬこともないぞ?」

「そ、それは……」


 そうよ、維吹さん! ここは嘘でもいいからガツンと言ってやって! 婚約者がいるからお嬢さんたちはいただけませんって!

 

 なのに、彼はいつまでたっても黙ったまま。弟子選びのときは嘘も方便だったのに、じれったいったらありゃしない!


「わ、わたしです! わたしが維吹さんの婚約者ですっ!」


 弾かれたように手を挙げて、わたしはあらん限りの声を出す。


「わたしがいるから、他のひととは結婚しません! 許しませんっ!」

「……え?」


 え? って維吹さん、ここ驚いちゃダメなとこ!

 ニセ弟子の次はニセの婚約者! 毒を食らわば皿までで、もうなんでも演じてやるっ!


「ほう? これはこれは。ずいぶんと威勢のいいお嬢さんだが、見たところただの人間。霊力の欠片かけらもないようだが?」


 馬鹿にしたような物言いに、


「ひ、人?」

「ただの人間風情が、どうやってここに潜り込んだ⁉」


 まわりにいた御付きらしき狐たちが声をあげる。

 ……どうやってって、それはたぶん、維吹さんから借りたインバネスのせいだ。

 しきりとわたしに鼻を寄せてきた狐のおばあちゃん。彼女が勘違いをしたせいで、わたしは宴に紛れ込んでしまったのだ。


「よくまあ、人の子がすんなり入り込めたものだ」


 大狐が感心したように目を細める。


「そ、それはもう、維吹さんをおしたいする気持ちは誰にも負けないですから!」


 柄にもないことを言って歯が浮きそうになるが、ここは必死で演じるしかない!


「わたしたち、ひとつ屋根の下で暮らしていて、あーんなこと(不忍池しのばずのいけでドジ踏んで助けてもらった)や、こーんなこと(賽銭泥さいせんどろの濡れ衣を晴らしてもらった)もしたんですから! だから維吹さん、責任とってくれますよね?」

「えぇっ⁉」


 ああ、もう、このアホ陰陽師! なんで芝居に乗れないのよ!

 狐はしばらく黙り込んでいたけれど、


「しかし、この宴は我らが狐たちのもの。紛れ込んだ人間は、誰であろうとこの場で始末をつけねばならぬ」


 キラリと目を光らせて、青い炎をぼわり吐く。

 うわ、それをすっかり忘れてたっ!

 たちまち冷や汗まみれになったわたしの上に、


「……始末をつけられるのはどちらか、試してみたいのなら構わないよ」


 維吹さんの声が、受けて立つとばかりに静かに落ちる。


「ほう? おぬしがそこまで他人に執着するとは。婚約者というのもあながち嘘ではないらしいの」


 大狐は周囲に視線を走らせると、こちらを威嚇いかくしていた仲間たちに「よい」と手を振る。


只人たたびとながらここに参った、その勇気に免じて今宵こよいだけは許してやろう。儂の娘たちとの件も、とりあえず無理強いはせぬ」


 とたんにあたりの空気が緩み、ススキ野原を風が揺らす音が戻ってくる。


「あなたの寛大な計らいに感謝するよ。それから、せっかくの宴に水を差してしまってすまなかった。……それでは、よい年を」


 そそくさとわたしを連れて退散しようとする維吹さんを、


「待て!」


 大狐が呼び止める。


「許してやるとは言ったが、まだ帰ってよいとは言ってないぞ? 我らのもてなし、遠慮なく受けてゆけ」


 否応なくその場に座らされると、お酒に天ぷら、だし巻き卵に稲荷ずしとたくさんのご馳走が高足膳たかあしぜんに載せられてやってきた。馬のふんだったらどうしようとも思ったけど、維吹さん曰く、「全部本物」だそうで。

 そのあと、大狐と三人の娘さんは席を外してしまい、わざわざわたしたちに声をかけてくるような物好きな狐も現れず……なんとなくふたりだけの宴会になってしまった。


 とはいえ、無茶やった自覚があるから、顔つき合わせるのはなんだか気まずい!

 不忍池で蛇女に襲われたときと同様、お説教が始まるのか……。

 わたしが身を固くしていると、意外や意外、「ぷっ」と小さく吹き出す声がした。

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