第39話 お姉ちゃんの行方と自分の行き先

 もし、維吹さんがいなくなったら?

 そんなことないって信じたいけど、類は友を呼ぶと言うし、自分のまわりから次々と親しい人がいなくなってしまったら……。そう思うとなんだか怖い。

 ううん、へこんでたって仕方がない! 維吹さんはどこにも行かない! お姉ちゃんだって見つけ出す!


 わたしはぐっとこぶしをにぎり、三和土たたきに降りて草履ぞうりを履く。

 もしかしたら空振りかもしれない。でも探ってみる価値はある。

 先日、タクシーの運転手さんと交わしたなにげない会話。そこにお姉ちゃんを捜す小さな手がかりを見つけ、わたしは居ても立っても居られなくなってしまったのだ。


 今日は十二月の三十一日。職場のカフェーも休みだし、今年最後の大捜索だ。


「ちょっと出かけてきます。夜までには帰ってきますから」


 出がけに維吹さんに声をかけると、


「今日はこんなに冷えるのに?」


 と渋い顔をされてしまった。

 実はわたし、人の心配をしておきながら外套がいとうを持っていない。

 だって職場は歩いてすぐだし、仕事は部屋の中だから、わざわざ買う必要なんてない、とやせ我慢をしてしまったのだ。


「ちょっと待ってて」


 長屋の奥に引っ込んだ維吹さんが、すぐにインバネスを持って戻ってくる。おそらくは二着あるうちの一着だろう。


「よかったらこれを着ていきなよ」


 男物なのが気になるけど、ないよりはマシ。正月早々風邪をひいたら大変だしね。


「それじゃ、ありがたく借りてきます」


 素直にわたしが受け取ると、維吹さんはほっとしたようにほほ笑んで、すぐに表情を引き締める。


「それと、僕もちょっとばかり所用ができてね。遅くはならないつもりだけど、もし帰ってこなくても心配しないで」

「それってまさか、例のうたげに行くんですか?」


 ハッと顔を上げたわたしから、維吹さんが視線をらす。


「い、嫌ですよ、これが今生こんじょうの別れになるの!」

「ならないから大丈夫。あと、まんいち僕のあとをつけても無駄だからね。力のない君は十中八九見失う。だから絶対に追ってこないこと!」


 わたしの性格を見透かして、先回りして注意してくる維吹さん。


「で、でも……」

「ほら、早く行かないと日が暮れてしまうよ?」


 半ば強引に送り出され、気落ちしたわたしは表通りをとぼとぼ歩く。

 羽織ったインバネスが肩に重くのしかかり、わたしの心をさらに暗くふさがせる。


 維吹さんを招待したのはいったい誰? そしてそれはなにを目的としたものなの?

 陰陽師を脅してでも来させようとするなんて、あんまりタチがよくないもののような気がする。

 そんなことを考えながら上野駅にたどりつくと、


「おや、太一の知り合いの姉ちゃんじゃねーか!」


 待合の先頭にタクシーを停めた、ごま塩頭の運転手が声をかけてきた。


「シケたつらしてどうしたぁ? あ、もしかして借金取りにでも追われてんのか? だったら除夜の鐘が鳴るまで逃げきってやるぞ? ほら!」


 タクシーの扉を開けてニヤッと笑う運転手に、


「もう! 違うわよ!」


 わたしは苦笑いして一枚の写真を取りだす。

 維吹さんのことも気になるけれど、今は一時中断だ。


「それより、今年の春に乗せたお客が、今川焼いまがわやきのことをおやきって呼んでた話……覚えてます?」


 わたしの問いに、運転手は「ああ」とうなずく。


「あの菓子にはいろんな呼び名があるけど、おやきなんて呼ぶのを聞いたのは初めてだったんでね。印象に残ってるよ」

「じゃあ、そのおやきって言ってた人、もしかしてこの人でした?」


 振袖を着て、しおらしくこちらを見つめる姉の写真。それを目の前に突き出すと、彼は「んんん?」と声をあげる。


「そう、そうそう、この人だ! ものすごく別嬪べっぴんで、なのにどこか伏し目がちで陰をまとった感じが妙に色っぽくってよ! よーく覚えてるよ!」

「ほ、ほんとに⁉」

「ああ! しかも帽子を目深にかぶった訳ありっぽい男と一緒でさ。そっちのつらは拝めなかったが、客待ちしながら今川焼食ってたオレを見て、この女に『あの食べものはなんですか?』って訊いたんだよ。今どき今川焼がわからない奴なんているのかねェなんて、仲間とも話したから間違いねぇよ!」

「……!」


 もしかして、ついに見つけた⁉ しかも怪しい男つき! それがお姉ちゃんの言ってた「帝都にいる待ち人」なの⁉


「じゃあその人たち、いったいどこまで乗せたか覚えてます⁉」


 食いつかんばかりのわたしに仰け反りながら、


「え? あれ? どこだったかな?」


 運転手は首を捻る。


「別嬪だったのはようく覚えてるんだがなぁ。あれはたしか……」


 と――ちょうどそのときだった。


「ちょっとあんた! そのタクシー、乗らないんだったら譲っておくれよ!」


 唐突に甲高い声がして、振り返ると両手に風呂敷包みを下げた小柄なおばあちゃんが立っていた。白髪頭を丸髷まるまげにして、腰を大きく丸めている。


「あ……っ! す、すみません!」


 お姉ちゃんのことを訊きだすのに夢中で、まわりのことがまったく見えていなかった。

 とは言え、せっかく手がかりをつかんだのだ。「くわしい話はまた後で」なんて悠長なことは言ってられない。


「ごめんなさい、あと少しだけ……!」


 とたんにおばあちゃんは、一歩前に踏み出すとわたしの身体に鼻を寄せるような仕草をした。


「ありゃま! こんなところでお仲間に会うなんてねぇ!」

「へ?」

「いいよいいよ、だったら一緒に行こうじゃないか!」


 よくわからないままひとりで勝手に納得し、さっさとタクシーに乗りこんでしまう。


「ほら、あんたも!」


 手を握られてぐっと奥へと引かれたとたん、不思議と身体の力が抜けて、わたしもつんのめるようにしてタクシーの席に納まっていた。


「とりあえず、王子おうじに向かってくれるかね?」


 窓から顔を出したおばあちゃんに運転手はうなずいて、それから「あんたの知り合いか?」とでも言いたげな視線をわたしに送る。

 わたしは首を振ったけど、次の瞬間「早くおしよ!」と言うおばあちゃんの一喝で、運転手の顔から思考や感情といったものが抜け落ちて——。


 な、なにこれ⁉

 慌てるわたしをよそに、人形のようになった運転手が音もなくタクシーを発進させる。

 このおばあちゃん、いったいなに者⁉ そもそも王子ってどこ? そこでいったいなにがあるの?


「おやおや、なにを震えてるんだい? もしかして宴に行くのは初めてかい?」


 なるべく隣と距離を離し、身体を扉にり寄せるようにしたわたしに声がかかる。


「今からそんなんじゃ身体が持たないよ? あたしが起こしてあげるから、ちょっと寝てればいいよ」


 とたんに眼前で手が振られ、すうっと闇が落ちてくる。直後、急激に襲ってきた眠気に抗えず、わたしは簡単に意識を手放していたのだった。

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