第38話 拳銃所持は郵便配達員のたしなみです

 明治時代に郵便事業が始まってからこっち、郵便配達員の頭を悩ませているもの。それが、現金書留を不埒ふらちやからに狙われる、といった凶悪な事案だ。

 そこで国は明治六年に郵便配達員の拳銃所持を許可。それが今日まで至ってるってわけなんだけど。

 どうして強盗でもないわたしが、銃を突きつけられなきゃいけないの⁉


「この娘の命が惜しくば、我々の招きに素直に応じよ」


 さっきから郵便屋さんが、しきりと同じ言葉を繰り返している。

「招き」って? それに「我々」って?

 こっちは震えながら恐怖と戦っているのに、目の前に立った維吹さんは恐ろしいほど冷静だ。


「亜寿沙さん。ここひと月の間は、見知らぬ人を長屋に入れたら駄目だとあれほど言ったのに……」


 そう、たしかに維吹さんに言われたわよ!

 でも「見知らぬ人間」て、郵便屋さんの場合はどうするの⁉ そんなの入れてとうぜんじゃない!


「もう! なぁに、これ⁉ 術の掛けかたが雑過ぎよ!」


 続いて志遠さんが維吹さんの隣にやって来て、マントでも脱ぐように一気に割烹着かっぽうぎを脱ぎ捨てる。続いて肩の領巾ひれ襟巻えりまきよろしく引き抜くと、「えいっ!」と気合い一閃いっせん

 それは見る見るうちに六尺ろくしゃくあまりの棒となり、素早く突き出された先端が郵便屋さんの頭をこつん!

 とたんに膝からくずおれ、意識を失ってしまう郵便屋さん。


「あっけないわねぇ……」


 志遠さんが肩をすくめ、


「お手間をかけてすみません」


 維吹さんが頭を下げる。


「亜寿沙さんは? 怪我はない?」

「どうにか……!」

「ならよかったけど」


 ほうっと長い息をつき、陰陽師は弁解するように言葉を続ける。


「この長屋、悪意を持った相手は入れないよう結界を張ってあるんだ。ただし、中の住民が招き入れた場合は別でね」

「で、この人はいったい?」

「術をかけられてここまで来ただけ。たぶん、目覚めたらぜんぶ忘れてるよ」

「なんだか維吹くん、いろいろ大変ねぇ……」


 すべてを察したような瞳で志遠さんがため息をつく。


「いろいろって?」


 わたしが訊くと、維吹さんは困ったように目を逸らして。


「くわしくは教えられないけど、僕をあるうたげに招きたがっているひとがいてね。毎年、暮れが近くなると招待されるんだよ。そのたびに僕が断るから、むこうもだんだん意地になって、手段を選ばなくなってきたみたいだ」

「じゃあ、思い切って行っちゃえばいいんじゃないですか? 年に一度、顔を出せば済むことなんでしょ?」


 ぐちぐち悩んでいるより、そのほうがずっと手っ取り早いんじゃ?

 けれど維吹さんは首を振る。


「行けば行ったでややこしいことになるんだよ。ひょっとしたら帰ってこられなくなるかもしれないし」

「帰ってこられなくなる⁉」


 その言葉にドキンと心臓が跳ね上がり、ついでに声まで裏返る。


「たまに、それでもいいかなってうっかり思ってしまうこともあって。自分で自分がわからなくなる」


 な、なによそれ!


「い、維吹さんがいなくなったら困ります! わたしだけじゃなく、葉山さんや衣川さん、それに志遠さんだって! ねぇ⁉」


 慌てて同意を求めると、女装仙人は「そうねぇ……」と首をかしげ、


「でも、最後は維吹くんが決めることだから」


 と、妙に突き放した言いかたをする。


「い、嫌ですよ、維吹さんがいなくなるの!」

「急に住む場所がなくなると困ってしまうよね。その場合はこの長屋、君に譲ってもいいよ」

「そういうことじゃなくて!」


 あああ、なんでこんなに胸が苦しくなるんだろう。


「とにかく! ここからいなくなるなんておかしなこと、考えないでくださいね!」


 わたしの言葉に維吹さんは「冗談だよ」とほほ笑んだけれど。

 ――自分は彼を引き留めるための重しになれない。

 そう思ったら、なんだかひどく虚しい気持ちに襲われて。

 誰かの力になれないことが、こんなにもみじめで悲しいことだなんて、思いもしなかったよ……。

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