第37話 うちの陰陽師は乙女っぽい

「ただいま帰りました~! 維吹さん、冬物買ってきましたよ~!」


 長屋の木戸を押しあけて、わたしは声を張りあげる。


「見て下さい、これ! 結構な掘りだしものですよ!」


 維吹さんの部屋で戦利品を広げたわたしは鼻高々だ。


「お疲れさま、亜寿沙さん。お茶でも淹れようか?」

「いえ、そのまえにちょっと着てみてください! 大きさは合ってると思うんですけど」


 中綿の入った半襦袢はんじゅばん(上半身だけの下着)に藍染あいぞめの結城紬ゆうきつむぎと焦げ茶の羽織はおり。どれもかなりのお値打ち品だ。

 わざと半襦袢にしたのは足捌あしさばきのよさを優先したから。下はステテコ、うんと寒いときは裾除すそよけも履いて二重に防寒するのもアリだ。


 あまり派手なものを選ぶと文句が来そうな気がしたので、なるべく外側は地味に、半襦袢だけは遊び心を出して、紫がかった布地に月と一面のススキ野原が描かれたものを選んだ。なんとなく、もの静かで寂しげな雰囲気が維吹さんに似ていると思ったからだ。


「この柄、いかにも武蔵野むさしのって感じだね。ほら、有名な和歌にもある……」

「むさしのは 月のるべき峰もなし……ってやつでしたっけ?」

「そうそう。開発される前の帝都はこうだったのかな? もっとも、郊外に行けばまだまだ残っていそうだけど」

「まあ、それはいいですから、ちゃっちゃと着替えてくださいね」


 あーでもないこうでもないと、さんざん頭を悩ませ選んできたのだ。その結果やいかに⁉

 ……ところが維吹さんは、いつまでたってももじもじしている。


「あのね、亜寿沙さん」

「なんです⁉」

「そこで君が見てると思うと、着替えづらいんだけど」

「へっ⁉」


 夏場にかぎっていえば、ふんどし一丁でウロウロしてる男の人は普通にいるし、お勤めは洋装、家に帰れば和装で、そのたびに奥さんに着替えを手伝ってもらう人も多いから、女性に裸を見られるのが恥ずかしい男性なんて、なんだかピンと来ない。


「君だって着替えを見られたら嫌だろう?」

「それはそうですけど」

「じゃ、ちょっと外してもらえるかな?」


 困ったように笑いながら、こちらを見つめる維吹さん。

 妙なところでお行儀がいいというか、そんなふうに言われたら、まるで私がつつしみを知らない変態女みたいじゃないの!


「わかりました、外にいますっ!」


 赤面しながらおもてに飛びだし、待つことしばし。「どうぞ」と声をかけられ中に戻ると――

 そこには、見違えるほどまともになった維吹さんが立っていた!

 格式のある家の若旦那というか……目が離せなくなるほど格好いい。


「うわあ、本人じゃないみたい!」

「本人じゃ、ない?」

「襦袢にも気を使う、かなりおしゃれな人って感じです!」

「でもなんだかしっくりこないような……」

「まぁ、着物は腰で着るって言われてるし、維吹さんみたいに痩せてる人はどうしても着崩れしやすくなっちゃうんですよね」

「おかしくないかな?」

「だから大丈夫ですって!」


 なんだろう、この感覚。逢引あいびきに行く前、「このかんざしでいいかしら?」「このおびでおかしくない?」って鏡台の前でうろうろする乙女のような……。


「え? ちょっとなんで亜寿沙さん、笑ってるんだい?」

「だって維吹さんがかわいくて……」

「かわいい?」

「き、気にしないでください! それからこれはお土産です!」


 帰りに買ってきた羽二重団子はぶたえだんごを差し出して、強引に話題を替えてしまう。


「しょうゆとこしあん、どちらがいいですか?」


 維吹さんはまだなにか言いたそうだったけど、これ以上深追いするのは諦めたのか、「お土産なんて、気を使わなくていいのに……」とつぶやきながらしょうゆの串に手を延ばす。

 はしでひと粒皿に移すと、


「あとは亜寿沙さんがどうぞ」

「いや、ひと粒とかありえませんから! 一緒に浅草行ったときはあわぜんざい完食したじゃないですか!」

「あのときは長屋からずいぶん歩いたし、迷子になったり術を使ったりで、それなりに空腹だったんだよ」

「で、今日は一日家にいたから食欲がないと? それでも一串くらいは食べましょうよ! ほんと維吹さん、なにを滋養じように生きてるんですか⁉」


 とたんに彼は一拍置いて、


「……牛乳寒天」


 と、にっこり。


 うわ、言うに事欠いてこの人は! おまけになにその「言ってやったぞ!」みたいな得意げな顔は!

 か、勝てない……!

 なんかこの陰陽師、人一倍手がかかるのに、それをかわいいだの目が離せないだのと思ってしまう時点でわたしの負けというか。く、悔しいっ!


「ところで亜寿沙さん、街で変わったことはなかったかい?」


 そんなわたしの気持ちも知らず、ちまちまとしょうゆ団子を食べながら、維吹さんが訊いてくる。


「うーん? あと数日で大晦日ですし、街全体が騒がしくて、慌ただしい感じでしたね」


 隣に座ってわたしも団子を頬張りながら、街のようすを思い出す。


「そういえば葉山さんに会いましたよ。なんでも、タクシーの中から人が消える事件が頻発してるとか。維吹さん、知ってます?」


 わたしの問いに、彼はうなずきつつも素っ気ない。


「知ってるけど、取り立てて騒ぐ必要もないよ」

「え? なんで騒ぐ必要ないんですか? それにもしや、衣川ころもがわさんも承知のうえなんですか?」

「ああ。知ってるうえで実害がないから放置してる」

「実害がないって……。でも気味が悪いし、運転手さんからしたら迷惑千万ですよね?」

「それでも。僕らが深入りする必要はまったくないから」


 うーん。今回の維吹さん、なんだか妙に頑なだなぁ。


「じゃあ、だったらこの話は、とりあえずむこうに置いといて」


 例の軍人の名前が出てきたので、ついでとばかりに訊いてしまう。


「衣川さんて、人間ですか?」

「え⁉」


 予想外の質問に、維吹さんがきれいな瞳を大きく見開く。

 しばらく沈黙して、屋根裏を見つめたり、破れ畳に視線を落としたり。


「……そう思った理由は?」

「葉山さんが途中で追うのを諦めた浅草の不死身男の話と、衣川さんの善行が妙に重なる部分があったので」


 すると覚悟を決めたのか、陰陽師は頭を掻きながらひとこと。


「ほんと、君は油断ならないな……」

「じゃあやっぱり――!」

「衣川さんの名前は清悦せいえつ。それだけ言えば、物知りな君ならなんとなく察しがつくでしょう?」

「奥州に伝わる伝説上の人物ですよね? 剣術の達人で、」

「はい、そこまで。本人は興味本位であれこれ言われるの嫌ってるから。気づかないふりをしていてあげて」


 唇の前に指を立て、維吹さんは淡くほほ笑む。


「……本物、なんですか?」

「本物。で、今の時代、戸籍がないと不便だから、すべてお上に打ち明けて、軍人として働くことで身分を保証してもらってる」

「……生きてくって大変ですね……」

「なにごとも、大らかでいい加減だった時代とは違うからね」


 ……人間の世界で生きていくかぎり、どこにも逃げ場なんてないのかもしれない。維吹さんだって、その軍人さんから仕事をもらってるわけだし。


「あ、ところで亜寿沙さん」


 維吹さんがふと我に返ったようにわたしを見つめる。


「志遠さんが長屋と奥多摩をつなげたの、秘密にしてたでしょ?」

「え? ええっ⁉」


 やぶから棒な話にわたしは目を白黒させてしまう。


「ひ、秘密というか、言うのをすっかり忘れていたというか……」


 志遠さんとは秋にカフェーで会ったっきり。そのあとは顔すら合わせていない。


「大掃除をしようと奥の部屋を開けてみたら、一面の雪景色だったんだよ。で、しばらく奥に進んだら彼が出てきて、『亜寿沙ちゃんがとっくに伝えたのかと思ってた』って」

「その志遠さんは?」

「勝手なことをした罰に、大掃除をお願いした」

「えぇっ⁉」


 わたしが驚いたのと同時に、


「維吹くーん、煤払すすはらいが終わったわよぅ?」


 という、聞きなれた声が飛びこんできた。

 慌てておもてに飛び出せば、藍染めの手ぬぐいを姐さんかぶりに、いつもの着物の上には割烹着かっぽうぎを着た志遠さんが!


「あっ、亜寿沙ちゃん! 元気にしてた?」

「はい、おかげさまで! そうだ、志遠さん、お団子食べます?」

「もっちろん! いただくいただく♪」


 仲良しの女学生みたいなノリで、わたしが差し出した折箱に手を伸ばす志遠さん。


「やーん、おいしいわね、これ!」


 もぐもぐと口を動かしながら上がりかまちに腰を降ろし、


「あら? 維吹くん、さっきと格好が変わってない? 男っぷりが上がったわよ!」


 なんてにこにこと褒めちぎる。

 対する維吹さんは微妙な表情で立ちつくしたままだ。

 女装仙人に言われてもうれしくないのか、はたまたこういう会話で気の利いた切り返しが思いつかないのか。

 あやかし相手にひるんだことはないのに、ごく普通のやりとりが苦手って――。


 頑張れ、維吹さん! そこは「ありがとうございます」って笑顔で言っておけばいいところ!

 心の中で精一杯の声援を送っていたら、ちょうどそのとき「すみませーん!」とどこからか声がかかった。


「郵便でーす! ここ、開けてもらえませんか?」


 長屋の敷地をぐるりと囲んだ塀の外、板戸のうしろから高く挙げた手と紺の制服のそでがちらりと見える。

 ここで暮らし始めてから、数えるほどしかやって来たことのない郵便屋さん。大抵は自分で開けて入ってくるから、こんなことは珍しい。


「はーい、ただ今~」


 大きな声で返事をしながら、塀に駆け寄り板戸を開けて――


「亜寿沙さん!」

「亜寿沙ちゃん!」


 維吹さんと志遠さんが叫んだのはほとんど同時。

 えっ、とつぶやく間もなく敷地に入ってきたのは四十絡みの郵便屋さん。するりとわたしの背後にまわると、


「全員、動くな!」


 こちらの肩をがっしり捕らえ、もう片方の手でこめかみになにかを押し当てる!

 ――こ、これってまさか……!

 ひやりとした感触が、わたしを芯から震え上がらせる。


 実際に見たことはないけれど、知識としては知っている。郵便屋さんが自分と郵便物とを守るために、携帯するのを許されているもの。安全装置を外して引き金を引くと、弾丸が発射される西洋の武器――。


 そう、なにを隠そう、わたしは頭に拳銃を突きつけられていたのだった!

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